幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

やはりプロには脱帽

2022-02-16 | 日記

今朝、すぐ前の遊歩道に人が倒れ、3,4人が心配そうにのぞき込んでいた。

高齢の女性が歩いていて、前に倒れ込んで顔に怪我をしたようだ。

目撃した若者がいち早く119番してくれ、救急車の到着を待っている状況だった。

 

取り敢えず、みんなで本人のリュックを枕にして、仰向けの姿勢で寝かせてあげた。

その場にいる人に医療関係者はいなく、さあ、どうすればいいのか分からない。

取り敢えず声をかけてみたら、徐々に眼の力もしっかりとして言葉も出るようになってきた。

ところが、

「ここはどこ?」、「私、どうしてここにいるの?」、「私、どこへ行くの?」

こんな調子で、さっぱり要領を得ない会話を、何回か繰り返す。

住まいはどこか訊こうと思って、

「おばあちゃん、どこから来たの?」と聞いてみた。

なんと、なんと、

「私、おばあちゃんじゃない!」と叱られてしまった。

(どう見ても、おばあちゃんだったのに・・・)

 

そこに、ロードバイクを止めた女性が「私は看護士です」と言いながら近づいてきた。

道路わきに寄せる、体を起こして傷の状態を診る、顔の血を拭いてあげる。

みんなの手を借りて、てきぱきと処置をする。

ただただ見守るしかなかった我々に、ホッとする安心感が広がったのだった。

「プロ」一人がすることは、しろうと三人のそれとはまったく比較にならない。

 

そうこうしているうちに、救急車が到着。

救急隊員の姿が見えると、一同には更なる安心感が広がり「良かった」という表情に変わった。

少し現状を理解したのか、おばあちゃん(ゴメンナサイ)は、「救急車なんか乗らない!」とダダをこねていた。

それも救急隊員に説得され、素直にストレッチャーに身体を横たえた。

 

平日の遊歩道は、高齢者が散歩するのを多く見かける。

私もその一人である。

他人様に迷惑をかけないよう、自分を戒めた一日であった。


ディジタル社会の今昔・リモートワーク

2022-02-15 | 日記

職場に出社せずに、自宅で働くスタイルが増えていることを実感する。

現役世代の人に訊くと、毎日かどうかは別として、ほとんどがリモートワークをしている。

ディジタル技術の進展により、リモートワークに必要なインフラを構築しやすくなったのが要因であろう。

それに新型コロナの感染拡大が、働き方の改革に拍車をかけたのは否めないことであろう。

 

私が現役の頃は、リモートワークはそれほど採用されてはいなかった。

その経験がないため、自宅では仕事ができない古い体質を引きずったままの人間である。

朝起きて、スーツを着てネクタイを締め、通勤電車に乗って通勤した何十年の働き方が染みついている。

自宅のリビングから、この机までの移動だけではダメなのである。

 

家を出てからの通勤が、自らを「仕事モード」に切り替えてくれるプロセスだった。

家にいたままだと、どうもその切り替えスイッチが働かないのだ。

たまに週末に会社から仕事を持ち帰ったにしても、手を付けるのは日曜日の夕方になってしまう体たらくであった。

 

ちょっとしたことでも同僚や上司、部下とは「対面」でコミュニケーション、それが当たり前であった。

一日の仕事が終わると、アフター5は「呑ミニケーション」。

月~金は、このルーチンで回っていた良き(?)時代だったと言えよう。

 

最近の若い人たちがホームワークで十分な成果をあげると聞くと、ほとほと感心してしまう。

ネットワークでの商談や会議などに、普通に参加することを求められたりすると、リテラシー不足を痛感する。

相手からすれば普通のことが、こちらはモタモタしながらついていくのがやっとである。

 

 


インフルエンザの経験から

2022-02-14 | 日記

6,7年前になるが、インフルエンザに罹ったことがあった(高熱に苦しんだ)。

クリニックでタミフルという薬を処方され、自分でも驚くほどそれがよく効いた。

クスリ嫌いの私が、そのようなクスリの存在に感謝したものだった。

 

新型コロナについても、ようやく経口薬の使用が可能になるようである。

早く、インフルエンザと同じ程度に、注意はすれど、それほど恐れなくても良い状況になってほしいものだ。

 

それはそうと、ここ3年ほどインフルエンザはおろか、風邪も引いていない。

もちろん、繁華街を避け、外出時はマスク、帰宅後は手洗い・アルコール消毒などには心がけている。

私個人はともかく、世の中全体としても、インフルエンザや風邪の感染拡大は聞かなくなっている。

やはり、人混みを避け、マスク、うがいを励行することは、感染予防の第一歩であることは間違いない気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「日にちぐすり」が利いた

2022-02-13 | 日記

ちょうど一週間前の朝、急ぎ足で歩いているとき、足を痛めてしまった。

以前、テニスのとき「ヒラメ筋の肉離れ」をやっているあたりに痛みがきた。

その日一晩は痛くて眠れず、翌日、翌々日も歩くのもやっとという状態が続いた。

 

以前に治療をしてもらった、整形外科に行くことも考えた。

もとより医者嫌い・クスリ嫌いに加えて、今回は、医者に行くのもつらかったので結局診てもらわなかった。

病気と違い、けがは、大けがでなければ、放っておいても時間が経つと、自然に回復することは経験している。

また、治療を施しても、完治までには一定の日数を必要とすることも知っている。

 

ふと、年長者の方から聞いた「けがには日にちぐすりが一番」という言葉を思い出した。

はっきりした語源は分らないが、人間が持つ「自然な治癒力」を表しているように解釈していた。

幸いにして、「日にちぐすり」が利いた。

市販のシップ薬だけで、ほぼ痛みが引いてきた。


身近なものの今昔・タイヤ

2022-02-12 | 日記

春が近づいてくると、関東地方の太平洋岸でも雪に見舞われることがあり、油断はできない。

先日も、それほどの降雪ではなかったが、ノーマルタイヤの車が立ち往生しているニュースが伝えられた。

私も、雪道で車が横を向いてしまうようなスリップの経験を何度もしている。

坂道で、車が意に反した動きをしてしまい、冷や汗が出たこともある。

雪道を走るのは怖い。

 

一昔前のことであるが・・・。

タイヤにチェーンを巻くということ、それは、慣れないものにとっては結構キツイ作業である。

寒い中、雪の積もった路上で、かじかんだ手でチェーンを巻くのは、泣きたくなるようなつらい作業だった。

楽しいスキーのことも頭から消え、「なんで、こんなところへ来たんだよ!」と、自分に八つ当たりしたくもなったものだ。

 

最近では、多くの人がそうであるように、チェーンを使うことはなく、冬タイヤを装備している。

半年ごとに、ノーマルタイヤと冬タイヤを履き替える。

 

冬タイヤを履いてはいるが、それでも、凍った路面は怖い。

雪の予報が出ている時には、出来る限り、車では出かけないことにしている。

いなか(信州)では、雪の状態によっては、冬用タイヤにさらにチェーンを巻いて走ることもあると聞く。

雪道に慣れている人から学ぶべき点であろう。