野鳥も徐々に人に馴れてきて、私が池に近づくと、「エサをちょうだい」とカルガモが泳いでくることもある。
枝にとまっているキジバトも、ご相伴にあずかろうと舞い降りてくる。
自然界の生き物は、人の手を借りずに生きていくのが本来の姿であろう。
エサをとるのは野生の動物たちが具えるべき大事な能力である。
生まれ、成長し、カップルを作り、子を産み、育てる・・・。
人が手を出さなくとも生き抜いていける力を備えてほしい。
野鳥も徐々に人に馴れてきて、私が池に近づくと、「エサをちょうだい」とカルガモが泳いでくることもある。
枝にとまっているキジバトも、ご相伴にあずかろうと舞い降りてくる。
自然界の生き物は、人の手を借りずに生きていくのが本来の姿であろう。
エサをとるのは野生の動物たちが具えるべき大事な能力である。
生まれ、成長し、カップルを作り、子を産み、育てる・・・。
人が手を出さなくとも生き抜いていける力を備えてほしい。
「歌舞伎」を観てきた。
初めて観る本物の歌舞伎である。
知人がチケットを購入したが都合で行けなくなり、それをいただいたものである。
舞台近くの「1等席」で、中央に近い、とても良い席であった(観劇料は高い)。
今回、三つの出し物があった。
伝統的な歌舞伎、新歌舞伎、かわいい役者の初舞台、それぞれ特徴があり、事前にパンフレットを読んでストーリーの概略を頭に入れておいた。
イアホン付きのレシーバーを借りて解説を聴きながら観たのだが、江戸歌舞伎の様式美といわれる最初の作品は難しかった。
ところどころで「○○屋~!」と、いいタイミングで声がかかる。
私はずぶの素人のため、拍手するタイミングさえつかめず、いい場面でどっと沸く拍手にもついていけない。
役者さんの演技、華やかな衣装や舞台装置、太鼓や三味線の奏でる音楽など、理解できると「歌舞伎」は面白くなるのであろう。
まわりのアジサイの色が徐々に濃くなり、池にはひとつ、ふたつ、睡蓮が咲きだしている。
この花をきれいに見るのなら朝のうち。
水面に敷きつめられたような丸い葉の中、ところどころに浮かぶように咲く。
生き生きとしているが、午後(夕方)には疲れたように眠って(閉じて)しまう。
G7サミットが広島で始まった。
各国指導者がそろって、「広島平和記念資料館」や「厳島神社」を訪れられたことも報道されている。
何年か前に広島を旅行したとき、宮島の厳島神社に参拝後、弥山(みせん)に登った。
頂上間近に立派なお堂(霊火堂)があり、いろりには赤く炎が燃えていた。
弘法大師が修行の時焚いた護摩の火が燃え続けているもので、現在も「消えずの火」として護られているという。
弘法大師はきっと、争いのない安寧な世を祈っていたことであろう。
弥山の「消えずの火」から採火された炎は、広島平和記念公園の「平和の灯」の種火のひとつとして使われたそうである。
「消えずの火」は「平和の灯」となって、ヒロシマに燃え続けている。
散歩の途中、遊歩道の脇に、小さな「モミジ」が見つかる。
昨年の秋、竹とんぼのようなタネが風に吹かれて木を離れ、ここに着地して芽を出したものだ。
集中してそのあたりを捜してみると、いくつか見つけることができる。
まだ双葉の一枚をつけた状態のもの。
小さいながらも、もみじの木らしくなっているもの。
これからどこまで頑張って成長できるか。
散歩の人や犬に踏まれてしまう。
雑草といっしょに刈り払われてしまう。
夏の日照りと水不足・・・等々の苦難が待ち受けている。
一本でも、二本でも大きく育ってほしいが、残念ながら、周りには自力で大きくなった木はないようである。