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肉体が此処に生きているのでなく、「霊妙な存在」が生きているのである。「実在」が生きているのである。神が生きているのであると自覚するのであります。

2019-12-04 11:46:23 | 日記

ここは悟りの急所であります。

しっかり噛みしめたいと思います。

(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)

【こういうふうに「現象空無」を解くのでありまして、この見える世界をいったん夢の如く、幻の如き世界と否定してしまうのであります。しかし否定のままでは、「無い世界」に生活することはできない。そこで大否定の後に大肯定が出て来るのであります。それが即ち『甘露の法雨』にあるところの「肉体の奥に、物質の奥に、霊妙極まりなき存在あり。これこそ神に造られたる存在及び人間である」と書いてあるのでありまして、その実在の世界に、その実在の人間が生きているのであります。現象の空無がここでくらりと一転して、はかなき生命を生きていながら、永遠不滅・金剛不壊の実在生命を生きているのが自分だという事になるのであります。肉体を現わして、生活していながら、肉体が此処に生きているのでなく、「霊妙な存在」が生きているのである。「実在が生きているのである。‟I am”が生きているのである。神が生きているのであると自覚するのであります。「吾の置き換え」であります。この自覚の置き換わりがヨハネ伝3章にあるところの「新たに生れる」であります。「もはや生くるにあらず、キリスト吾にあって生くるなり」のパウロの自覚もそれであります。かかる自覚に於いてはキリストは如何なる病気といえども癒されないものはなかったのであります。そのキリストが自分の内に在って生きているという自覚が体験としてはっきりつかめますと、もはや病気はないのであります。」


メタフィジカル・ムーヴメントの原則とメタフィジカル・ヒーリングの方法

2019-12-04 11:19:14 | 日記

 

以下は谷口雅春先生によるメタフィジカル・ムーヴメントの原則及びメタフィジカル・ヒーリングの要約である。

(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)

<メタフィジカル・ムーヴメントの原則の要約>

【このメタフィジカル・ムーヴメントの原則を要約して掲ぐれば次の如くなるのであります。

1 宇宙の根本実在は霊であるということ。

その根拠は次の如き典拠による。・・・神は霊である(イエス)。神のみあって、他のものはないのである(モーゼ)。始めにコトバあり、コトバは神と共にあり、コトバは神なりき、万(よろず)のものこれによって造らる(ヨハネ)。色即是空、空即是色(般若心経)等。

2 霊又は空が宇宙の実質であって、それが働いて事物を創造する方法は想念による。

その典拠は、「神光あれと言いたまいければ光ありき」と創世記にはいい、仏典には「三界唯一心」といい、また「声字即実相」等という。

3 人は神の子であり、その本性を分ちもち、本来神と一体なのである。それ故神が世界を造り給うた如く、吾々自身も世界を造るのである。即ち創造とは想念の波動の具象化である。

その典拠は、仏教では「一切衆生悉く仏性を有す」といい、或いは「一切衆生悉く佛の子である」という。想念の波が事物を創造するのは、大生命の創造力に自分の欲する雛型を提供することによってである。想念は言葉となって現れる。又言葉は想念を動かすのであって、互いに相呼応して、事物を創造するのである。祈りの言葉が病気を癒やすのはこの原理に基づくのである。】

以下はメタフィジカル・ヒーリングの方法です。

<メタフィジカル・ヒーリングの思念法>

【1 実在の本質を心に念ずる・・・「すべては神であり、霊であり、法則である」と念ずる。

2 人間の神聖な位置を心に確認する-----「人間は神の子であり、その生命は神より来たり、神の子として、神のもち給うあらゆる力を与えられているのである」と想念する。

3 すべての悪及び消極的状態の存在を心の中から消去する------「神はすべてであり、善であり、完全であるから、この世界には如何なる悪も不幸も病気も存在しないのである」と念ずる。

4 コトバの力によって、自分の欲するところの事物をすでにあるが如く念ずる。・・・「私は神の子であるから、不完全というものはあり得ようがないのである。神の霊、今自分に流れ入って、悪が存在するという迷いをすでに清め給うたのである」と念ずる。

5 祈る時、すでにそれを受けたりと信ぜよ。という法則に従って------「吾が願いはすでにきかれたり」と念ずる。

6 最後に感謝の念を起すのである。

以上がメタフィジカル・ヒーリングに於いて、神想観的方法によって、自分及び他人の病気を治す時に念ずるところの六大原則であります。】


正しく祈れば、誰にでも宿っている此の神秘なる自己~真理なるもの、道なるもの~仏教的に言えば“仏性”なるものを引出して奇蹟を演ずることができるのである。

2019-12-04 10:48:25 | 日記

谷口雅春先生は

正しく祈れば、

‟神の子“(実相)を顕現できると

『奇蹟の時は今』の訳者はしがきで

書いておられる。

何と行っても「真理を極める」ことと「正しく祈る」ことが、

実相顕現の決め手となるのである。。

(参考 奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春訳 日本教文社)

【(訳者はしがき)

イエスが「われを信ずる者は」と場合の最初の「われ」とは、ユダヤ民族のひとりであるところの“肉体人間なるイエス”を信ずる者はと言ったのではないのである。彼が言った意味は、彼が奇蹟を行ったところの本源の力をなすところの「われ」~すなわち「真理」なるもの、「道」なるもの、「霊」なるもの、「霊なる生命」なるものを、今自己の内に観ることを得て、その実在を今此処の自己の内に自覚することなのである。それが自己の内にある事を信じ自覚し、万般の事象をこの真理に基づいて処理を行うとき、本当に「われより大なる業をなさん」といったところのユダヤ人のひとりとしてのわれイエスが行った奇蹟よりも、尚偉大なる奇蹟を行うことが出来るというのである。】

【(訳者はしがき続き)

イエスは、自己の内に宿る“神秘なるわれ”を掘り出して顕在の力とするために時々人里離れた寂寥の地に入って祈ったという。祈りは、自己の内にあるこの“神秘なる我”を顕在にまで引き出すところの偉大なる力をもっているのである。正しく祈れば、誰にでも宿っている此の神秘なる自己~真理なるもの、道なるもの~仏教的に言えば“仏性”なるものを引出して奇蹟を演ずることができるのである。】