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無時間無空間の奥にある「久遠の今」は動的理念(仏世界)

2019-12-17 23:01:44 | 日記

実相のいのちが
不生不滅の実相世界で
永遠の向上をしています。
実相世界は無限向上の理念(仏世界)であると
言われます。
人間は実在としてこの実相世界を本体としていますが、
五官的存在として
頭脳を使って
一見あるかの如く見えている時間・空間世界に
本来のものなる“神の国”を顕の世界に実現するために
この世に一見母から生を受けたみたいに
感じる在り方をします。
しかし現象世界が実は物質世界でなく、
(見えない)神の国であると知った時に、
途端に観の変換があり
現象世界が物質世界でなく
実相世界(神の国・理念世界)であると分り、
この現象の世が
素晴らしい生きる価値ある世界に
変貌するのです。
(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)
【実相に於いては吾々は生れることなく死することなき存在であります。吾々が女性の子宮から生れたというのは、要するにそういうような幻を心に描いただけであります。描くというのは生命が振動して、その振動の波によって空間のない世界に空間を幻術師の現す蜃気楼のようにパッと映し出したのであります。そして吾々は空間を無限の点の連続であるかの如く考えておりますけれども、無限の点があったら、ツェノンを俟つまでもなく、結局は吾々はそれを通過する事が出来ないので、空間的ひろがりはないものである。時間的にも空間的にも何にもない。無時間無空間の奥にある「久遠の今」というものが、それが自分の生命であります。そこでは一切の時間空間は皆一点に掴まれているのであって、吾々はその「久遠の今」の一点において自己の生命の振動によって一切のものを創造しつつあるのであります。】


実際は現象的な時間も空間もそんなものはない。現象は生命の振動そのものである

2019-12-17 19:44:50 | 日記

「人間・神の子」の自覚より、
「神の子・人間」の自覚に入ってくると、
視えない「いのち」としての‟神の子”が
振動によって現象展開しているのだと
分ってきます。
(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)
【実際、空間的“ひろがり”というものは、ここからここまで本当にひろがっているのではないのであって、実は‟ひろがり”はないのです。ひろがりがないのにひろがりありと見ているのです。無空間なのであります。ただ無空間上に生命のみがある。無空間の生命であるから分割することが出来ないのであります。従って、実は「彼」と「我」と云うが如く全然別々の存在はない。彼も我も唯一神の心の中にある観念的存在なのであります。それが心の波に依って活動写真を映すようにひろがって、空間的存在としてひろがりがあるように見えるのであります。そしていのちの振動に依って時間的流れがある様に感じられているのであります。実際は現象的な時間も空間もそんなものはない。(現象無の哲学)吾々は大きさもなければ目方もないし、何年何月から何日まで生きているというようなそんな短命な存在でもない。時間を超え空間を超えたところの「久遠の今」の生命~それが人間であるのであります。ですから人間は死なないものだと云うこことが出来るのです。】