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聖癒の根本原理

2019-01-04 12:17:47 | 日記
アサガオの実相である実相アサガオは
芽、茎、葉、花、種のみでなく
アサガオの環境である土も
空気も水も
一切合切を含むのである。
一切を含んだものがアサガオの理念であり
アサガオの実相であり霊である。
人間の場合が
人間の実相である“神の子”が現象展開するのであるから、
家庭も、家族も、職場の人たちも
また自然環境も、太陽や星や、木々や、
要するに誕生してから出あう一切の人間関係、自然、等、
全部“神の子”理念の展開であり
霊なのである。
だから現象世界は全て霊であり、
目に見えない実相理念が貫通している。
実相世界が神の国であるから
現象世界も神の国である。
「現象世界が神の国である」と分った時に
神様の側から
完全なる護りが現実的に
私に与えられる感じになったのであった。
今日の投稿内容と直接の関係はないが、
一つ特筆すべきは神想観で実相を観じる際に
“神の子”理念である実相を
ちょうど実相理念としての霊なるアサガオを観じる感じで
実相人間がいっさいに展開する前の大元の霊を観じるようにしたのである。
はっきり書けば「実相人間」を「霊なるもの」として
観じ始めたのである。
念ずる言葉は「実相円満完全」「神の子円満完全」「生命円満完全」であるが、
霊を観つめる感じでやるのである。
これは大きな効果があった。
これはお伝えしたいことだったので、ここで書いてしまった。
(参考 人生は心で支配せよ 谷口雅春 日本教文社)
【「神は一切であり、渾てである」―これは「聖癒」の根本となる哲学である。これは吾が哲学の「聖癒」を行うものの確信である。その真理が実現してはじめて健全は獲得されるのである。吾等は宇宙の究極的本質が物質ではなく霊であること、一時的なものではなく恒久的なものであることを知らねばならない。本質の深い所には神がいますのである。種子のうちに生命の胚子が存在し、樹液の中に生命の原理が存在しないならば、植物は決して発生しないであろう。それと等しく、この宇宙もその根底に永遠なる霊が活機臨々として存在することによってのみ存在しているのである。使徒パウロが言ったように、神は一切であり渾てであるが故に、すべてのものは神に従属しなければならぬのである。】