ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

ダバオでシュラスコ

2015年03月03日 | 海外ロングステイ

その昔仕事で10年の間ブラジルに赴任していたことがあります。
サンパウロに9年、リオ・デ・ジャネイロに1年暮らしていました。
今では成人して大きくなった二人の子供たちがブラジル生まれということもあって、私にとってのブラジルは正に「第二の故郷」なのです。
10年の間のブラジル暮らしは仕事面でも私生活面でも新鮮なことばかりで大変充実していて、思い出話を始めたら丸一日かかっても話し切れないと思います。
そして今でもネット上で「BRASIL」や「ブラジル」の文字を見ただけで心が騒ぎ出す程ブラジル・フリークになっています。
折しもつい先日世界的に有名な「カーニバル」がブラジルで開催されて、今年は日本とブラジルが外交関係を樹立して120周年を迎える記念すべき年にあたることもあって、サンパウロで開催されたカーニバルのパレードに、東日本大震災からの復興を祈る青森県五所川原市の「立佞武多(たちねぷた)」の山車が外国の山車として初めて参加しました。
青森からおよそ40日かけて運ばれてきた高さ15メートルの山車は、東日本大震災で亡くなった人たちの鎮魂と復興への願いを込めて、鹿嶋大明神が地震を招くと伝えられる「なまず」を抑え込む様子が表現されていました。
山車がおよそ1時間にわたってサンバの踊り手とともに会場を行進すると、観客からは地元の山車とは異なる鮮やかな色彩の作品に大きな歓声が上がっていたそうです。
そして「ブラジル」と言えば美味しい「食」の思い出も沢山あります。
中でもブラジルを代表する「シュラスコ」と「フェイジョアーダ」は10年間のブラジル生活の中で数え切れない程食べました。
シュラスコ(ポルトガル語ではシュハスコ)は、鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉を刺し通し、荒塩(岩塩)をふって、炭火でじっくり焼いたブラジルをはじめとする南米の肉料理です。
スペイン語圏では「チュラスコ」又は「アサード」と呼ばれていて、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビアなどでも供される肉料理でもあります。
シュラスコを提供するレストランをブラジルでは「シュハスカリア」(churrascaria) と呼んでいて、牛肉を中心に豚肉、鶏肉などの肉(中には鶏のハツなども含まれる)の様々な部位を串刺しにし、ギャルソン(牧童の格好をしている場合はガウーショ)と呼ばれるウエイターが串ごと客のテーブルに運び込み、目の前で食べたい量を切り分けるというスタイルが特長です。
もともとはブラジル南部のガウーショ(牧童)たちが行う料理法であったものが、1970年代からブラジル都市部のレストランでも供されるようになりました。
日本にも1990年代にシュラスコを売り物にしたブラジル料理、肉料理のレストランが数多くオープンしてブームになりましたが、その後バブル崩壊とともに減少してしまいました。
しかし、嬉しいことに最近各地で再びシュラスコ・レストランは増えつつあるようです。
そんな思いで深い「シュラスコ」がダバオで食べれたらいいな・・・、と常々思っていたところ、最近ダバオに「シュラスコ・レストラン」があることを知って、早速出かけて来ました。


約1年半程前にオープンしたダバオ初登場のブラジル料理のレストランは「JUNO Churrasco」(ジュノ・シュラスコ)で、マチナ・タウン・スクエア(Matina Town Square)の中にあります。
Uno AyalaさんとJoy Quimsingさん二人の共同経営のレストランで、二人の名前の頭文字から「JUNO」と名付けられたそうです。
ブラジル料理の店を始めるきっかけとなったのはUnoさんがシンガポールに留学中に見付けたお気に入りのシュラスコの店があって、その店に月に2回のペースで通う程シュラスコファンになったことから、ダバオに戻った後もずっとシュラスコの店のことが頭から離れずにいたそうです。
そして友人のJoyさんを誘ってダバオには無いブラジル料理のレストランを始めようと決心したそうです。
Unoさんはシンガポールでいつも食べていたシュラスコ料理の味を思い出しながら見よう見真似でブラジルスタイルのバーベキューの味付けなどを研究開発して開業にこぎ着けました。
Junoシュラスコではブラジルスタイルの「Rodizio」(食べ放題)がいつでも食べれる他、アラカルトメニューもあります。
Rodizioには牛肉のPicanha(イチボ)、豚肉、鶏肉、自家製ソーセージ、鶏レバーのベーコン巻きなどが次々と運ばれて来て、一通り終了するとお好みの肉をリピート出来ます。
Joyさん(女性)の作った”chimichurri”風の特製バーベキューソースの味も絶品です。


また、このRodizioコースにはブラジル名物の「フェイジョアーダ」も提供されていて、久々にフェイジョアーダの味も満喫出来ました。(写真上、中央下)
「フェイジョアーダ」(feijoada)は、黒豆と豚肉、牛肉などを煮込んだ料理で、ブラジルの他に、ポルトガル、アンゴラ、東ティモールなどポルトガルおよびその旧植民地で食べられていますが、各国で独自の発展をとげてきたため、使われる素材は国によって異なります。
ブラジルのフェイジョアーダの特長は豚肉の他に「豚足」、「豚耳」、「ソーセージ」、「ベーコン」などを黒豆と一緒にじっくり煮込んだ料理で、土曜日の昼食の定番メニューになっています。
久し振りに食べた「シュラスコ」と「フェイジョアーダ」を味わいながら暫し懐かしいブラジル時代のことを思い出すことが出来た一日でした。

  JUNO Churrasco

場所:Matina Town Square
電話:0932 195 8603
営業時間 :18:00 - 0:00

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開業:シティ・オブ・ドリームズ・マニラ

2015年02月24日 | 海外ロングステイ

フィリピンの首都マニラのウォーターフロント地区に、2ヶ所目の大型カジノリゾート「シティ・オブ・ドリームズ・マニラ」が先日オープンしました。
これによって、マニラは世界のギャンブルの中心地になる夢に一歩近づきました。
日本でもカジノ誘致については数年前から導入の関心が高まっていて、最新の情報では日本政府は、カジノを中核とした統合型リゾート(IR)について、2020年の東京五輪・パラリンピックまでに横浜市と大阪市の2か所で開業を目指す方針を固めたようです。
IRの候補地には、全国20か所以上が名乗りを上げて来ましたが、五輪までに開業できるのは、再開発計画などで適地のある横浜と大阪と判断したようです。
横浜市は、再開発計画が進む山下ふ頭(約50ヘクタール)が誘致先となる計画で、大阪市は、大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)が本命視されています。
「シティ・オブ・ドリーム」の開業は、中国人のギャンブル客がマカオで費消する金額が減少する中、いまひとつ魅力に欠けるアジアの首都の1つであるマニラに、中国などの国から大金を賭けるハイローラーを呼び寄せる能力があるかどうかが試されることになります。
マカオのカジノ会社メルコ・クラウン・エンターテインメント(新濠博亜娯楽)が運営するシティ・オブ・ドリームズ・マニラは、マニラ湾の埋め立て地に造成されたエンターテインメントシティで営業を始めた2カ所目の大型カジノになります。
これによって合計4つのカジノリゾートから成るラスベガス様式の街の完成まであと半分のところまで漕ぎ着けました。

メルコ・クラウンによると、3棟の豪華ホテルと380のゲームテーブルを持つシティ・オブ・ドリームズ・マニラはすでに5000人分の仕事を創出していると言います。
フィリピンのギャンブル規制当局であり、エンターテインメントシティ計画を監督するフィリピン娯楽賭博公社(PAGCOR)は、マニラのエンターテインメントシティの発展により、向こう10年間で同国の年間のギャンブル収入はラスベガスやシンガールを上回る100億ドル(約1兆2000億円)に達する、との見方を示しています。
このメルコ・クラウン・フィリピン社が運営する大型カジノ「シティ・オブ・ドリームズ・マニラ」は昨年末のソフトオープンを経て、今回のオフィシャル・オープンに至りました。
同社は、マカオでシティ・オブ・ドリームズなどのカジノを運営する統合型リゾート開発・運営会社、カジノ王スタンレー・ホー氏のご子息、ローレンス・ホー氏率いるメルコ・クラウン・エンターテインメント(新濠博亜娯楽・香港)の子会社で、総開発費が13億ドル(約1530億円)とされるこの大型カジノには、地元の大手複合企業のSMグループも出資しています。
フィリピン政府がラスベガスとマカオに対抗するためにマニラ湾近くに開発した一大カジノリゾート地区「マニラ・エンターテインメント・シティ」に進出した大型カジノの開業としては2013年3月に開業したソレア・リゾート&カジノ(Solaire Resort & Casino Manila)に次ぎベイエリアでの2つ目の大型カジノとなります。


6棟からなるホテル施設には、VIP御用達260室のオーストラリア高級ホテルのクラウンタワーズホテル、ダブルウィング2棟365室を備えるハイアットホテル、そして、アジア初進出となるノブ・ホテルが登場しました。
注目のカジノエリアは、吹き抜け2フロアにゲームテーブル365台、スロットマシン1680台等々が設置されています。
さらに、人気アニメキャラクターを活用する教育エンターテイメント施設「ドリームプレイ」を開設して、ファミリー向け娯楽提供の拡充を図ります。
一部のショッピング・レストランゾーン等のオープンを待つ「シティ・オブ・ドリームズ・マニラ」のグランドオープンは2015年2月の旧正月前に行われました。
リゾートワールド、ソレアに続く第二の大型カジノが誕生したことで、マニラのカジノ勢力図の行方も注目されるところです。

    


ミスター・インターナショナル

2015年02月17日 | 海外ロングステイ

ミスター・インターナショナル2014-2015が去る2月14日、韓国の安山市で開催され、フィリピン代表のニール・ペレスさんがグランプリの栄冠に輝きました。
ミスターインターナショナルは、2006年から開催されている国際的な男性のコンテストで、今年は29ケ国の代表が参加して、日本からも今年初めて参加しました。


このコンテストに求められるのは、聡明で目的への志向が強く、意識の高い男性です。
現行の世界三大ミスターコンテストは「ミスター・ワールド」「ミスター・インターナショナル」「マンハント・インターナショナル」があって、「ミスター・ワールド」は歴史は長いですが2、3年に一度しか開催されません。
「ミスター・インターナショナル」は毎年開催されていますが、歴史が浅く、日本は今年初参加となりました。
「マンハント・インターナショナル」は、三大会中最も歴史が古いミスターコンテストで、モデルを本業とされている方が参加できる大会で、出場者のレベルが最も高いとも言われているようです。


「ミスター・インターナショナル2014-2015」で見事優勝の栄冠を手にしたフィリピン代表の二ール・ペレスさんは29歳の現役警察官です。
彼は「マヌエルL.ケソン大学」の犯罪学科を卒業後2006年から現職に就いています。
6年のキャリアで、彼は、災害と市民の防災などの対応に於いてその優秀さが認められて、13個のメダルを獲得しているそうです。
そして現在彼は「空港セキュリティグループ」の一員として、ニノイ・アキノ国際空港のターミナル3で勤務しているそうなので、今回の栄冠で一気に知名度が上がって、女性ファンがターミナル3に彼をひと目見ようと訪れることになりそうです。
今年の大会で最終ベスト10に進出した代表は、優勝したフィリピン代表の他に第2位にレバノン代表、第3位、チェコ代表、第4位、ポーランド代表、第5位、スロバキア代表、以下ブラジル、日本、韓国、メキシコ、タイとなっています。
二年程前に当ブログで紹介した「ミス・インターナショナル2013で見事グランプリを受賞したフィリピン代表のベア・ローズ・サンチアゴさん(写真左上)に続いての快挙にフィリピン人の美男:美女が世界レベルに達した証しとなりました。
因みに今年初参加したミスター・ジャパンの橋本将一さん(茨城県代表)は、「ミスター・フォトジェニック賞」を受賞しました。(写真右上)

   


話題の新商品

2015年02月10日 | 海外ロングステイ

以前にバンズの代わりに肉で具を挟むというチャレンジャーな商品を投入したケンタッキー・フライド・チキンが、また新境地を開きました。
KFCフィリピンが、チキンでソーセージを挟むホットドッグを発売しました。
新商品「KFC Double Down Dog」(ダブル・ダウン・ドッグ)は、パンの代わりにフライドチキンでソーセージを挟み、ハニーマスタードとレリッシュ(刻んだ野菜の甘酢漬け)をつかったドレッシングをかけた商品です。
1月26~27日だけの二日間、一部店舗で各店・各日50食限定で発売しましたが初日はすべて売り切れてしまいました。


その後2月に入ってからレギュラーメニューとして再登場し、ソーシャルメディアでは早くも話題となっていますが、栄養士たちは戦々恐々としているとか。
「ダブル・ダウン・ドッグ(Double Down Dog)」と名付けられた新メニューは、ホットドッグとフライドチキンに対するフィリピン国民の愛情に答えようとしている姿勢が感じられますが、マーケティング・ディレクター、エロール・マグダート(Errol Magdato)さんは「我々フィリピン人は食べ物のことになると非常に冒険好きだということも、ホットドッグが大好きだということも分かっている」と述べています。
KFCフィリピンで独自開発された「ダブル・ダウン・ドッグ」は、カロリーでいえば、ダブルチーズバーガーと同じか少ないくらいで、顧客の評判は上々だそうです。
現在のところ「ダブル・ダウン・ドッグ」がフィリピン国外で販売される予定はないそうですが、ソーシャルメディア上ではアメリカ、日本、ヨーロッパ各国で国境を越えて話題が広がっています。


ニュースサイト「マッシャブル(Mashable)」は「KFCが最新のふざけた食品を発売した」と評し、ポップカルチャー情報サイト「Uproxx」は新商品を「KFCのひどい最新ファストフード」と評したとか。
またTwitterには「悪魔よ、ダブル・ダウン・ドッグを発明してくれてありがとう」という投稿もあったそうです。
イギリスでは1,700kcalのハンバーガーですら歓迎されてしまうとあって、米英のKFCがその検討に入る可能性は十分にあるのではないでしょうか。
実際に試食をしましたが、薄味のフライドチキンに挟まれたソーセージの塩味とが上手くマッチして、なかなか良い味でした。

<カナダのテレビ局、City TVのニュース番組で早速紹介されました>
   


台湾旅行

2015年02月03日 | 海外ロングステイ

約7年振りに先週台北に行って来ました。
台湾はその昔初めて海外で仕事をした国だったこともあって、以降5回程出かけていて、ダバオからの訪問は今回で2回目となります。
前回行ったのは「猫空ロープウエイ」が出来て直ぐだったので、調べてみたところロープウエイのオープンが2007年の7月だと分かったので、7年振りの訪問となりました。
台湾はマニラから空路2時間で行ける近い国で、ダバオからだと飛行時間の合計は4時間弱で行けます。
今回の旅の目的は、観光は既に何度かしているので「グルメ」と「買い物」で、ダバオではなかなか入手出来ない品物を買ったり、同じく台湾でなければ味わえない「グルメ」を堪能して来ました。
時期的に台湾は「冬」なので、行く前に<寒さ>が気がかりでしたが、想像していたほど寒くなく、日中でも大変涼しく、快適な旅が出来ました。
今回の旅で一番驚いたことは、7年前に比べて台北市内が清潔でクリーンになっていたことで、その発展振りには目を見張るものがありました。

<からすみ>
今回の旅の目的のひとつに「からすみ」の購入がありました。
今から20年以上も前に初めて「からすみ」を食べた時の感動が今でも忘れられずにいます。
日本ではその気になればいつでも入手出来ますが、からすみはかなりの高級食材なので一時帰国の時には横目で見ながら通り過ぎていました。
しかし台北には「からすみ」の卸問屋があって、そこへ行けば新鮮で美味しい「からすみ」がリーズナブルな価格で入手出来ます。
からすみはボラなどの卵巣を塩漬けにし、塩抜き後、天日干しで乾燥させたもので、名前の由来は形状が中国伝来の墨「唐墨」に似ていたために名付けられたと言われています。
日本ではボラを用いた長崎県産のものが有名で、日本以外では台湾の他にイタリアのサルデーニャ島、スペイン、エジプトでも作られるそうです。
江戸時代から肥前国のからすみは、越前国の雲丹、三河国のコノワタとともに、日本の三大珍味と呼ばれています。


ほんのり塩辛く、ねっとりとしたチーズのような食感は、高級な酒肴として珍重されています。
軽く炙った後薄く切り分けて、同じく薄くスライスした大根に挟んで食べる食べ方が王道で、オードブルには最適です。
台北市内・油化街(ディーホァチエ)にある「永久號」というお店が老舗で、間違いなく美味しいからすみをお手頃な価格で販売しています。
「永久號」の店主は日本語も達者で、『常温で1週間、冷蔵庫で1ヶ月、冷凍で1年』と賞味期限を日本語で教えてくれました。
参考価格:大きさによって違いがありますが、ひとはら600~700台湾ドルで、空港などのお土産売り場で買う価格よりもはるかに安く入手出来ます(約2,200円~2,600円)

永久號
住所:台北市延平北路2段36巷10号
電話:02-2555-7581 02-2555-5481
営業時間:8:00~18:00
定休日:無
最寄り駅:中山駅から徒歩で20分くらい

<小籠包>
鼎泰豐(ディンタイフォン)は台湾台北市に本店を置く小籠包が看板料理の上海料理レストランです。
日本、アメリカ、中国、オーストラリア、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、韓国にも店舗を持つ有名店です。
1958年、中国山西省出身の楊秉彝(ヤン・ピンイー)によって、台湾台北市信義路に第1号店が開店しました。
鼎泰豐は、食用油を販売する油問屋として開業しましたが、小籠包の販売は本業の食用油の売り上げが落ち込んだ時期に、副業として開始されました。
その後、鼎泰豐の小籠包は地元の人々の間で評判となり、1980年代には本業であった食用油の販売を取りやめ、小籠包の専業レストランに商売替えをしました。
当時は近隣住民が利用する地元の普通の食堂で、台湾国内外の観光客をターゲットにした商業形態は取っていなかったそうです。
1993年、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙で「世界の10大レストラン」に選ばれ、同紙の紹介によって一躍知名度が上がって、その後台湾国内、国外から多くの観光客が台北の店舗に来店する転機となりました。
その後、台湾国外店舗としてロサンゼルスと東京の店舗を開店させ、以降国外の店舗を次々と開店して行ったのです。
日本においては東京都内の中央区・港区・渋谷区・世田谷区・立川市のほか、横浜、名古屋、京都、大阪、福岡、熊本などの各市に店舗を持っていて、大半の店は高島屋への出店形態を取っています。
今回の滞在中に、余りの美味さに2回も訪れてしまった鼎泰豊は、本店ではなく最近オープンしたSOGO復興館地下2階の復興店で、MRT忠孝復興駅から直接SOGOに入れる便利な場所にあります。


出入り口に並べられた椅子は、行列必須を物語っていますが、オープンキッチンは順番を待つ人がガラス越しに小籠包作りを見学できるようになっていて、テキパキとしたリズミカルな手つきを見ただけで、手作り小籠包の美味しさが想像出来ます。
この復興店は美しい照明と最高の雰囲気という表現がぴったりのチャイニーズレストランで、内装はシンガポールの有名デザイナーである宋毅氏が手掛け、設計にも材質にも相当こだわって作られています。
木製のテーブルや大家による書や絵だけでなく、漬物などを盛る小皿にも特注の陶器が使われていて雰囲気も抜群です。
「小籠包」の他に点心などの料理の数々が写真付きのメニューに載っているので、選ぶのも簡単です。
時間帯によっては「60分待ち」から「120分待ち」となることがしばしばなので、少し早めに出かけて店頭の受け付けカウンターで申し込みをすることをお勧めします。

鼎泰豐
復興店:台北市忠孝東路三段300號B2(SOGO復興館 地下2階) 02-8772-0528

<士林夜市>
士林夜市(しりんよいち)は台北市士林区にある観光夜市です。
夜市の名が示すように夕方になると常設店舗の前などの路上に小吃と呼ばれる飲食物や衣料品、生活雑貨、遊戯などの様々な屋台が出店し、多くの来客で賑わう「夜市」は台北市内に何か所かあります。
中でもこの士林夜市は日本人観光客も多く訪れることから、多くの店では日本語が通じ、日本語のメニューを用意している店もあります。
元々このエリアは、基隆河を介して万華区や大稲埕へ士林近辺の農産物を輸送する交易の場として栄えていて、当初は媽祖を祀った「慈諴宮」の門前の広場に夜市が立っていましたたが、日本統治時代の1909年に「士林市場」が作られると従来の夜市のエリアに加え、市場の場外にも夜市が展開するようになりました。
士林市場は、1909年開場の古い施設の為老朽化による衛生上・安全上の問題があったため、台北市政府は大規模改修をするため、2002年に同市場を閉鎖し、代替施設として剣潭駅前に「士林臨時市場」が設置されました。


臨時市場は2002年11月に営業を開始し、士林市場にあった飲食店の多くが臨時市場に移転しました。
そして2011年12月25日に、従来の士林市場を改修・拡大した「新士林市場」が開業し、昔ながらの雰囲気をそのままに、安全で衛生的な環境で食べ歩きやショッピングが楽しめるようになりました。
新士林市場の地上階は、ショッピングエリアになっていて、多くの土産物店が軒を連ねていて、夜市の楽しみの一つでもあるゲームコーナーも、地上階に点在しています。
地下は屋台が集中する「美食街」となっていて、冷房も完備されていて、雨の日でも傘をささずに屋台料理が楽しめます。

士林夜市 交通アクセス
MRT 台北捷運淡水線剣潭駅より徒歩2分

<漢方薬>
歳を取るに連れて、病気とまでは行かないものの、身体のあちこちが「老化」して来て、いわゆる老化現象が起こるのはどうにもならない現象のようです。
「漢方薬」は昔から信頼していて、今回の旅行では老化現象の緩和目的の「漢方薬」の購入もありました。
台北市内の「迪化街」 (ディーホァチエ )は乾物店と漢方薬店街で有名な場所です。
迪化街はフカヒレ・ツバメの巣・干しホタテ・昆布・高麗にんじん・漢方薬・強壮剤・花茶(フラワーティ)・からすみ等々が激安価格で販売されています。
迪化街は19世紀中頃の清朝末期、貿易や船荷を扱う商店が街を形成したのが始まりで、城隍廟が建立されたのもこの時期です。
日本統治時代には茶葉が台湾の特産品となり、その積出港となっていたのが今の迪化街です。


20世紀初頭の日本統治時代は、台湾全土から乾物、漢方薬、お茶、布などを扱う商店がここに集結して、台湾の主要な商業エリアとなりました。
通りには、美しいバロック建築の建物が並んでいて、裕福な商人たちはこの街に集結したのです。
戦後になって現在の「迪化街」という地名がつきました。
現在でも台湾一の漢方、乾物、布問屋街として賑わう「迪化街」は、特に旧正月前には、歩くこともままならないほど、大混雑となります。
漢方薬店では症状を伝えて調合して貰います。
治療目的なら処方箋を持って行くのが良く、体質改善など、体にいいものはすぐに調合してくれます。
女性向きの美容関連のもの、滋養強壮のものなどはパックになっているものから購入することが出来ます。
日本で買う漢方薬の半値以下で入手出来るところが有難いです。

台北市迪化街
行き方 MRT「北門」駅出口2を出て塔城街を北上します。
途中市民大道をくぐり進んで行くと、南京西路を越えた辺りから迪化街に道の名前が変わり,この辺り一帯です(徒歩10分強)

  <士林夜市の美食街の様子を動画でご覧下さい>
   

 


ローマ法王フィリピン滞在5日間

2015年01月27日 | 海外ロングステイ

去る1月6日の当ブログで紹介したようにローマ法王のフランシスコ法王が予定通り15日にマニラに到着され、19日まで20年振りにフィリピンを訪れました。
ローマ法王のフランシスコ法王は、今月15日から5日間の予定でフィリピンを訪問され、17日は一昨年11月の台風で壊滅的な被害を受けたレイテ島を訪れました。
一昨年の台風ではレイテ島の沿岸部が高潮に飲み込まれるなどして死者、行方不明者が7,300人に上り、フランシスコ法王は被災した人たちなど集まった10万人を超える人々を前に、空港の近くで野外ミサを行いました。

   

当日は今年最初の台風が接近していて雨と風が強まる中、フランシスコ法王は「一昨年の台風の被害を見た時、私もここにいなければならなかったと感じた。少し遅くなってしまったが、私は今、あなたたちと共にいるためにここに来ました」と語りかけ、被災した人たちを励ましました。
フランシスコ法王は、野外ミサあと集団墓地などを訪れる予定でしたが、台風が接近しているため一連の予定を中止して首都マニラに戻りました。
法王は、フィリピン訪問の最大の理由は、2013年11月にフィリピンを襲って7,300人もの命を奪った台風30号(アジア名:ハイエン、Haiyan)の生存者との面会にあったと述べています。
フィリピンは、アジア最大のキリスト教国で人口のおよそ8割がカトリック教徒とされ、マニラでも18日、大規模な野外ミサが開かれました。
国内がフランシスコ法王の訪問一色に染まるなか、各地から数百万人が集まる中法王は18日、首都マニラで大規模な野外ミサを主宰しました。


台風1号の影響で雨の降りしきる中、歴代法王が開いたミサとしては過去最多の600万人が集まり、貧しい人々の救済を掲げた法王のアジア歴訪のフィナーレを飾りました。
法王は、フィリピン名物の派手なミニバス「ジープニー」風に仕立てた専用車「パパモビル」に乗って、マニラ湾沿いにあるリザル公園(Rizal Park)のミサ会場に登場しました。
フィリピンはアジア最大のカトリック国で、国民の80%がカトリック信者ですが、さすがの法王も群衆の数に驚いたようで、随行したマニラ大司教によると、「純真な人々の信仰の深さは私にも測り知れないものです」と語ったそうです。
マニラ市当局の発表では、当日は沿道と公園に法王を一目見ようと警察推定で600万人が集まり、1995年に当時のローマ法王、故ヨハネ・パウロ2世(John Paul II)が同じ場所で行ったミサに集まった500万人という記録を超えました。
そして法王は19日の朝、ローマへ向けて出発し、アジア歴訪を無事終えました。

   


ツーリスト・ビザの最新情報

2015年01月20日 | 海外ロングステイ

フィリピンに滞在している外国人に対して入国管理局(Immigration Office)の『外国人登録プログラム』が始まりました。
フィリピン入国管理局は去年の10月1日から2015年9月30日までの期間を定めて、フィリピンに滞在している外国人を対象に「外国人登録プログラム」を実施し、既に1万人以上がこの登録を済ませたと発表しています。
この登録制度は従来の外国人登録証「通称Iカード」を取得していない全外国人が対象で、観光ビザで入国している場合、滞在日数が59日以内である場合は登録の必要はありません。
しかし、観光ビザで滞在し、59日を超えた場合はたとえIカードを取得していても登録が必要となります。
今回の対象者が登録期限の2015年9月30日までに手続きを怠っていた場合、登録終了した翌月の10月から1ヶ月当たり200ペソの罰金が科せられ、期限を過ぎての入管での登録、もしくは出国時に支払わなければならないので注意が必要です。
但し、罰金の加算額は1年で2000ペソまでと上限が定められていて、この計算では10ヶ月分に相当しますが、11ヶ月以上未登録の場合の説明はなされていません。


この登録ではパスポートと顔写真1枚が必要で、フィリピン国内42ヶ所に設けた入管事務所で申請が可能で、申請書に記入し提出した後、本人の指紋採取と写真撮影が行われて登録完了となります。
この登録では登録番号が割り振られ、この番号は生涯変わらず、1度登録すればフィリピンに出入国を繰り返しても再登録の必要はありません。
なお、登録料は無料となっていますが、申請人のビザが切れていたり、必要書類の不備があったりして『違法滞在』状態にある者に対しては、所定の延滞料や罰金700ペソが科せられます。
今回始めた登録プログラムは入管の説明によると、急増する外国人違法労働者や観光ビザによる不法滞在者の取り締まりを強化するためで、仮に違法滞在が申請時に発覚しても、即時拘束、強制送還などのような措置は取らず、罰金の支払いと正式な手続きをするように命令するとしています。
ただし、罰金を支払う能力がないと、従来通り拘束されるので、入管が思うような違法滞在者のあぶり出しが成功するかは未知数となっています。
今回の入管の登録プログラムに対して『これは有料のICカード制度と2重になっていて、無駄ではないか』との声も上がっていることから、今年の10月以降には新たな改定が施されることも想定されます。


海外で活躍するフィリピン人アーチストたち

2015年01月13日 | 海外ロングステイ

確か私が20歳くらいの頃「ビンボー・ダナオ」という歌手が居て、日劇の舞台やテレビで歌っている姿と、そのユニークな名前が印象に残っています。
後で知ったのですが、彼はフィリピン人の歌手で(フィリピンでは映画俳優もやっていた)女優の淡路恵子と結婚したことでも有名になりました。
ビンボー・ダナオさんは1967年に53歳で亡くなっていますが、甘い歌声とクラーク・ゲーブルに似た顔立ちに人気があったそうで、日劇ラテンフェスティバルでは中心的に活躍していました。

さて、今回はフィリピン人で世界的に活躍しているアーチストの紹介です。
先ず第一に挙げるのが「シャリース」(Charice)で、彼女はフィリピン出身の歌姫で、アメリカの大人気TVドラマ『GLEE』のシーズン2にも出演しています。
シャリースの本名は「カーマイン・クラリス・レルシオ・ペンペンコ」(Charmaine Clarice Relucio Pempengco)で、1992年生まれの22歳。
2005年にアメリカのオーディション番組『アメリカン・アイドル』の姉妹番組のABS-CBNの番組『リトル・ビッグ・スター』に出演して3位に入賞したことがきっかけとなってその後は地元、フィリピンのローカル番組とコマーシャルなどで活動をしていましたが、世界的な認知を得たのは、彼女の熱心なファンが「False Voice」というユーザー名で動画投稿サイトYouTubeに彼女が歌唱している映像をアップし始めて、注目されるようになった2007年頃からで、彼女の映像は数100万回もの再生回数を記録したのでした。
2010年、アメリカのテレビドラマ『Glee』のシーズン2 にゲスト出演することが発表され、リー・ミシェル演じる主人公レイチェル・ベリーの強力なライバルとなるフィリピンからの交換留学生(サンシャイン役)を演じたのを皮きりに、合計3話に出演し、その美しい歌声を披露しました。
また、日本でもアルバムをリリースしていて、2枚目のシングルでは『三日月~クレッセント・ムーン~』を発売しています。
この楽曲はは日本の女性歌手絢香のシングル『三日月』を英語歌詞にしてカバーしたものです。
彼女が日本のテレビ番組で「三日月」を熱唱している映像です。

レア・サロンガ(Lea Salonga)の名前を知っている方はミュージカル好きでしょう。
レア・サロンガは1971年生まれのフィリピン出身の歌手、女優です。(トップの写真もレア・サロンガ)
彼女はミュージカル「ミス・サイゴン」世界初演のウエスト・エンド版、続くブロードウェイ版のヒロイン、キム役のオリジナルキャストとして知られています。
そしてディズニーのアニメーション映画「アラジン」や「ムーラン」で、二人のディズニー・プリンセスの歌声を担当しました。
「となりのトトロ」の英語版でさつきとメイの母親の声を担当したのがレア・サロンガなのです。
レア・サロンガは17歳で『ミス・サイゴン』の主役に抜擢され、その後ブロードウェイでアカデミー賞に匹敵するトニー賞の主演女優賞を受賞しています。
その後も、ミュージカル『レ・ミゼラブル』でも主役よりも目立つ役エポニーヌや映画のレミゼラブルでアン・ハサウェイが演じたお母さん役をつとめるなど、押しも押されもせぬミュージカル大女優です。
彼女は1978年に7歳でフィリピンの舞台「王様と私」でデビューした後、10歳でファーストアルバム「Small Voice」をレコーディングし、ゴールドディスクになりました。
またレア・サロンガは30年ものキャリアの間で、5人のフィリピンの大統領と3人のアメリカ大統領(ジョージ・H・W・ブッシュ、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ)、ウェールズ公妃、ダイアナ、エリザベス2世のために歌を披露した経験を持っています。
彼女の美しい歌声「Let It Go」を動画でお愉しみ下さい。
    

ダバオ出身のポップシンガー、ロックミュージシャン、フォーク歌手で国内で活動しているアーチストは沢山いますが、ダバオ生まれのアブドゥル・カンダオ(Abdul Candao)はクラシックのテノール歌手で、現在はヨーロッパで活動している稀有な存在のフィリピン人アーチストです。
カンダオはダバオ市内のAteneoでハイスクールまで学んだ後マニラに転居し、好きな音楽を学んでいましたが、1982年に行われた国立音楽コンクールに出場し、青年アーチスト部門で優勝を遂げたことが契機となって本格的なボイストレーニングを専門家から受けながらマニラのSanto Tomas音楽学校で声楽を学びました。
そして、その才能を見い出されて1995年にウイーンに渡航し、ウイーン芸術学院でオペラを学びました。
ウイーン芸術学院を卒業した後、オーストリアでオペラ歌手としてデビューを飾り、以降順調にキャリアを重ねてアメリカを始め、ベルギー、ブラジル、カナダ、クロアチア、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、スイス、などなどの国々で公演を続けています。
アブドゥルは最近は1929年、ベルリンで初演されたフランツ・レハールのウィーンと中国を舞台にしたオペレッタ「Land of Smiles」(微笑の土地)の主要な役、中国からの皇帝の息子役で好演しました。
このミュージカルはオーストリアとスイスの重要な都市で行われています。
カンダオの美しいテノールの歌声「君こそわが心の全て」(Dein ist mein ganzes Herz)-オペレッタ「微笑みの土地」より-をスライドショーと共にお愉しみ下さい。
  

 


ローマ法王来訪

2015年01月06日 | 海外ロングステイ

新年明けましておめでとうございます。
2015年の年明けに相応しいめでたいニュースで今年第一回目のブログ記事を更新します。
ローマ法王の20年振りのフィリピン訪問が決まり、マニラ首都圏を中心に年末から法王の受け入れ準備に入りました。
昨年末、バチカンは2015年1月のフランシスコ・ローマ法王のスリランカ、フィリピン訪問の日程を発表しました。
スリランカへは1月12日~15日、フィリピンには15日~19日の予定で訪問されます。
スリランカでは少数派のキリスト教徒に対する仏教徒過激派の迫害が起きていることもあって今回の訪問が決まったそうです。


アジア最大のカトリック国フィリピンは一昨年11月、多数の死傷者を出す台風被害を受けましたが、今回の法王のフィリピン訪問の目的の一つに台風被災地でのミサを行うことがあります。。
法王は去年の8月14日~18日に韓国を訪れ、アジア各国のカトリック信徒の若者のための祭典「アジア青年の日」大会の主要行事に参加しました。
法王はこのカトリックの祭典の閉幕ミサを行った後、若者の可能性に期待を示し、世界の平和と安全のため「アジアの若者たちよ、目覚めよ」と力強く訴えました。
また、法王はアジアだけでなく世界で「それぞれの社会での役割を全うする権利と義務がある」と強調すると共に、アジアの文化の多様性を評価し、共に進んでいく重要性を力強く説いていました。
今回のスリランカ、フィリピン両国訪問によって、半年間で2度アジアを訪れることになります。
ローマ法王は12億人の信者を持つローマ・カトリック教会の最高司祭で、他宗派に対して「首位権」を主張するカトリックの最高指導者であることから、「イエス・キリストの代理者」「ペテロの後継者」とされています。
英語圏では親しみをこめて、教父を表す「Pope(ポープ)」と呼ばれています。
そして昨日、フランシスコ法王は20人の新枢機卿を任命するとの発表がありました。
「欧米偏重からの脱却」という法王の方針を反映し、アフリカのカポベルデ、オセアニアのトンガ、アジアのミャンマーから初めて枢機卿が選ばれました。
枢機卿は教会の最高顧問として、法王の補佐を行い、現在208人で、法王を選ぶ選挙「コンクラーベ」の投票権がある80歳未満の枢機卿は110人います。
今回選ばれた20人のうち、80歳未満は14ヶ国の15人で、アジアからはミャンマーの他にタイ、ベトナムから選ばれ、就任式は2月14日に予定されています。


バチカンから先日発表されたローマ法王のフィリピン訪問スケジュールは以下の通りとなっています。

1月15日(木)夕方、マニラ到着(パサイのビリヤモール空軍基地予定)
       パサイにあるバチカン大使館に向け、車でパレード
1月16日(金)マラカニアン宮殿でアキノ大統領による歓迎セレモニー
       マニラ大聖堂で聖職者・関係者向けミサ(一般非公開)
             夕方、モールオブアジアで関係者ミーティング
1月17日(土)航空機でマニラ→タクロバン。
             合同ミサと台風ヨランダの被災者訪問
             夕方、タクロバン→マニラ
1月18日(日)午前セントトーマス大学訪問
             午後3時30分リサールパークでの合同ミサ(大規模)
1月19日(月)午前、ビリヤモール空軍基地からローマへ出発

アジア最大のローマンカトリック国とも言われるフィリピンですが、格式の高い学校に入学する際には、洗礼証明証が必要となったり、あらゆるところでローマンカトリックの教え、影響を感じることも多いのがフィリピンで、フィリピンの敬虔なカトリック信者たちは今回のローマ法王のフィリピン訪問に誇りを感じています。
そして今回のローマ法王滞在中の15日から19日の5日間、マニラ首都圏は「祭日」と発表されました。
マニラ市内のリサールパーク(Rizal Park / Luneta Park)でのミサは1月18日、午後3時半から予定されていて、当日は600万人の参加が見込まれています。
20年前のローマ法王フィリピン訪問時のミサでは500万人が参加しましたが、リサールパークには120万人が限度なので、400万人もの人々がロハス通り沿いにあふれて、ダイヤモンドホテル、ハイアットホテル近辺のベイウォークまで到達する見込みとなる為、当日の交通渋滞、規制に注意が必要です。


法王は1月15日にスリランカからマニラに到着した後、16日マニラ大聖堂で2000人限定の一般公開されないミサが行われます。
そして17日には台風ヨランダの被災地タクロバンに向かわれ、現地でもミサが行われます。
さらに,17日の法王のレイテ州タクロバン訪問は日帰りにて訪問する予定となっている為、タクロバン空港は終日閉鎖となることが決定されたほか,マニラ国際空港へのアクセスが困難となる可能性も出ているのでローマ法王滞在中のマニラ空港の各フライトの離発着情報は、ネットなどで事前にチェックされることをお薦めします。

 


プレイバック2014

2014年12月30日 | 海外ロングステイ

いよいよ今年も余すところ2日となって「カウントダウン」間近となりました。
今年一年が健康で無事に過ごせたことに感謝しています。
2014年を振り返ってみると日本国内、フィリピン、世界で色々な出来事がありました。
私自身の2014年の思い出は年末から年始にかけて久し振りに訪れたバンコクで楽しい時間が過ごせたこと。
そして9月末から10月初旬にかけての日本への一時帰国ではこれも久々の北海道旅行で温泉や「蟹三昧」を満喫したり、初めて行ったUSJでは楽しい体験も出来ました。
また、その昔転勤で約5年間過ごした名古屋でも懐かしい「グルメ」の数々を満喫出来て充実した旅が出来ました。
当ブログも1月からほぼ欠かすことなく毎週火曜日の更新が続けられたことも健康だったからこそ出来たことで、改めて健康の有難さを噛みしめています。

「ロイター通信」の日本語ウエブサイトで読者が選ぶ2014年の10大ニュースが発表されました。
第1位 ウクライナ危機、ロシアがクリミア編入
第2位 エボラ出血熱の感染拡大  
第3位 消費税率8%に、再増税は延期   
第4位 黒田日銀「バズーカ2」緩和で円安株高
第5位 イスラム国の台頭と米主導で空爆開始    
第6位 ノーベル物理学賞で中村氏ら3人受賞  
第7位 マレーシア機の失踪・撃墜と事件相次ぐ  
第8位 STAP細胞発見に疑義、論文を撤回   
第9位 錦織圭が全米準優勝、世界ランク5位に  
第10位 集団的自衛権の行使容認を閣議決定

一方フィリピン国内の2014年の10大ニュースも先日NNA.Asiaから以下の通りの発表がありました。
第1位 マニラ港の混雑悪化、企業に打撃
第2位 ミンダナオ和平、13年越しで合意
第3位 航空評価が改善、米国線の拡充可能に
第4位 車両購入者保護の「レモン法」が施行
第5位 総人口、1億人を突破
第6位 外銀の参入規制撤廃、市場開放の一環
第7位 三菱自が工場移転、年産能力7割増へ
第8位 MRT3号線で事故多発
第9位 サンミゲル、PALから出資引き揚げ
第10位 訪日旅行者が急増、路線拡充が追い風に

明後日から迎える2015年が素晴らしい一年となることを祈念し、以下に今年一年の当ブログ記事のフラッシュバックを掲載し、2014年の締め括りと致します。

2014年・1月~4月 


2014年・5月~8月

2014年・9月~12月