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新約聖書「ルカによる福音書」

2019-01-05 20:46:34 | 日記
<第7章>洗礼者ヨハネとイエス
33 洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、
34 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。

真理は汝を自由ならしめん

2019-01-05 10:19:21 | 日記
私は神より啓示を受けて
「神に凭(よ)り頼める者はシオンの山の如くなるべし。動くことなく永久(とわ)に変ることなし」
の聖句を神想観の毎回、
10回ほど念じており、
その後、
「実相円満完全」と唱えつつ
霊なる実相理念世界を観る観を
短時間ですがやります。
かつて一日7回も8回もやらないと安心できなかった神想観の回数は
どんどん減って来て
今は午後と夜で計3回やればもうこれでいいんだと、
いう気持ちになるので、
一日3回になりました。
聖経『四部経』一日10回の黙読は続いていますし、
聖典読み50頁は欠かしません。
真理が大枠で把握出来て来たと言っても
念々心が実相を把持している必要があり、
実相を忘れてしまっては
何にもならないからです。
真理を渾一的に把握した感じになってくると
神様から「完全なる護り」に入りますと、
啓示を時々受けます。
「もう大丈夫ですよ」と
神から啓示され、
安心感をもてるようになります。
現象もそのようになってきます。
次の詩篇第125章の
第2節の2をごらんください。
【第 125 章
1 主に信頼する者は、動かされることなくて、とこしえにあるシオンの山のようである。
2 山々がエルサレムを囲んでいるように、主は今からとこしえにその民を囲まれる。
3 これは悪しき者のつえが正しい者の所領にとどまることなく、正しい者がその手を不義に伸べることのないためである。
4 主よ、善良な人と、心の正しい人とに、さいわいを施してください。
5 しかし転じて自分の曲った道に入る者を主は、悪を行う者と共に去らせられる。イスラエルの上に平安があるように。】
でも実相を顕わすという段階になると
もっともっと多くを期待してよいと
雅春先生は仰っております。
これからなんだということです。
“生命の実相”“人間神の子”の真理は
人が広く知らなければなりません。
今の状態で良い訳がないです。
聖書のヨハネによる福音書8章31、32節に
【31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」】
とあります。
もっともっと自由になりたいですし、
なれるはずです。

求めよ、さらば与えられん

2019-01-05 09:39:41 | 日記
マタイ伝7章7節には
次の有名な聖句があります。
【求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出されん。門を叩け、さらば開かれん。すべて求むる者は得、たづぬる者は見いだし、門をたたく者は開かるるなり。】
マタイ伝7章13節には
次の有名な聖句があります。
【狭き門より入れ、滅びにいたる門は大(ひろ)く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狭く、その路(みち)は細く、之を見出すもの少なし。】

多くの人は問題がある場合に、神に求めず人に求めます。
これが根本的な間違いなのです。自己の内なる神(実相)に求めることを人が本気で始める時に、マタイ伝7章7節のように、神様は道を示して下さるのです。一気に解決法を与えて貰えるわけではありませんが、求め続けているうちに、いつしか解決の方向に進んでいくのです。
だから何か問題のある人は、人に求めるより先に、神に求めなければなりません。
イエス・キリストは
「吾が肉を食らえ、わが血を飲め」と説教して歩いたことを
新約ヨハネ伝は伝えています。
これは人間が『真理キリスト』『ロゴス(神の言)キリスト』なることを悟れ、ということと一緒です。
人が神様に求めることをし始めるならば、即座に神様は「道」を示してくださいますので、神による救いを願う人は、直ちに神に求めることをしなくてはなりません。滅びに到る道は大(ひろ)いのですから。