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人に宿る神

2019-01-18 10:19:52 | 日記
自分自身のうちに
「絶対者」の国がある。
このことに
先ず気がつく必要がある。
多くの人は
自分の「内」に求めず、
現象に解決を求めるのである。
自己の内に「神の国」があると気が付いた時から、
人の本当の進歩が始まるのである。
(参考 人生は心で支配せよ 谷口雅春 日本教文社)
【人間自体のうちには、未だ発見されざる「絶対者」の国がある。人間のうちには「見えざる者」「不可知の者」「不変なる者」「永遠なるもの」「完全なるもの」「円満具足せるもの」及び「表現せんとする者」が宿っている。即ち人間のうちには、一切のものを生ぜしめたところのものが宿っているのである。人間にやどっている生命、愛、及び智慧には未だかつて限りがあった例(ため)しがないのである。如何に人が神の如き力を出そうとも、同じ力はまだまだ残っているのである。人の力は潜勢的には制約はあり得ない。現象には制約がある。しかし、真我としての力は無制限なのである。】

現象は無い(非実在)だが代わりに「目に見えぬ実相世界」がある

2019-01-18 09:51:18 | 日記
現象世界は時間・空間の認識の形式の舞台に
実相“神の子”が目に見える様態を表わして
実相の表現を行う場でありますから、
五官で識別できるものは
表現体でありまして
“神の子”の本体ではなく
“神の子”の映し(投影・影)なのであります。
影は影でありまして
本体ではないのです。
本体“神の子”は
目に見える存在ではないのです。
ですから現象世界は丸ごと、
実相が根幹にあるにしても
人間の「現象の心」の所産であるから、
非実在なのです。
「現象はない」というのは、
本当にあるものではない、
ということなのです。
でも現象の代わりに
目には見えない“実相世界”が
存在しています。
これは“神の心”“神のコトバ”“神の理念”“真空妙有”
の世界であります。
私は目に見えるものは一切無い、
と思えるようになってきました。
じゃあ何も無いの?
ということにはならず、
「実相がある」
ということなのです。
目に見えるものは影(非実在)であるから
無い(本当にあるものではない)のですが、
でもそこには目には見えなくても
影の本体“実相”があるのであります。
まことにこの世は
実相世界(神の国)であるのであります。