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信仰の境涯に一切を打ちまかせ!

2019-01-19 10:29:10 | 日記
信ぜよ! 信ぜよ! 信ぜよ!
「信」が勝負であり、決め手である。
「信」が定まらないと、
あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、
何も得る所はない。
何を信ずるのか!
神を信ずるのである。神の愛を信ずるのだ。“神の国”を信ずるのだ。
“実相”を信ずるのだ。
“神の心”を信ぜよ!
「実相円満完全」「神の子円満完全」を信ずるのだ。
(参考 人生は心で支配せよ 谷口雅春 日本教文社)
【信仰の境涯に一切を打ちまかすことは、成功にかくべからざる条件である。信ぜよ! 信ぜよ! 信ぜよ! どん底より情(こころ)を動かせ” 知れ! 「知ることは力である」。諸君は自分が真理を自覚したと云うことを情の底より感じたとき、そしてそれを知った時、諸君は成功の山巓へ半ばまで登ったのである。諸君は幸福である。そしてそれは神の如き幸福さである。そこにはもう退転のおそれはないのである。諸君の魂の楯(たて)の上にこの一語を書いて飾りとせられよ―「吾れ信ず」と。他に何等の標語も要しない。】

自分を中心とした環境を含め宇宙一切事物を存在させている実在~これこそが“生命の実相”であり“神の子”である

2019-01-19 09:47:14 | 日記
昨晩、トイレに起きた時に、
自分を中心とした宇宙丸ごとが
自分の“生命の実相”の展開なのだと
気がついた。
だから現象世界には
見えないけれども、
その奥に“実相世界”があるのであって
これは「真空妙有」とか「神の理念」とか「神のコトバ」とか
いずれも同一内容を現わしているが、
雅春先生が発見された“生命の実相”の真理は、
本当のことなのであるが
きちんと把握できるためには、
キリスト教からのアプローチと
仏教からのアプローチがあると
大変有効であると
私は考えている。
深い深い宗教的哲学的内容であるからだ。
唯神実相哲学は
やはりそれなりの手順の探求で
獲得されるものなのだ。