安芸区上瀬野(かみせの)に建立されている「軍人軍馬慰霊碑」です。
上大山自治会の資料によると、
『1945(昭和20)年4月21日17時25分、33両の8033列車が八本松を定時に出発。
門司駅に向かう途中の山陽本線の下大山付近で、
軍人24名・軍馬98頭を乗せた列車が瀬野機関区の後押し機関車2両に猛スピードで追突脱線・転覆の大惨事、軍人4人軍馬85頭が亡くなった。』とあります。
平成十四年四月二十一日 中野 元瀬 建之(九十三才)
この慰霊碑を建立された当時93歳の中野さんはこの事故を目撃されたか瀬野機関区に務められていたかだったのではないのでしょうか。
戦時中で報道管制が敷かれていた時代背景から事故が公にならずに埋もれてしまうのではと考えられて
この慰霊碑を建立されたのではないのかとわたしは思ったのです。
(裕編集の)(上瀬野)軍人軍馬慰霊碑
上大山自治会の資料によると、
『1945(昭和20)年4月21日17時25分、33両の8033列車が八本松を定時に出発。
門司駅に向かう途中の山陽本線の下大山付近で、
軍人24名・軍馬98頭を乗せた列車が瀬野機関区の後押し機関車2両に猛スピードで追突脱線・転覆の大惨事、軍人4人軍馬85頭が亡くなった。』とあります。
平成十四年四月二十一日 中野 元瀬 建之(九十三才)
この慰霊碑を建立された当時93歳の中野さんはこの事故を目撃されたか瀬野機関区に務められていたかだったのではないのでしょうか。
戦時中で報道管制が敷かれていた時代背景から事故が公にならずに埋もれてしまうのではと考えられて
この慰霊碑を建立されたのではないのかとわたしは思ったのです。
(裕編集の)(上瀬野)軍人軍馬慰霊碑
6月9日(安芸区のわが家付近)天候:はれ