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大水が溢れ流れるときにもその人に及ぶことは決してありません。あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。

2020-08-31 14:40:30 | 日記
詩篇に素晴らしい箇所がありました。
私が毎日感じていることと一緒です。

(詩篇32から抜粋)
あなたの慈しみに生きる人は皆
あなたを見出しうる間にあなたに祈ります。
大水が溢れ流れるときにも
その人に及ぶことは決してありません。
あなたはわたしの隠れが。
苦難から守ってくださる方。
救いの喜びをもって
わたしを囲んでくださる方。

霊の世界には死はない・・・語を換えて云えば、神は世界に争いや死やその他の悲惨が存在することを知ることは出来ないのである。・・・ならば吾等の仕事は?

2020-08-31 11:02:18 | 日記
神は霊であるが故に実相しか見えないのである。
だとすると
実相の不在である不幸等を防ぎ実相世界を広めるには、
人間は“神の子”であり“神の国”に住んでいると知った人間が
まず“実相”を知らせることであるのだ。
“実相独在”の信仰を広めて
人生苦の滅尽をするべきなのだ。
それを人類光明化運動と
いうのである。
神から放れた心が不幸を仮作するのである。
神(実相世界)の存在を人に伝えるのは、
いのちがけの仕事ではある。
でも楽しい仕事だ。幸福な仕事だ。
だが信仰者が為すべき当然の仕事である。
人心救済の仕事だからだ。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春)
【吾々が記憶しなければならないことは、吾々に厭わしいこれらの結果は、制約あるものとして自己及び世界を考える想念に因づくと云うことである。神は制約あるものとして自己及び世界を思考していない・・・それ故神は制約ある世界を意識することは出来ない。語を換えて云えば、神は世界に争いや死やその他の悲惨が存在することを知ることは出来ないのである。「主のあまりに浄き目は不善を見ず」である。が、イエスが「一羽の雀も天の父の許しなくしては地に落ちず」と言ったのは、神は雀の死せることを見ないのである、生きている生命のみを見ているのである。神は霊であるが故に霊を見る。霊の世界には死はないのである。耶蘇(イエス)が引用せることがあるように「われは死せる者の神にあらず、生ける者の神である」と。神にとってはすべてが生きているのである。】



如何に神と結ばるべきかを選択する力が、人の個性を生かす火華(ひばな)であることを知らねばならない。

2020-08-31 10:34:48 | 日記
吾等は
想念の自由を使って
悪を生み出す心と言葉と行動をなすならば、
苦痛の現象があらわれたとしても、
“想念の自由”という神様の賜物を使ってそうなったのだから、
責任は自分にあるのである。
それは“神の子”であるのに
それに相応しくない
想念をした結果だ。
とはいえ
人間は神の子どもであって、
存在の在り方として現に今「理想世界」に住んでいるのだから、
人々に考え方の錯誤の由来と真理とを
知らせる必要がある。
これを谷口雅春先生は
生涯やり続けたのではなかったのか。
さらにまた、
“神の子”を自覚し、
神と人間との親子関係を取り戻す神想観という観法を
伝えてくださったのではなかったのか。
吾等は自分の心の思いが現象化するという心の法則を知ったのだから、
それを正しく使って
幸福が現象化する方法を実行すべきなのだ。
そのためには実相の信仰により、
父なる神と親子関係に入らねばならない。
この関係が成立したとき、
神の万全の守りの状態が現われる。
ただただ神に護られる不思議な毎日が
生涯続くようになる。
先ず真理を知る必要がある。
「実相独在」の真理を
身につける必要がある。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春)
【それ故に、「悪」に就いて思考したことは自己自身のほかには誰も責任がないことが明瞭となるのである。もし吾等が自己の住む世界や環境を厭わしく思うならば、吾等はそれを自己の想念を変化することによって変化しなければならない。吾々の環境は自己所造のものである。そして自己の欲する善きものを引きつけるに相応わしき意識に到達せる瞬間、吾等はその心境にふさわしき環境に移行することが出来るのである。天国とはこの地上において可能なる意識の一状態である。同じき街に住む二人の人でも全然別世界に住むほど異なった世界に住んでいることがあるものである。この理由は一人は常住「不幸」のことのみを考えているのに他の一人は常住「幸福」のことのみを考えているからである。それ故に、如何に想うべきか、如何に神と結ばるべきかを選択する力が、人の個性を生かす火華(ひばな)であることを知らねばならない。】