神への絶対他力の無条件降伏である。
これは実相への全托である。
神の創造した完全世界しか
存在していないのだから。
(参考 奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春訳 日本教文社)
【以上の症例に於いてそれを貫く最も支配的な真理はこう言うことである~これを判断するのに人間的基準をもって判断するよりも寧ろ“神の義”の基準によって判断しなければならないということなのである。人間的基準をもってすれば、神の力に全托すれば治るなどと信ずることはまことに非常識な滑稽なことだと思うことの方が非常に優勢に見えるときですらも、完全に全能者たる神に無条件降伏しなければならないのである。重態で、瀕死の幼児を神の祭壇に人身御供として献げることは多くの人々にとっては、無条件全托の信仰原理をあまりにも劇化する行為だと見えるかも知れない。併し、われわれ人間にとっては、少しも人間的執着なく完全に執着の把みを放って神委せの解脱心境にならしめるためには劇的な宗教行為を時々必要とするのである。人間力が極限に達して、もうどうにもならないときが、神の救いの出現する機会なのである。】