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イエス・キリストのみ名(実相)を飲み込んでしまえ「我が肉を食らうべし」

2016-06-14 23:16:47 | 日記
多くの人は
まだまだ能力があるのに
能力の引き出し方を知らないで、
病気になるとか、
充分に
生きることの喜びを見出せないみたいである。
そもそも
健康の源泉も
喜びの源泉も
全部自分の内にあるということだ。
超越内在の神が
自分の「本当の自分」であって、
それを探り出して
それと一体になれば良いだけの話である。
問題はその本当の自分とどのようにして
一体化できるかである。
イエス・キリストは
「わが名を信ぜよ」と
ヨハネ伝の中で
何か所も言っているのである。
我が名とは
イエスの人格のことであり、
イエスが「神の言」(ロゴス)であるということだ。
またイエスは「我が肉を食らうべし」と言い、
キリスト教会は聖餐式と言って
パン一切れを食べ、ぶどう酒を一口飲む儀式をする。
キリストの肉と血に見立てているのである。
だが本当をいえばキリストが「我が肉を食らえ」と云うのは、
神の国・神の子であるロゴスそのものがキリストであるのだから、
キリストを食らうということは
人間が神の言(ロゴス)という事実を
呑み込んでしまえ、
そのことを「信」ぜよということなのである。
「その名を信ぜし者には神の子となる権を与え給えり」と
キリストが言っているように
ロゴスキリストを食らう者は、
神の子を実現することが可能となるのである。
つまり「信」が決め手となる。

時のしるし

2016-06-14 22:35:25 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第16章>
(16・1―4)時のしるし
(1)<パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、天からのしるしを見せてもらいたいと言った。
(2)<イエスは彼らに言われた、「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、
(3)<また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは、荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか。
(4)<邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう」。そして、イエスは彼らをあとに残して立ち去られた。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・イエスがたしかにメシヤであることを証明するしるしが求められた。12・38では、学者とパリサイ人が組んで、イエスにしるしを求めている。(マルコはサドカイ人を記してないし、ルカはパリサイ人を記していない)。
1 この両派の人々は、その社会的、宗教的立場と傾向がそれぞれ違っていたために、もともと不和の間がらであったが、イエスを陥れるために一時的に成功した。
・2,3 パリサイ人たちは空模様によって日々の天候を正確に観察するがそれに比べて彼らの霊的識見の能力は不正確でゼロであると言われた。《夕方になると、「空がまっかだから、晴だ」》、《明け方には「空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ」》このような空模様による天気の見分け方は、だいたいにおいて世界共通であるが、ルカによる福音書はパレスチナに独特の天気の見分け方について記している。《時のしるしを見分けることができないのか》パリサイ人たちはイエスに聞こうとしないために、自分の罪をみとめることができない、したがって今は悔い改めの時であることがわからない。更にその結果、神の審判が彼らのうえに臨むことに気付かないのである。
・4 しるしを求めるということは、人間が神をためすことで、そのような人間の世界は《邪悪で不義な時代》と呼ばれるのが正当である。《しかし、ヨナのしるしのほかには》神をためすような時代には、神のしるしは与えられない。イエスのしるしをほかにして、どこに天からのしるしがありえようか。