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生活の中で真理を生きる

2016-06-16 22:31:38 | 日記
イエス・キリストは
現象世界で日常の出来事に苦しむ弟子達に
「信」のなさについて
「汝信仰の薄き者よ」と嘆いておられる。
そして「み名を信ぜよ」と
説いて回った。
「み名」とは「神の言葉」つまりロゴスのことだ。
「神の言葉」世界は
実相世界のことである。
「万物は神のコトバ」なのが実相だ。
この事実を素直に信じ切れれば
実相が顕われるはずだ。
この実相を実相の悟りによって
パッとわかったと言う人を
何度も聞いたことがある。
でも私にはそういう体験はまだない。
でもそういう体験がないからといって、
実相がわかってない、悟ってないというのも、
少し違う気がする。
人間も、この世界もロゴスであるとはっきりわかり、
だから円満完全であることを自覚するように
だんだんになってきたならば、
そのような自覚の仕方でも
いいわけである。
頭でわかっただけでなく、
生活にその真理が生きてくるならば、
悟りが生活に生きているのだから、
それでよいのだと思う。
さらに真理を生活に生かしたいと
思うものである。




パン種の問答

2016-06-16 17:47:08 | 日記
<マタイによる福音書第16章>
(16・5―12)パン種の問答
(1) 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
(2) そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。
(3) 弟子たちは、これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろうと言って、互いに論じ合った。
(4) イエスはそれを知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互いに論じ合っているのか。
(5) まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けた時、幾かご拾ったか。
(6) また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。
(7) 私が言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい。
(8) そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った.

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・しるしを求めて近寄ったパリサイ人とサドカイ人を追い返したのち、イエスは弟子たちの中にパリサイ人とサドカイ人のパン種(思想や生活)が混入しないように教えられた。
・5 一行の食糧を用意するのはいつも弟子たちの仕事であった。
・6《パン種》はパリサイ人たちがもっている誤った教え、また悪い感化の意味である。
・7 イエスの警告の意味を理解しないで、弟子たちは食物を持ってくるのを忘れたこと(5節)をとがめられたものと思って、自己反省をし始めた。イエスの言葉によらない自己反省からは創造的なものは何一つ生まれてこない。弟子たちは異邦人の地に行く時は、異邦人の地の食物を口にすることをさけるため自分たちのパンを用意して持って行った。
・8~12 弟子たちはパンのことだけを考え、わずかのパンをもって群衆を養われたイエスのことを考えなかった。この群衆給食の奇跡はイエスの言葉のもつ偉力のしるしである。イエスの言葉は聞く人のうちに十二分の恵みをもたらすゆえに、人はあえてパリサイ人やサドカイ人の教えを必要としないと警告された。
・補足 イエスによらないで、自分自身によって神との関係を成立させようとする努力が《パン種》である。このような努力のためにかえって神との関係を不可能とさせているものがパリサイ人とサドカイ人のパン種である。パリサイ人の偽善、選民意識による高慢、サドカイ人の世俗主義が、彼らのパン種である。