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すべての人に宿っている「共通の心」(神の心)

2019-12-20 19:56:14 | 日記

ここでは大事なことが三つ書かれています。
1一人一人の環境はすべて「ただ一つの生命」がそれに想念の波を印象したことによって、現象界に浮び出て来た所の姿である。
2すべての人間の「心」と「心」とはただ「一つの心」にとりまかれている所の「同じ質の心」である。
3「心」と「心」とは相感応して変化せしめ得る。
(参考 神癒への道 谷口雅春 日本教文社)
<吾れらをとりまいている所の環境もすべて「ただ一つの生命」がそれに想念の波を印象したことによって、現象界に浮び出て来た所の姿である>
【この意味に於いて、神はすべての事物の中に又すべての人間の中に存在し給うのであります。神はわが中に、彼の中に、又諸君の中に存在し給うのであり、吾々はそれを見ることはできないが、生命の体験としてそれを自覚することができるのであります。それと共に、吾れらをとりまいている所の環境もすべて「ただ一つの生命」がそれに想念の波を印象したことによって、現象界に浮び出て来た所の姿であるから、すべてそれは心的存在であり、吾々の「心」と互いに相感応して変化せしめることが出来るということができるのであります。】
<すべての人間の「心」と「心」とはただ「一つの心」にとりまかれている所の「同じ質の心」である>
【だから、すべての人間の「心」と「心」とは、また「環境」と吾々の「心」とは、ただ「一つの心」にとりまかれている所の「同じ質の心」であるから互いに感応することができるのであります。吾々は必ずしも対話を交えないでも、相手の心を知ることができるのであります。】


「宇宙の心」は、宇宙に普遍的にひろまっているばかりでなく、我々個々人の中に具体的個性的精神として宿っており、そしてそれらが互いに感応交流する

2019-12-20 09:58:55 | 日記

「神の心」が我ら一人一人に宿っていることのご説明です。

(参考 神癒への道 谷口雅春 日本教文社)
<認識の成り立ち~吾々の「心」の本質と、対象である所の「物」とが本来同質である>
【カントは吾々が物を感ずることができるのは、それが吾々の内部に直覚的認識力を目覚めしむるからであるという意味の事をいっているのでありますが、しからば如何にして吾々は自己の中に直覚的認識力を喚起し得るのでありましょうか。吾々の中にその「物」を創造した創造者と同じ力が自分の認識する力となって宿っているからだといわなければならないのであります。言い換えれば、吾々の「心」の本質と、対象である所の「物」とが本来同質であるからであるのであります。即ち吾々の「心」の本源と「物」の本源とが本来同一物であるから波長が合うのである。そこに「認識」(ものを認める働き)という事が成り立つのだといわなければならないのであります。即ち「物」と見えているものも実は「生命の波動」であり、「心」と見えるものも実は「生命の波動」であるのであります。云いかえれば、「見るもの」と「見られるもの」とが一体であるからであります。もし観る心が存在しないならば、観られる世界も、存在に入ることはできないのであります。甲の人が赤い花を見る、そして「赤い」と感ずる。乙の人もその同じ花を見て「赤い」と感ずる。もし甲と乙とが全然別の「見る心」をもっているならば、一つの花を見ても同一に感じない筈なのであります。】
<人間共通の「一つの心」を称して吾々は「神」とよぶのであります>
【全人類は同一の「共通的心」をもっていると認めなければならないのであります。その人間共通の「一つの心」を称して吾々は「神」とよぶのであります。パウロが聖書に於いて「彼の中に吾らは生き、動き、存在を保つのである」と云っているのはその意味を表現しているのであります。】
<「自分」が想念することは、「神」が想念することになり同時に「相手」が想念することになる>
【メタフィジカル・ヒーリングに於いて、「想念者」が他の人の病気を治し得るのは、その根本原理がその宇宙には「ただ一つの心」が存在するのであって、「自分」が想念することは、「神」が想念することになり同時に「相手」が想念することになるという根本原理に基くのであります。】
<「宇宙の心」は、我々個々人の中に具体的個性的精神として宿っている。>
【「宇宙の心」は、宇宙に普遍的にひろまっているばかりでなく、我々個々人の中に具体的個性的精神として宿っており、そしてそれらが互いに感応交流することが出来るのであります。】