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幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

「山口城跡」を訪ねる

2021-04-22 | お城

多摩湖までサイクリング。

真っ青な湖面と新緑の向こうには、真っ白な富士山がよく見えた。

 

一足伸ばすと、この辺の武士「山口氏」のお城があった跡があると聞いていたので行ってみた。

 

多摩湖を周遊する自転車道から、所沢市の方へは坂道を下る。

下りきったところに山口城跡があり、交差点には案内板もあるし石碑も立っている。

 

このお城の歴史は古く、平安末期から鎌倉・室町時代に築かれたものだという。

今や、当時の姿をとどめるものはほとんど失ってしまったという。

廓のあったとされる所には、大きな商業施設が建っている。

現地に立ってみても遺構らしきものはほとんどなく、わずかに土塁が残るのみである。

 

城跡にある商業施設の駐車場から見る土塁跡。

 

土塁の脇には、西武鉄道が走っている。

 

土塁跡の近くにある大きな石。

なにかの建物の礎石であったのだろうか?

 

このお城の規模は、400m×200mほどのものと推定されている。

この城の守りは土塁と堀だったそうだが、周囲を歩いてみたがお堀らしいものは見えなかった。

残念ながら、わずかに残る土塁の跡からは、お城全体をイメージすることはできなかった。

 


小諸城址(懐古園)

2021-04-10 | お城

小諸城址(長野県小諸市)では25日まで桜まつりが行われている。

 

多くのお城がそうであるように、小諸城も明治維新を迎え廃城となった。

その後、立派な公園に生まれ変わり、小諸の「懐古園」という名称は知らぬ人は無いのではなかろうか。

 

まず、「大手門」の見学から。

懐古園からはすぐ近くだが、今は市街地の中にある。

瓦葺の重厚な構えである。

 

大手門から、しなの鉄道の線路をくぐる通路を進むと、「三の門」にでる。

小諸城のユニークなのは、城下から見ると低い位置にあり、大手門から緩やかに下っていく感じになるのだ。

多くのお城が、本丸をめがけて登っていくのと逆になる。

 

この城の石垣は、自然の石をほとんど加工せずに積んであるように見える。

ゴロゴロとした石は、その辺から運んできた石そのものである。

天守台跡の石垣も、石がそれほど加工された形跡はない。

 

天守台跡に上ると、眼下に満開の桜が広がる。

そして、目を遠くにやると、雪をかぶった北アルプスの山が連なるのが見える。

アルプスの残雪と満開の桜、信州ならではの景観である。

 

園内をさらに進むと、その先は千曲川になる。

こちらから攻めるには、川を渡り、きつい斜面を登らなければ城には近づけない。

まさに、自然の作った要害と言えよう。

 

千曲川を見下ろす場所の近くに、島崎藤村の詩碑がある。

「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子かなしむ・・・」

 

新型コロナのせいか、桜の見ごろの時期にしては、人出はそれほど多くないという印象だった。

存分に、「日本100名城」に挙げられる城跡で、「日本さくら名所100選」に選ばれたさくらを見た一日であった。


大奥から高遠藩に流された「絵島」

2021-04-08 | 歴史

さくらの名所「高遠城址公園」(長野県伊那市)の南ゲートを出て坂を下ると、伊那市立高遠町歴史博物館がある。

博物館の裏には、「絵島」が幽閉されていた「絵島囲み屋敷」が復元され公開されている。

不勉強な私は、「絵島」について知識が乏しく、いつも通り、歴史館で得た資料でにわか勉強だ。

 

絵島は大奥で6代将軍家宣の側室・月光院に仕え、大年寄りにまで出世した。

家宣の亡くなった後、月光院の生んだまだ幼い家継が7代将軍になる。

大奥の権力争いに巻き込まれたのか、あることで絵島は罪を問われることになった。

お裁きの結果は、信州・高遠藩に遠流の重い処分。

絵島34歳の時の事件だという。

 

高遠藩へ流された絵島は「囲み屋敷」に幽閉され、人生の約半分近くをここで暮らす。

食事は一汁一菜の質素なものだったという。

彼女の江戸(大奥)での日常から見れば、大変な落差であろう。

一方、そんな人を預けられた高遠藩にすれば、いい迷惑だったのでは・・・。

 

古い図面から復元されたという「絵島囲み屋敷」の門。

 

塀には忍び返しが。

まるで牢獄のイメージではないか。

 

絵島の居住スペースは8畳。

下女詰所(4畳)があるので、身の回りを世話する女性はいたのかもしれない。

さらに、番人詰所(10畳)もあるので、番人に見張られての生活だったことも想像される。

 

華やかな江戸城の大奥から信州の小さな藩に遠流となって以降、27年余りをここで暮らしたのだという。

61歳で生涯を閉じた絵島は、高遠の地に眠っている。

 

 


お花見のお昼は「高遠そば」

2021-04-07 | グルメ

きのう、高遠城址の桜を楽しんだ後のお昼は、名物の「高遠そば」。

 

以前、会津に旅行した時、おいしい「高遠そば」を食べた記憶がある。

江戸時代、高遠藩主だった保科正之は会津藩に転封になり、その時、そば職人を連れていったとされる。

それがきっかけで、会津の「高遠そば」は信州の高遠から伝わったそうだ。

長く伝えられる食の歴史も「味やおいしさ」のひとつであろうと思う。

 

高遠には、高遠そばを出すお店が何店もあるが、「華留運(けるん)」さんに入った。

高遠城址からすぐのところにあり、地元産のそば粉を使った高遠そばが名物である。

のれんの脇には、本日の蕎麦が、高遠産のそば粉を二八で打ったものと掲示されている。

 

迷わず、注文したのは「高遠そば」。

挽きぐるみのそば粉は黒く風味があり、そばは細く打たれている。

「そばつゆ」は辛み大根のしぼり汁と、くるみだれの二種類が付いてくる。

「高遠そば」独特のセットのようだ。

 

薬味は辛み大根とネギ。

さて、どう食べるのか?

お店の方から説明がある。

薬味皿に盛られている「焼き味噌」を、大根のしぼり汁に溶いて「そばつゆ」とするのだ。

大根の辛みが効いて、なかなかイケル!

残り半分ほどを「くるみだれ」で食べてみた。

こちらも甘ったるさは無く、しっかりとしたそばによく合う味に出来ている。

 

そのおいしさに、瞬く間に一枚のそばを平らげて、思わず「もう一枚」追加のオーダーをした。

花(さくら)の時期ならずとも、食べに行きたくなる「高遠そば」であった。

 

 

 

 


やっと実現した高遠城址の観桜

2021-04-06 | 

観光案内所で「高遠城址さくら祭り」のパンフレットを入手。

高遠城(長野県伊那市)は「日本100名城」の一つであり、かつ、「さくら名所100選」に選ばれているとある。

高遠城址公園には、1500本もの「タカトウコヒガンザクラ」が植えられているという。

今日は快晴、満開の桜の散り始めの状態で、桜見物には絶好のタイミングだったといえよう。

 

この桜は、赤みというかピンクが濃く、この地にしかない固有種だという。

 

元の高遠城楼門とその付近の桜並木。

 

二の丸と本丸を隔てる空堀を渡る桜雲橋。

 

太鼓櫓

 

コヒガンザクラ咲く本丸から望むアルプスの残雪。

信州の春そのもの。

念願かなって、「高遠のサクラ」を、思い切り楽しんだ一日であった。