幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

行きあたりばったりの札幌グルメ旅・北海道開拓の村

2024-07-24 | 旅行

手元の旅行情報誌には小さく紹介されているだけだが、「北海道開拓の村」という素晴らしい野外博物館がある。

札幌市街から地下鉄東西線で新札幌まで行き、そこからバスで十数分で目的地に着く。

 

見学してから札幌市街に戻って昼食をとろうと考えていた。

ところが、あまりに村内が広く見学に時間を要したのと、暑さにも負けて、施設内のレストランで昼食ということに変更した。

北海道は、幌加内や新得など蕎麦の名産地があるのに、札幌市内では、案外蕎麦屋さんが目につかない。

そこで、何にもまして蕎麦が好きな私が、この食堂でメニューから選んだのは「にしんそば」であった。

北海道 ⇒ 蕎麦の産地 ⇒ ニシン漁、連想ゲームみたいなものだ。

 

ダシの利いた真っ黒な汁に、主役の甘辛く味付けされた「にしん」のほか、かまぼこ、わかめが載っている。

そばは太目で、濃いめの汁にはこれが良い。

あのメーカーの道内産の素材で作られたというビール、しかも瓶ビールを、そばを食べながらやるのも格別である。

「メシ」は食べる状況により、その味はよくも悪くもなる。

蕎麦の名店といわれるお店ではない観光施設の食堂であるが、自然(原野)に囲まれた環境でとても美味しくいただいた。

 

「北海道開拓の村」は、明治から昭和初期の北海道開拓時代の建物が、移築復元、再現されている。

メイン地区の他に、農村群・漁村群・山村群の三つのエリアがあり、とにかく広い。

ほんの一部ではあるが、写真を載せておく。

 

開拓使札幌本庁舎

「鉄道馬車」も走っていて、乗ることもできる。

 

警察の巡査派出所

 

中学校の校舎

 

森林鉄道の機関車

 

 

 

札幌農学校寄宿舎

 

その他、住宅、旅館、商店、酒造所、医院、鉄工場、倉庫、など多岐にわたる開拓時代の建造物が見られる。

じっくりまる一日かけて観るほどの内容が詰まっている。

北海道とは言えこの暑さには参ったが、「秋の紅葉の時期はいいだろうな~」と思いつつ歩いた。


行きあたりばったりの札幌グルメ旅

2024-07-20 | 旅行

今回は、航空券とホテルのみは確保したが、それ以外は何も事前の計画なしで2泊3日の札幌への旅をしてきた。

東京と比べると暑いとはいっても、梅雨がないといわれる札幌は、じめじめした感じが無いのがありがたい。

北海道のおいしいものを食べるのが目的のひとつでもあり、何よりの楽しみだった。

 

 

新千歳空港に着き、案内所に立ち寄り、まずガイドブックを手に入れ目を通す。

過去に訪れたことがない「羊ケ丘展望台」が目に留まり、行ってみることにした。

雄大な景色を見渡せる丘にはクラーク博士の像があり、同じポーズで写真を撮る人が列をなしている。

資料館に寄り解説のパネルを読むと、「Boys be ambitious」という有名な言葉の後に、「like this old man」と続いていたようなことも書かれていた。

 

 

羽田からの飛行機が遅れたこともあり、羊ケ丘の散策のあと、札幌市内に戻ると夕方になっていた。

今回の旅で食べたいものとして「寿司」、「ラーメン」、「スープカレー」の三つは絶対にはずすまいと決めていた。

初日の夕食は、幸いにも泊ったホテル(すすきの)のビル内に、「はなまる」というお寿司屋さんがあり予約もとれた。

人気があるらしく、開店前に何人かのお客さんが、お店の開くのを待っていた。

 

店内にはカウンターとテーブル席があるが、テーブル席に案内された。

まずはビールのお供に、マグロ、サーモンの他、私の好きなほっき貝、つぶ貝が載った刺し身の盛り合わせを造ってもらう。

「生だこ」の頭など、珍しく入ったという、普段お目にかかれないものも・・・。

 

その他、つまみになりそうなものとして、薄く味付けされた時期の「しま海老」、そして「蛸の吸盤」などもいただく。

海のもの以外では、野菜のかき揚げが大きくカットされた野菜の甘みが感じられ、これもおいしかった。

 

ビールで一息ついたら、お寿司に行こう。

カウンター以外(テーブル)の客は、手元の用紙に、ネタ・ワサビの有無・個数などを書いてスタッフに渡す。

お寿司は、それぞれのテープルに、お皿で届けられるシステムになっている。

 

「ウニ」は、シャリとたっぷりのウニを海苔で包む、初めて食べるやり方だった。

ホンマグロの赤身、新鮮な「ほっき貝」や「つぶ貝」も刺身とはまた別な美味しさを感じる。

 

偶然ではあるが、以前、納沙布岬に行ったとき、根室で入った寿司屋さんもこの「はなまる」さんだったように記憶している。

とても混んでいた印象が残っている。

札幌「すすきの店」でも、新鮮な魚介がリーズナブルな価格で楽しめた。

私たちが帰る時も、店頭には、何人かのお客さんが席が空くのを待っていたのもうなずける。


「大宰府」と「太宰府」

2024-06-01 | 旅行

今回の福岡への旅で、新たに知ったことが一つある。

自らの勉強不足であって、「だざいふ」は「大宰府」と「太宰府」が使い分けられているということを知らなかった。

大の字の中にチョンと「、」が入っているか否かの違いである。

 

宰府政庁跡」は、7世紀後半から九州に設けられた行政機関で政治、外交、軍事を担っていた役所「大宰府」の跡とのことである。

現在は広大な地域が整備され、芝生の中に左右対称に並んでいたと思われる建物の礎石が残っている。

こちらの遺跡に関する記載は「大宰府」と表記され、「大」の字が使われている。

 

南側の入り口付近。

日頃はせま苦しい環境にくらしているので、とにかく、この広さは気持ちが良い。

 

東側の「脇殿跡」から「正殿跡」の方向を望む。

左右対称に整然と建物が並んでいた様子が見てとれる。

 

「正殿」のあったところは一段高くなっている。

礎石はそれぞれ整形された大きな石であるが、一部は斜めに傾いてしまっているのもある。

 

「だざいふ」の文字の話に戻る。

「大宰府政庁」とは異なり、その他の地名や施設名などは「太宰府」と「、」のある「太」が使われている。

例えば、「太宰府天満宮」は「太」が使われている。

 

旅行の間に入手した、パンフレット、遺跡マップ、路線図、時刻表などを見直してみた。

調べてみた範囲では、「大宰府政庁跡」に関する箇所だけが「大」が使われている。

他は、太宰府市、西鉄太宰府(駅)、太宰府天満宮など、いずれも「太」が使われている。

少なくとも、二つがはっきりと使い分けられていることは判った。

但し、もともとの理由までは分からないので、それは自分への宿題にしておく。

地元福岡の方や歴史に詳しい方からすれば、笑ってしまうような話題であろう。


城下町「大洲」の城下町をぶらり

2024-04-01 | 旅行

大洲城見学が目的の大洲ではあったが、時間の許すなかで歴史の残る城下町を歩いた。

そこには古い町並みが残り、時代を遡ってぶらり散策するのが楽しい。

 

まずは必見と言われた「臥龍山荘」。

明治の貿易商が余生を過ごす場所として造らせた山荘で、国の重要文化財に指定されている。

名工の手になる「臥龍院」は類い稀な名建築とされる。

 

庭園の奥、肱川の崖の上に建つ「不老庵」

 

庭園に立つと、足下には静かに肱川が流れる。

 

臥龍山荘を出て、肱川の南側に広がる街のぶらぶら歩きを楽しむ。

「大洲神社」へ登る石段の脇に立つ大きな灯明「昭和燈」。

昭和天皇即位を記念して建てられたもので、煉瓦の煙突が基礎となっているそうである。

 

「おはななん通り」は、NHKの朝のテレビ「おはなはん」のロケが行われたところだという。

といっても、世は令和。

若い人には「おはなはん」といっても、「なに、それ?」という感じであろうが・・・。

 

界隈には古い建物が残り、リノベーションされ宿泊施設として営業しているところがある。

 

「おおず赤煉瓦館」は、明治のころの銀行だった建物だという。

壁面が赤煉瓦、屋根が瓦の和洋折衷の珍しい建物が今に残る。

 

どこへ旅した時もそうであるが、その街を去るときには後ろ髪引かれる気分になる。

この大洲の街も、もっと時間をかけてを歩きたかった。

まだまだ見るべきポイントは多い街であるが、時間の制約もあり次の目的地「松山」へ向かう。


わずかに残っていた「ハマナスの実」

2023-11-03 | 旅行

 

根室半島の北側、納沙布岬に向かう途中に広がる「北方原生花園」。

6~8月のころなら、一面、様々な花が咲き乱れる楽園・・・ということであるが。

今の季節は人の姿も稀であり、広大な草原を独り占めしている気分になれる。

歓迎してくれたのは、放牧されているポニーの落とし物(糞)と、わずかに残ったハマナスの実であった。