リーグ戦の熱気が伝わってくる一場面。
バドミントンとの出会い(その1)
その後、参加する子供たちも国鉄の体制変更などで減り続けやがて駅前広場で遊びに興ずる子供たちの姿など無くなってしまっていた。
しばらくして、高校を卒業し国鉄に就職し二つ目の職場として六日町に転勤した。
職場である鉄筋コンクリートの建物の前、木造の国鉄官舎との間のコンクリート舗装の通路が、建物によって風がさえぎられることと、コート幅がバドミントンに適していたことで、お昼休みの格好の遊びの場となった。
官舎の奥様方も昼休みを待ちかねて、バドミントンの開始を待っている。時には先にネットを張って待ち構えているほどの熱の入れようです。
ここに5年間勤めたが、もちろんバドミントンは雪のない間、そして雨が降らず、強風も吹かない日のささやかな楽しみではありました。
(終わり)
オリンピックでもバドミントンは盛り上がりますね。子供の頃流行り始めた時はみんなみんなやっていましたよね。コートが無くてもネットを張れば出来るという手軽さでそれが良かったのかも。スバルべさんはずっと続けていらっしゃいますからそれが貴重です。
とにかく、子供の頃から運動音痴で鳴らしていましたから。
亡父が「運動神経と反射神経は違う」なんて言っていました。
バドミントンがまさにそれでしたね。そう、反射神経だけは平均よりもずいぶんよかったですよ。
そして、「継続は力なり」の言葉を地で行きました。とにかく夢中になり週2回かそれ以上の練習をしていました。
ラケットを握らなくても、足腰の鍛錬を常に意識して、電車内でも座らずに爪先立ちしていました。