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ウォーキングでの帰途浮かんだ言葉

2019-01-23 19:07:36 | 日記
図書館で
いつものように聖経『四部経』の黙読10回と、
聖典『神癒への道』50頁を読書しての帰途、
浮かんだ言葉があったので
立ち止まって書き留めた。
「人間は“神の子”であるから、いつも神と共に在る。
“神の理念”であるから“生命円満完全”」
この書き留めた言葉は、
しばらく唱え続けようと思う。

尽十方世界はこれ一顆明珠

2019-01-23 11:09:26 | 日記
宇宙が丸ごと人間の“生命の実相”であることについて
正法眼蔵に記述がありました。
紹介いたします。
(正法眼蔵を読む 一顆明珠の巻の巻 谷口清超著)
【<会を用いて何かせん>
このようにして道を会得して後、玄沙は人に対してこのように法を伝えた。「尽十方世界はこれ即ち一つの光り輝くところの珠である」と。するとある時一人の僧が、こういって問うた。「先生は“尽十方世界は一つの明珠である”と言われましたが、これはどのような意味でしょうか」この問いに対して、師はこう答えられた。
「尽十方世界はこれ一顆明珠。会を用いて何かせん」
十方世界の実相は一顆明珠、すばらしい珠なのだ。それを会得したからどうのこうのというものではない。どっちに転んでも、それは一顆明珠なんだというのである。】

信の形成に伴って現象に神が現われる

2019-01-23 10:17:36 | 日記
人間は“神の理念”である。
神の設計図という言葉は
“理念”と言う言葉の理解には必要であるとしても、
“神の子”の理解には別の言葉もある。
“神の心”というか“神の言葉”というか
神の心に浮かんだ永遠なる観念的実在が“神の理念”である。
つまり“神の子”とは“神の理念”である。
神の“心的存在”であり、
久遠の実在だ。
勿論目には見えず、
時間空間を超えた不滅の実在だ。
これこそが人間の本体である。
これは人間の心の奥の奥に
人間から離れずに(何故ならこれこそが本当の自分であるから)、
神と共に実在しているのであるから、
このことを信じ、
この“神の子”にすべてお任せしてしまえば、
よいのである。
絶対の安心感が得られ、
神癒はここから始まる。
「神を信じること」イコール「神の子を信じられること」である。
すべて「信」が形成されて
“神の子”の素晴らしさが
現象化されるのである。

「現象なし」を抜きにしたら、雅春先生の目的に反する

2019-01-23 09:47:21 | 日記
谷口雅春先生は
“生命の実相”のみ教えで人々の人生苦を救うために、
一生を捧げたのである。
ところでこのみ教えは「現象なし」の悟りを前定条件とする。
ところが多くの信者は
この「現象なし」が理解できない。
そこで「現象なし」を理解することなしで
谷口雅春先生を理解したつもりで
これが人類光明化運動と称している。
「現象なし」の真理を踏まえない雅春先生理解は
雅春先生の“生命の実相”の誤解である。
谷口雅春先生は
キリスト教の新約ヨハネ伝が伝える
“ロゴス”(神の言葉)の真理と
法華経の説く
空なる現象の奥に実在する“真空妙有”の 両方を
踏まえて神から啓示されたのであり
それが
“生命の実相”“人間神の子”の真理である。
この「現象なし」の真理を抜きにして展開される
人類光明化運動や
雅春先生の一方的解釈に基づく運動は
運動として一定の方向性を持つということは出来ても
雅春先生の生涯目的とした人類光明化運動でないことは、
明らかである。
「現象なし」から「実相世界」が浮かび上がるのである。