公園で、「皇帝ダリア」の花を見るのはいつも11月下旬になる。
周りの雑木は、早いものは落葉を始めるころになる。
紫色の花が散歩の人たちを見下ろすように咲いている。
その高さは4~5mはあるだろうか、通常の目線の高さにはないので、見逃してしまいかねない。
公園で、「皇帝ダリア」の花を見るのはいつも11月下旬になる。
周りの雑木は、早いものは落葉を始めるころになる。
紫色の花が散歩の人たちを見下ろすように咲いている。
その高さは4~5mはあるだろうか、通常の目線の高さにはないので、見逃してしまいかねない。
昨日の信州は寒く、早朝は弱い雨に交じって白いものがちらついてきた。
急ぎ、冬じまいをして東京に逃げ帰った。
いなかの小さな菜園でできた大根を収穫した。
今年もコロナのおかげで移動を控えたため、手入れが出来ず散々なできだった。
それでも、わずか数本ではあるが収穫ができた。
収穫は大根のみであったが、ご近所からいろいろなものを頂戴した。
都会生活とは異なり、田舎のご近所付き合いは実に密である。
呑み仲間のUさんからはお米(玄米30Kg)と、原木栽培のシイタケをたくさんいただいた。
「そんなに頂いても食べきれない」というと、「知り合いに分けてあげなさい」とおっしゃる。
お米は早速精米所で白米にした。
また、Y子さんからは、大きな白菜、キャベツ、りんご、洋ナシなどを盛りだくさんにいただく。
Uさんも、Y子さんも80を超えているが、健康そのもので、車で走り回っている方たちである。
立派な野菜などを作られる元気さには、頭が下がる。
さらに、Tさんからはブラジルみやげのコーヒーが届いた。
Tさんは現在は日本で働かれているが、若い頃ブラジルに渡り、コーヒー栽培の農場長をされていた方である。
少し前にブラジルに行ってきたそうだ。
おみやげのコーヒーはTさんが焙煎したのだという。
これは一例であるが、同じ集落に住む人たちは親切な方が多い。
おかげで、「よそ者」の私などは、ずいぶん良い思いをさせてもらえ有難いことである。
いなかに向かう時の車はスカスカ、帰りはパンパンに膨れ上がるのが常なのである。
11月末ともなると雑草は枯れているが、その中に、ほうずきの赤い実が残っていた。
田舎の家の裏にある小さな畑の脇で成長し、毎年赤い実をつける。
少しずつ、増えているような気がする。
何本かを切り取り、殺風景な薪小屋の天井に吊るした。
お隣の奥様から生蕎麦を頂戴した。
以前に、週に何日か働いておられたそば処のお蕎麦である。
新型コロナの影響で、お店は閉じてしまったが、注文生産のような形で営業はしているようである。
プラの容器を開けると、蕎麦の香りがぷんぷん立ち上ってくる。
今日のお昼は「おうち蕎麦」に決め、早速茹でていただくことにする。
添えられた説明書に、茹で時間は2分とある。
湯で上がったソバはざるにとり、冷水にさらしてぬめりをとる。
急げ!、蕎麦が乾かぬうち、みずみずしいうちこそ蕎麦がおいしい。
打ち立て、茹でたての味を楽しむことができた。
長野県の北信(長野市・須坂市・中野市、等)は、リンゴやぶどうの産地である。
ところが、いつもなら「ふじ」の出荷最盛期で活況を呈しているはずなのに、今年は地元の表情が暗い。
生産者の直売所では「もうこれしか無い」と、少なくなった在庫を見せてくれた。
一方、農協系のスーパーに立ち寄ってみたが、「品不足で、ものが入ってこない」と訴えていた。
訳を訊くと、
春先に、花芽が霜にやられ、結実する数が減り収穫量が少なくなった。
もう一つ、場所にもよるが、雹(ひょう)が降り、リンゴの実を傷つけた。
この影響は大きく、特に「贈答用」になる出来の良いリンゴは少ないようである。
傷ついたリンゴ。
売り物にはならないのだという。
自然災害とは言え、生産者にとってはつらい結果になっているようだ。
まだ、19年の水害で、水に浸かったリンゴの木の記憶がまだ消えてないのに・・・。
ところで、多少の傷は味には何の影響もない。
私は、この「キズリンゴ」を積極的に食べるようにしている。