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諸君は独立不羈となり何物にも凭(よ)りかかってはならない。何物かに凭りかかるならば、相手の動きによって、諸君の幸福は浮雲のようなものとなる。

2020-08-26 10:18:38 | 日記
吾々は自己の内なる(神の子)以外の何物にも凭(よ)りかかってはならないのである。
もし吾々が何物かに凭りかかるならば、
相手の動きによって
吾等の幸福は浮草のようなものになるのである。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春)
【諸君は自己の幸福を他の人もしくは物から得ようと、外物に依頼心をおこしている間は、最大の幸福は得られないのである。諸君は独立不羈となり、何物にも凭(よ)りかかってはならない。もし諸君が何物かに凭りかかっているならば、凭りかかっている相手の動きによって、諸君の幸福は浮雲のようなものとなるだろう。諸君は境遇の奴隷となるだろう。諸君は外なる友達や事物がなくても生活出来ると云う事を知った時、はじめて友達をしみじみ味わい、事物をしみじみ味わうことが出来るのである。】

被治療者の実相を観じていてもすぐに結果がでないこともあるが、潜在意識に植え付けられた種子は種子みずから生長をつづけ良い方向に向うのである。

2020-08-26 10:03:25 | 日記
毎日人の健康を祈っていても
直ぐに結果が出ないこともあるが、
潜在意識は少しずつ変化して
善い方向に向っているのである。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春)
【さて、この内部に行われている進歩は常に自覚し得るものだと考えてはならない。潜在意識に植え付けられた種子は種子みずから生長をつづけるのである。もし諸君が心の内に「聖癒の力」が宿っていると云う確信の種子を播くならば、そしてその確信が特に現在なやんでいる故障が癒されつつあると云う確信であるならば、「聖癒」の過程は自覚されないままで進捗(しんちょく)しつつあるのである。その間にも、時には求むるところのものが去ってしまったと思われるような抑鬱の状態に襲われることもあろう。しかしそれにも拘わらず、潜在する意識のうちに、健康と幸福とのたゆみなき傾向さえあれば、「聖癒」の過程は見えぬながらに進んで行きつつあるのである。他人治療を霊的になし得るのはこの理由によるのである。被治療者が表面の意識においては依然としてまだ病気に苦しみ、不幸に悶えているにもかかわらず、治療家は、相手の見えぬ所の意識に「聖癒」の種子を播いて、その種子の生長を眺めるのである。彼は病人の現在の病気を見ず、内なる種子が完全に健康に生長し行きつつある事のみを見るのである。】