ここは悟りの急所であります。
しっかり噛みしめたいと思います。
(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)
【こういうふうに「現象空無」を解くのでありまして、この見える世界をいったん夢の如く、幻の如き世界と否定してしまうのであります。しかし否定のままでは、「無い世界」に生活することはできない。そこで大否定の後に大肯定が出て来るのであります。それが即ち『甘露の法雨』にあるところの「肉体の奥に、物質の奥に、霊妙極まりなき存在あり。これこそ神に造られたる存在及び人間である」と書いてあるのでありまして、その実在の世界に、その実在の人間が生きているのであります。現象の空無がここでくらりと一転して、はかなき生命を生きていながら、永遠不滅・金剛不壊の実在生命を生きているのが自分だという事になるのであります。肉体を現わして、生活していながら、肉体が此処に生きているのでなく、「霊妙な存在」が生きているのである。「実在が生きているのである。‟I am”が生きているのである。神が生きているのであると自覚するのであります。「吾の置き換え」であります。この自覚の置き換わりがヨハネ伝3章にあるところの「新たに生れる」であります。「もはや生くるにあらず、キリスト吾にあって生くるなり」のパウロの自覚もそれであります。かかる自覚に於いてはキリストは如何なる病気といえども癒されないものはなかったのであります。そのキリストが自分の内に在って生きているという自覚が体験としてはっきりつかめますと、もはや病気はないのであります。」