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「久遠の今」について(その2 肉眼を超えて存在するものが本当の人間)

2019-01-29 09:57:18 | 日記
私たちが「実相」とか「神の子」とか「神の理念」とかと
呼んでいるもの、
さらに『甘露の法雨』には
「神の心」と書かれているもの、
つまり第一創造の『人間なるもの』
これは無時間・無空間の世界に存在しているのです。
つまり私たちの本体は
この無時間・無空間の世界に
たった今も存在しているのです。
(参考 神癒への道 谷口雅春 日本教文社)
【イエス・キリストは『我は神の子である。永遠に死なないものである』こう云う意味を仰っております。そしてそれは単にイエス一人に限られているのではなく『われ行きて汝らに来(きた)るなり』と仰って、我々に宿るキリスト―即ち吾々の本当の生命も「神の子」であって永遠に死なないものであると云うことを示し給うたのであります。又『吾は真理なり、道なり、生命なり』というようなことを仰いましたし、又『吾はいのちの泉である。吾に汲むものは死すとも死せず』とも仰いました。ところが、普通の人は人間というものは自分を肉体だと思っておりまして、肉体がなくなったら人間はいなくなる、斯ういうように考えているのでありますけれども、イエスの教えに依りますと、(それは生長の家の教でもありますが)本当の人間というものは、目に見えないのが本当の人間である。肉眼を超えて存在するものが本当の人間だというのであります。】