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それ故に信仰とは、また、神が今ましまして常住吾等を守り給うと云う確信である

2020-08-18 17:50:45 | 日記
信仰とは一種の心の態度である。
信仰は「光のない空にあらわれて閃く星」である。
信仰があると無しとでは、
運命が全く異なってしまうのである。
信仰とは、
神がいつどこにいても吾等を導き助け給うという確信である。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春)
<吾々は、真の意味の信仰とは心の一種の態度であることを知ったのである。>
【新しき真理の光に照らされて信仰の道に進んで行くとき吾々は事物に関する結論が在来とは全く異う方向に達することに気付くだろう。吾等は最早、信仰をば神秘な不安定な「未来」に、死にもの狂いになってしがみ着いているようなものとは考えないのである。吾々は、真の意味の信仰とは心の一種の態度であることを知ったのである。それは確信に満ちた予期である。それは実際生活に直ぐそのまま使用することが出来るように仕組まれた一種の心的性質である。それは教条でも宗教でもない。それは弛みなき確信である。信仰は直ぐ現在と、未来とに関係しているものである。それは論理及び経験による普通のいわゆるテストを受け得るような実験証明の域に到達している知識ではないが、恰も実験証明されたる如き確実さをもって信ずるのである。】
<それ故に信仰とは、また、神が今ましまして常住吾等を守り給うと云う確信である。>
【それ故に信仰とは、また、神が今ましまして常住吾等を守り給うと云う確信である。そは真暗な小路に吾々がさ迷い入ったときに、吾々を連れ出してくれる翼の生えた精霊である。吾等はこの精霊に従うとき光の世界へ出ることが出来るのである。信仰は、また、光のない空にあらわれて閃く星である。信仰のある人にはその星が行く道を照らしてくれるが、信仰のない人には、その行く先は真暗である。】

信仰は実際的な実務の世界に実用に供し得るものだ。何故なら天国とは現在であり、吾らは天国の幸福を現在享受し得る特権を与えられているからである。

2020-08-18 17:33:57 | 日記
“生命の実相”の真理のさとりから得られる現実人生での幸福を、
アディントンもエメット・フォックスも谷口先生も
実際に実人生において得られると
伝道したのである。
実相による幸福は現世において享受できるために、
伝道すべきであるのだ。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春)
【が、信仰は決して、光栄ある曖昧なる未来を啓示してくれるための特殊不可説な神秘なものではないのである。それは理性と同様に心の一種のはたらきである。それは可能に属する事物を吾々に感じさせてくれるところの一層高い一層微妙な感覚に属する認識力である。信仰は固定的なものではない。吾々は固定した宗教について語ってはならない。何故なら信仰は常に吾が先頭に立って進んで行くからである。昨日の信仰は今日の経験となり、明日は歴史となってしまうのである。信仰によって多くの発明はなされ、信仰によってパナマ運河は開鑿(かいさく)せられたのである。又、信仰によって近代の科学は多くの星辰を発見したのである。科学上の大発見の多くは信仰は導かれた冒険に伴うてなされたのである。科学は暗闇の中で仕事をしない。信仰の光に照らされて行われる。信仰はこのように現在の実用に供するために与えられた心の一性質である。それは商人に対しては実業上の遺産となる~信仰を有する商人を目先の利いた商人だと吾々は言うのである。それは探検家にとって行く手を照らす光となる。それは事物がやって来るまでに、それが来るだろうことを予知する力であり、来る筈であることを予覚する力である。吾々は信仰をば実際的な実務の世界に実用に供し得るものだと期待している。何故なら天国とは現在であり、吾らは天国の幸福を単にやがて来る希望としてではなく、現在享受し得る特権を与えられているからである。】