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幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

日本百名城を巡る旅・津和野城跡

2025-04-03 | 歴史

津和野城は、中世の山城が江戸時代になって改修された城だという。

建物は無くなっているが、本丸から三方に郭が配置されていて、それぞれの石垣がきれいに残っている。

天守は普通一番高いところにあるのだが、一段下がったところにあったといい、その点はなぜか今でも謎のようだ。

 

城跡は霊亀山という山の頂上にあるが、途中まで観光リフトを使う。

リフトを降りると、登山者用に、木の枝の手づくりの杖が置かれていた。

それをお借りして転ばぬ先の杖とし、アップダウンのある山道を30分頑張った。

 

歩き始めてしばらくすると「出丸」が現れた。

上ってみると眼下に津和野の城下が見通すことができ、そこから先の主郭部分に対する期待が膨らむ。

 

斜面のキツイ部分には簡易的な歩道や階段が設けられていて、足下の不安がなく歩ける。

「台所櫓」の平坦な面に出ると、「本丸」が見えてくる。

土塀を支えていた加工された石が、規則正しく埋められている。

このように、建物はないが石の遺構はよく残っている。

 

本丸の「南門」の側に進み、「三の丸」から本丸の方向を見上げる。

晴天なら青空に映えるはずが、あいにく空は曇り空。

そっくり残っている台形の石垣が「人質櫓」のあった場所で、その奥に見える一段高いところが「本丸」になる。

二の丸と三の丸が本丸を間に挟む位置関係になる。

三の丸の反対側に位置する二の丸(太鼓丸)から見る、西に突き出した台所櫓、海老櫓跡。

同じく二の丸から見る津和野の城下の景色。

太鼓谷稲成神社が見え、赤い瓦の家並みが広がっている。

10段ほどの石段を昇ると、そこが本丸(三十間台)で、この山城の中で一番高いところになる。

ここは本丸を守る最後の防衛ラインで、鉄門櫓があったという。

本丸が「三十間台」とも言われているのは、三十間の長さがあったのであろうか?

とにかく細長い広場になっている。

周囲を見渡す高い位置だけあって、気持ちが良い場所である。

本丸から南門方向のすばらしい景色。

手前(足下の石)が本丸、一段下がったところが「人質櫓」、その向こうが「三の丸」、その先端が「南門」という位置関係になる。

この景色が、山城らしくて最も気に入った場所である。

 

帰り道の傍ら、自生した木であろうか椿の花が散っていた。

椿は花びらが一枚ずつになって散るのではなく、花の形のままポトリと落ちる。

城を守る武士の潔さに通じるものがあるようにも思えてくるが、考え過ぎであろうか・・・。

 

後の世の人が手を加えたような様子がほとんど見られない城跡である。

二の丸、三の丸、海老櫓の石垣の先端を結ぶと三角形になる。

前もってそれを頭に入れておいたので、全体のレイアウトをイメージしやすく、石垣を観て周るのが分りやすかった。



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