中区中島町の平和記念公園に建立されているマルセル・ジュノー博士記念碑です。
マルセル・ジュノー博士はスイスの人。
1945年8月9日赤十字国際委員会の駐日主席代表として来日、
原爆が投下された8月6日からの広島の原爆被災の惨状を聞くや直ちに占領軍総司令部へ行き広島の救援を強く要請したそうです。
9月8日調達した大量15トンの医薬品と共に廃墟の市街へ入り惨禍の実情を踏査、自らも被爆市民の治療にあたったそうで、
数知れぬ被爆者を救う、博士の人道的行為に感謝し、国際赤十字のヒューマニズムを讃え永く記念して建てられたのがこの碑だそうです。
マルセル・ジュノー博士記念碑
広島ぶらり散歩「平和記念公園」編
マルセル・ジュノー博士はスイスの人。
1945年8月9日赤十字国際委員会の駐日主席代表として来日、
原爆が投下された8月6日からの広島の原爆被災の惨状を聞くや直ちに占領軍総司令部へ行き広島の救援を強く要請したそうです。
9月8日調達した大量15トンの医薬品と共に廃墟の市街へ入り惨禍の実情を踏査、自らも被爆市民の治療にあたったそうで、
数知れぬ被爆者を救う、博士の人道的行為に感謝し、国際赤十字のヒューマニズムを讃え永く記念して建てられたのがこの碑だそうです。
マルセル・ジュノー博士記念碑
広島ぶらり散歩「平和記念公園」編
1月27日(安芸区のわが家付近)天候 :はれ
当時の県警察部調査(軍関係者含まない11月末まで)で
7万8千余人が死亡、重傷者9千4百余人、軽傷者2万8千人という記録があります。
何人の被爆者がマルセルジュノー博士やそのスタッフの方々に救われたかはわかりませんが、
口先での人道ではなく行動で示した赤十字のヒューマニズムは、こんいちに受け継がれているのでしょうね。
発生した事態の深刻さを伝え、
後世にこのことの重大さを残し、
発生している事態に機敏に対応。
廣島の町にとりましては大恩人の
お医者様ですねぇ。
初めて聞く名前でした。