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放蕩息子の帰還

2020-08-14 23:54:50 | 日記
自分の「内」に父なる神が居るというのに、
その父を忘れ、
自分の人間力のみで生活できるという我の慢心を乱発して
生きてきた。
挙句の果て、
健康に行き詰まり、
その他いろいろと挫折を繰り返し、
やっと神が本当の父だと気がついた。
神想観の中で
父なる神に対して
「私は子でございます。神様の子供でございます」と
はっきり申し述べて、
本来そうであった神様の子供に
戻してもらわないといけない。
はっきりと
父なる神の子どもだと主張し、
認めてもらわないといけない。
そして観の中で
「“神の子”を頂いておりまして
ありがとうございました」と感謝の言葉を述べ、
既に実相を頂き済みであることを
感謝せねばならない。
そして「もう“神の子”を頂いている」という気持ちが起こるまで、
何度も間断なき祈りを
継続しなければならない。

神は我を赦したまいて其の無限の愛もて我を抱き我を包みたまう。我は既に癒されてあり。
神は我を赦したまいて其の無限の愛もて我を抱き我を包みたまう。我は既に癒されてあり。
神は我を赦したまいて其の無限の愛もて我を抱き我を包みたまう。我は既に癒されてあり。

吾等はここにイエスが教えたまいし「運命を招ぶ法則」に着目する―パンを予期する者にはパンが与えられ魚を求める者には魚が与えられるのである。

2020-08-14 09:42:12 | 日記
パンを予期する者にはパンが得られるのである。魚を求める者には魚が得られるのである。
心の法則は峻厳なる法則である。
しかしこの第二義的な法則の上に君臨する、
神の創造の法則(生命の実相の法則)こそが
神の真の法則なのだと
知らねばならない。
私自身が
数えきれないほどの考え方の錯誤の末に、
心の法則を超越できる神の法則を
知ったわけである。
天の父のたまものを得る方法を
神は教えてくださったのである。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春)
【吾等はここに耶蘇(イエス)が教えたまいし「運命を招ぶ法則」に着目する―パンを予期する者にはパンが得られるのである。魚を求める者には魚が得られるのである。更に、吾等がもし石を予期するならば石が得られるのである。天より、吾等のパンは、天に対して吾等がとりし態度に応じて与えられるのである。(社会組織に従って吾等のパンは人より与えらるるが如く見えるけれども、根本的には天より与えられるのである。天より与えられると思う者のパンは無尽蔵であるが、人より与えらるると思う者のパンは有限となるのである。これ思想と運命との相応ずる法則によるのである)それ故に吾等のなさねばならぬことは、吾等の心に孕むところの思想を深化し、拡大化し、よってもって吾等の受け得る力を増大することである。今より吾等はこの宇宙を信頼の念をもって眺めるのである―凡ての物に、すべての人に、そして神への全きを信頼の念をもって眺めるのである。】


吾れはいま万物、万人、および宇宙を司る法則が吾が心を反映するものであると知る・・・それ故に、吾れは万物そして万人のうちに神の「善」の宿るのを見る。

2020-08-14 09:21:19 | 日記
私は全ての人が
神の「善」の宿るのを知る。
それ故、
魂の浄化につとめ、
法則により
吾が心の反映を
全て「善」ならしむるべく
神想観を怠らないのである。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春)
【吾れは善事を求める、善事をのみ求める。吾れは万物のうちに、そして万人のうちに神の「善」の宿るのを見る。神は「善」である。そして吾が求むるもの、吾が思うものを、何よりも先ず与え給う。吾れは神を吾が「愛深き父」「「優しい救い主」だと認める。吾れは凡ての物のうちに宿る神の調和と、宇宙にみなぎる愛の心とを感ずる。神は凡ての者の父でありたまう。それ故に吾れは万人を吾が友、吾が兄弟であると見ずる。誰もこの世界に吾れに敵対する者もなければ、吾れもまたこの世界の誰に対しても敵対しないのである。全人類は吾が親戚であり、吾れは全人類の友である。吾れはいま万物、万人、および宇宙を司る法則が吾が心を反映するものであると知る・・・それ故に、吾れは高き善き想念のみを心に描きつつあるのである。吾れはいま最も輝かしい信仰と、朗らかな情緒とで満ちあふれている。】