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唯物的なマスコミの餌食になるな!

2020-05-23 11:01:40 | 日記

私は自分が考えていることが

正しいか間違っているかについては、

かなり気にする質なので、

再考するとか調べてみたりよくする。

まして自分の信仰している神が

本当に神であるのか、

それとも偽りの神であるかについては

自分の‟いのち”の問題であるからして、

それこそ一命を賭して検証する必要アリと考えている。

このことは、

徹底的な自分への問いかけが必要であり、

これをやっていくと‟神の子実相”が

次第に真相を顕わしてくる。

一番大切な問いかけが

本当の神とは何か、

である。

ヴァチカンのローマ法王が中国に影響され、
中国と深い関係にあるというニュースは、

ユーチューブで知らせているが、

こういうことはよくあることで、

マスメディアは金儲けがないと生きていけないから、

知らず物質主義の(神性無視の)報道ばかりするので、

われわれもいつの間にか唯物論の手中にはまっていることが

よくあるのである。

戦後日本の大問題である。
価値観が全く異質な思想(唯物論)は警戒すべきだ。
常識が通用しないからだ。


目に見えるものは心の影で本当にあるのではなく、目に見えない”輝く神の生命”があるのである。

2020-05-23 10:28:58 | 日記

藤原敏之先生のユーチューブ動画でのお言葉を、

タイトルに掲げたが、

このことについて

谷口雅春先生のご文章がありました。

目に見える現象はナイのです。

目に見えない実相が実際にはあるのです。

この単純なように見える簡潔な真理こそが

谷口雅春先生の説いた真理であり、

釈迦とキリストが説いた真理であるのに、

多くの宗教家は複雑な自分の用語で解釈する結果、

かえって分らない別物と化してしまうのである。

(如意自在の生活365章 谷口雅春 日本教文社)

【今あなたは神想観を実修して、眼をとじ、肉体の不完全さを見ず、ただ実相の完全さのみを見るのである。そして肉眼の状態はただ自分の過去の”想念の影”であって、それは仮の相であって実相ではないことを知るのである。仮りの相は、本当にアルのではない。ただ実相のみがあるのである。実相は‟神の子”であり、霊的実在であるから、いかなる黴菌にもヴィールスにも冒されず、気候の変化にも、水質の変化にも、風土の変化にも冒されることはないのである。ただ神の生命が輝きながら自分の内部に充ち満ちている実相をわたしは見るのである。】

 

 

 


人間が神の自己実現であり、‟完全なる神”の表現のセンターであるならば、どうして不幸、災難、貧乏、病気等に悩むことがあり得よう。

2020-05-23 09:54:18 | 日記

神は唯一の創造者であり、

神は愛深く、

智慧無限にして、

その完全なる智慧によって、

愛に背かざる完全に調和せる世界を創造し給うたのである。

一言でいえば、

「神の御創りになった世界に不完全があるはずがない」

ということである。

これが事実なのだ。

一切の不幸は「物質アリ」の思い違い、考え違いから

生じたことなのだ。

神と神の創造せる世界には完全さがあるのみなのだ。

だが問題は「どうすれば神の国はあらわれるか」の

方法論である。

このことは私は谷口雅春先生のご著書と

アディントンの『奇蹟の時は今』を使って、

神想観を実修しつつ探究中である。

やはり祈りが鍵なのだ。

(如意自在の生活365章 谷口雅春 日本教文社)

【われわれの知らなければならないことは、病気にせよ、不幸にせよ、災難にせよ、現実の眼で見れば存在するがように見えているけれども、その実は存在しない(実在に非ず)ということである。何故なら、神は唯一の創造者であり、神は愛深く、智慧無限にして、その完全なる智慧によって、愛に背かざる完全に調和せる世界を創造し給うたのであるからである。すべてのまたは不調和は、人類意識の暗示によってある”かのごとくあらわれているにすぎないのである。わたしたち生長の家人は実在する不幸と戦うのでもなければ、実在する病気を癒やすために思念するのでもないのである。人類意識の催眠術から眼ざめるために、実相の完全な相を念ずるのである。人間が神の自己実現であり、完全なる神の表現のセンターであるならば、どうして不幸、災難、貧乏、病気等に悩むことがあり得よう。】