今日読んだ藤原先生のご文章で、
私はまだ全然感謝が足りないと気付きました。
気付いたことが進歩です。
(参考 救われ済みの人生 藤原敏之 日本教文社)
【そこから、法然、親鸞、日蓮というような偉大な坊さんが出て来まして、そんなわざわざ苦行をせんでもいいんだ。わざわざ比叡山や高野山から下りて来て、念仏を広めたのが法然、その教えを受けついで広めたのが親鸞、あるいはお題目を唱えれば救われると説いたのが日蓮です。
こういう人たちは出家せいと言わんのよ。よし、妻子をもちながら、商売をしながら、何をしてもよろしいぞ、そのかわりみんな仏様だよ、夫を仏として拝んで仕えねばだめだよ。木で刻んだ仏さんだけ拝んでおったんじゃだめだよ。形はだめだ、心だ、全部仏として拝むのが、在家のままの出家の生活だ。在家のままでよろしいと言う教えを説いたのが、法然、親鸞、日蓮です。
これはどういうことかと言うと、すべてを仏として拝んで仕える生活を実行せいということです。普通に生活しながら、今までは私の夫だと思っていたのを、仏として拝め、ただの女房だと思っていたのを、ああ、そうじゃなかった、形は妻としてあらわれていたが、仏様であった、と気がついて拝めという教えです。子供も、もちろん仕事も家も財産も、全部を仏にお返しして、仏として仕える。この生活が本当の宗教ですよ。これが、宗教の根本です。】
私はまだ全然感謝が足りないと気付きました。
気付いたことが進歩です。
(参考 救われ済みの人生 藤原敏之 日本教文社)
【そこから、法然、親鸞、日蓮というような偉大な坊さんが出て来まして、そんなわざわざ苦行をせんでもいいんだ。わざわざ比叡山や高野山から下りて来て、念仏を広めたのが法然、その教えを受けついで広めたのが親鸞、あるいはお題目を唱えれば救われると説いたのが日蓮です。
こういう人たちは出家せいと言わんのよ。よし、妻子をもちながら、商売をしながら、何をしてもよろしいぞ、そのかわりみんな仏様だよ、夫を仏として拝んで仕えねばだめだよ。木で刻んだ仏さんだけ拝んでおったんじゃだめだよ。形はだめだ、心だ、全部仏として拝むのが、在家のままの出家の生活だ。在家のままでよろしいと言う教えを説いたのが、法然、親鸞、日蓮です。
これはどういうことかと言うと、すべてを仏として拝んで仕える生活を実行せいということです。普通に生活しながら、今までは私の夫だと思っていたのを、仏として拝め、ただの女房だと思っていたのを、ああ、そうじゃなかった、形は妻としてあらわれていたが、仏様であった、と気がついて拝めという教えです。子供も、もちろん仕事も家も財産も、全部を仏にお返しして、仏として仕える。この生活が本当の宗教ですよ。これが、宗教の根本です。】