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幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

津和野の郷土料理と伝統のスイーツ

2025-03-31 | グルメ

津和野には、郷土料理「うずめ飯」を提供するお店がいくつかある。

江戸時代、倹約令によって贅沢は禁止され、食事についても、人々は他人の目をあざむく工夫をしていたようである。

お椀の底に具材を入れ、それを「めし」で隠してだし汁をかけて食べる方法を考えた。

さだめし「私は贅沢はしてません、ごらんの通り質素な食事です」と見せたといったところか・・・。

 

事前に観光協会で「うずめ飯の食える」お店を教えてもらっておいた。

そのなかから、殿町通りのカトリック教会の目の前にある「沙羅の木」さんで昼食をとった。

 

「うずめ飯セット」が出来上がってきた。

意外や彩もきれいで、質素とは言えないものではないか。

うずめ飯の他、そば(出雲そばのような)が付いているし、刺身コンニャクと、エビ天・玉子焼き・かまぼこなどの盛り合わせがセットになっている。

「よくかき混ぜて召しあがってください」と言われた。

上にのったワサビとともに出汁とご飯をかき混ぜる。

お椀の底の方から、埋められていた(隠されていた)シイタケ、ニンジン、豆腐、三つ葉などが現れた。

食べた感じは、呑んだ後の〆に食べるお茶づけのようだった。

シンプルながらダシが効いていて、ワサビの香りと辛みがいいアクセントになりおいしかった。

ボリュームも程よく、ランチとしては良いセットであった。

 

もう一つの名物は、「源氏巻き」という和菓子で、津和野を代表するスイーツの一つ(津和野銘菓)のようである。

お店に並んでいたこしあん・白あんの二つを買って帰ったのだった。

キツネ色に焼かれた生地であんこを巻いてあり、好みの大きさに切って食べる。

しっとりとした生地にぎっしりとあんこがくるまれていて、濃いお茶に合いそうだ。

私は甘いものが苦手なので、銘菓の味も一口、お味見程度がせいぜいである。

 

「源氏巻き」のパッケージには、その歴史は元禄の時代に遡るとある。

今もしっかりと土地の銘菓として根を張っているのだ。

話は飛ぶが、津和野生まれの森鴎外は大の甘いもの好きで、ご飯にまんじゅうをのせてお茶漬けにして食べたほどだという。

そんな変わった食べ方をした鴎外はともかく、甘いものに目がない土地柄だったのであろうか?

 


日本百名城を巡る旅・津和野のご城下散歩

2025-03-31 | 歴史

「津和野城」を攻める前に、山陰の小京都といわれる「歴史のまち」を見て歩いた。

決して広くはないが、歴史の残る城下町は魅力的な町であった。

 

津和野へはJRを利用し、新山口で新幹線から特急「スーパーおき」に乗り換え、約1時間で到着した。

この間はSL(山口号)も走るらしいが運航日は指定日のみで、時間も特急の倍ぐらいかかるようである。

津和野駅の駅舎は、この地方に多い赤い石州瓦の印象的な建物である。

左側には、引退した機関車が展示してある。

探索コースは観光パンフレットにある「芸術と掘割の路コース」を基本とし、芸術の部分を外し太鼓谷稲成神社に替えた。

駅前通りから駅通り、本町通り、殿町通りと、いい雰囲気の街並みが続いている。

本町通りには歴史のある酒蔵、お店などが並ぶ。

広く、きれいに整備された殿町の通り。

整然と敷かれた石畳と白壁の建物がよく調和している。

脇を流れる掘割には見事な錦鯉が泳いでいる。

澄んだ水にのんびり泳ぐ鯉の動きを見ていると、気持ちが和んでくる。

土の部分に目をやると、花しょうぶが芽を出している。

初夏には花が咲き誇り、一段とこの通りが華やかになるであろう。

カトリック教会も、周りの風景に融け込んでいる。

もちろん古い武家屋敷門も残っている。

代々家老を務めた家の、重厚な造りの多胡家老門。

平成31年に改修されたという藩校養老館。

過去には、西周、森鴎外をはじめ多くの人材を送り出したという。

やがて津和野川に架かる大橋に出る。

津和野は映画「男はつらいよ」のロケが行われたところであり、何か所かのシーンに津和野の景色が登場する。

津和野川のほとりで、寅さんと吉永小百合さんの歌子が語り合う画面を思いだす。

 

街並みを過ぎ、「太鼓谷稲成神社」(たいこだにいなりじんじゃ)へ向かう。

「おいなり」さんであるが、日本で唯一この神社だけが「稲荷」ではなく「稲成」という字が使われているそうだ。

参道の入口にある大きな鳥居をくぐり本殿に向かう。

参道には朱色に塗られた鳥居が連立し、鳥居の中を石段を踏みしめて昇っていく。

どれほどの鳥居をくぐったであろうか?、何段の石段を踏んだであろうか?

衰えた足腰を励ましつつたどり着いた本殿では、今回の旅の目的成就を願って頭を下げる。

 

いつかは・・・と思いながら行けなかったが、今回の旅で実現した津和野。

この山間の静かな町には、まだまだ今回立ち寄れなかったところがあり心残りでもある。

次の機会を待つことにしよう。


山口名物「瓦そば」

2025-03-30 | グルメ

「その土地の名物料理があったらまずは食うべし!」

地方の名物料理を見つけたら、その時に食べないと、機会を逃してしまうことになりかねない。

 

錦帯橋(山口県岩国市)を渡ると、山口名物「瓦そば」の看板を掲げるいくつかのお店が目につく。

昼食は「瓦そば」で決まり!

岩国城への行きがけに観光地図をいただくなど、親切にしていただいたお店に入った。

 

一人前、二人前・・・サイズはいろいろある。

早目の昼食でもあり、とにかく「瓦そば」を食べるのが初めてのことなので一人前を頼んだ。

 

「瓦そば」というからには、瓦に載っている出てくるだろうぐらいの想像はしていた。

ところが目の前に熱い瓦にのって出て来たのは、普段食べる焼きそばとは違って「茶そば」を焼いたものだった。

コマ切れの牛肉、錦糸卵、のりなどがトッピングされている。

そばそのものに味つけはされていなく、「ざるそば」のように汁に付けて食べるのも意外だった。

 

私にはつけ汁の甘さが濃かったように感じたが、「ざるそば」や「盛りそば」と異なり、焼いたそばにはこれが合うのかもしれない。

岩国城への登城で一汗かいた後なので喉はカラカラ、ちょっぴり焦げ目がついたそばがビールに良くあいおいしかった。


日本百名城を巡る旅・岩国城跡

2025-03-29 | 歴史

今回の「日本百名城の旅」は、岩国城(山口県)、萩城(山口県)、津和野城(島根県)を周る二泊三日の旅である。

初日の「岩国城」は、名勝「錦帯橋」から近く、錦帯橋のたもとにある料金所で、橋の通行、岩国城への往復のロープウェーなどがセットになったチケットを買う。

橋を渡る前に河原に下りて橋の全景を眺めると、じつに美しい姿をしている。

石積みの橋脚は大きな船の先頭のような形をしていて、水への抵抗を少なくしている。

また、川底に1mほどの大きな石が敷き詰められているのは、川底が水にさらわれるのを防いでいるのであろう。

いずれも、台風などで水量が増したとき、橋が流されないように考えられた対策であろう。

木造の橋は、下から見上げると複雑に組み合わさった構造をしている。

 

錦帯橋を渡ると土産物さんや飲食店がならんでいる。

その先に進み、かっては武家屋敷などがあったであろう「吉香公園」を突っ切る。

途中、歴史的な文化財であるいくつかの建物を見ることができる。

 

吉香公園を過ぎると、ロープウェーの山麓駅が見えてくる。

このロープウェーに乘ると、あっという間に山頂まで運んでくれる。

山頂駅に着くと、天守に向かう山道が左右二本に分かれているが、歩き良さそうな左の道を行くことにする。

少し行くと、いかにも古そうな大きな井戸が保存されている。

さらにしばらく進むと、突然石垣が現れる。

本丸の旧天守台である。

そこから少し離れた場所に、再建された天守が建っている。

内部は古文書、刀剣、甲冑などを展示した歴史資料館になっている。

最上階にのぼり眼下を見下ろすと、先ほど渡ってきた錦帯橋が望める。

残念だが、あいにくの黄砂のおかげで、視界はやや煙ったように見える。

天守からの帰りは、来た時と反対側の道を下りた。

こちらから下りてみると、古い土塀や石垣などの遺構が見られ、同じ道を戻らず良かった。

土塀の下に残る古い石垣。

 

岩国城(錦帯橋)へは東京から新幹線を使い、広島で「のぞみ」から「こだま」に乗り換え、新岩国で下車した。

新岩国駅からはバスあるいはタクシーを利用する。

但し、バスの本数は少なく、タクシーも、常に客待ちの車が待機しているような状況ではないようだ。

公共交通機関を利用しての旅先としては、決してアクセスに便利なほうではない。

日頃の感覚でいると、思わぬ時間のロスをすることになるが、今回は偶然にも、往復ともタクシーがつかまりラッキーであった。

新岩国まで戻り、次の目的地「津和野」へと向かった。

 

 

 


季節外れの雪と辛夷の花

2025-03-20 | 花木

昨日は季節外れの雪に驚いたが、打って変わって今日は春本番を思わせるお天気となった。

 

昨日の朝、水っぽい大きな雪が降ってきて、いつもは人や自転車の多い道路も人影が少ない。

午前中降り続いた雪も草を白く覆う程度で、午後にはすっかり融けてしまった。

 

今朝は青空が広がり、気持ちの良い春の陽気となった。

公園の辛夷(こぶし)を見に行くと、数輪の花が開いている。

今日3月20日(春分の日)を、勝手に辛夷の「開花日」と宣言した。