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完全に神委せの解脱心境になろう

2019-12-26 21:20:10 | 日記

神への絶対他力の無条件降伏である。

これは実相への全托である。

神の創造した完全世界しか

存在していないのだから。

(参考 奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春訳 日本教文社)

【以上の症例に於いてそれを貫く最も支配的な真理はこう言うことである~これを判断するのに人間的基準をもって判断するよりも寧ろ“神の義”の基準によって判断しなければならないということなのである。人間的基準をもってすれば、神の力に全托すれば治るなどと信ずることはまことに非常識な滑稽なことだと思うことの方が非常に優勢に見えるときですらも、完全に全能者たる神に無条件降伏しなければならないのである。重態で、瀕死の幼児を神の祭壇に人身御供として献げることは多くの人々にとっては、無条件全托の信仰原理をあまりにも劇化する行為だと見えるかも知れない。併し、われわれ人間にとっては、少しも人間的執着なく完全に執着の把みを放って神委せの解脱心境にならしめるためには劇的な宗教行為を時々必要とするのである。人間力が極限に達して、もうどうにもならないときが、神の救いの出現する機会なのである。】


神の創造に不完全なし

2019-12-26 20:51:50 | 日記

神の創造に不完全なし、

よってこの現象の世も

不完全なしである。

不完全は思い違いである。

(参考 奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春訳 日本教文社)

【わたしが今まである人にとって心霊治療と称すべきものを施して来たところの事は、現象にあらわれている色々の症状から心を一転して「この人は時間の始めから聖なる完全なる“霊的実在”であって常に神の愛によって取り囲まれているのだ」という実相を観て、心にそれを見得することにしたのであった。病気とか貧乏とか、何かの不足とかいう不調和の現象は、彼に関する“真実在”ではないのである。真実在でないところのものには何の積極的力も無いのであるという真実を心に諦視して、それを見得することにしたのだった。表面にあらわれて見える現象の状態というものは、その人間を座標として視たるところを基礎としたところの判断なのである。そんな偏った座標から視た判断に頼らないで、私は“人間神の子”という真理に基づいた適正な判断に頼ることにしたのである。人間が肉眼で見て「事実」と称するところのものは、「実相」であると信頼し得るものではないのである。「実相」は「事実」を超越しているのである。】


すべての人が「法華転法華」をします。

2019-12-26 11:28:34 | 日記

すべての人が

始めは法華(法の華つまり実相)に転ぜられて迷います。

「法華転」です。

でも“実相”という生命の在り方、つまり真理に目覚めると

「転法華」する側になります。

真理を人に伝えるのです。

すべての人のこの存在の在り方を

「法華転法華」と申します。

 

(参考 正法眼蔵を読む 行持の巻 谷口清超著)

<西来東土>

 中国の禅宗の初祖、達磨大師がインドから支那に渡来されたのは、達磨の師である般若多羅尊者の御指図によるものであった。航路3年の歳月を経、その間はげしい雨風にさらされたのみならず、雲はるかなる海上で、どんなに激しい荒波にもまれ続けたことであろう。まだ見たことも聞いたこともない他国に行って教えを伝えようとするのであるから、身命を惜しむ凡人では、思いもよらぬことだ。これひとえに仏道を伝え、迷える人々を救わんとする大慈大悲の行持であると言うべきである。真理を伝えることが、自己本来の姿であるからこうなるのであり、伝道が即ち全てであるからそうなるのである。


蚕の一生が教えてくれる人間の生

2019-12-26 11:09:47 | 日記

蚕の一生は

人間の生というものを

教えてくれます。

素晴らしいです。

 

(参考 真理第二巻 第6章 生命と智慧とへの出発)

<人間の生命にも色々の時代がある>

 蚕がまだ芋虫のような状態であるときには、彼は、桑の葉が最も美味なる食物であり、それを食べる事が、彼の最も大なる関心事であったのである。そのうちにかれは桑の葉を食べるのに興味がなくなってくるのである。彼は何もたべないで、口から美しい糸を吐き出しはじめる。これは聖なる生命の内部からなる催しなのである。人間も或る時代には物質を求める仕事に熱中するのであるが、それがトンと興味がなくなる時がくる。それは既にその仕事によって得られる魂の経験を卒業したのである。桑の葉を食べる時代は物質を得ることを喜ぶ時代である。口から絹糸を出す時代は他(ひと)に良き物を与えるのを喜ぶ時代である。その時代が過ぎると、かれは羽が生えて羽化登仙する。人間の魂も、これに似た時代を通過するのである。