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新約聖書「ルカによる福音書」

2018-09-24 11:11:49 | 日記
ルカによる福音書(日本聖書協会)
<第四章>汚れた霊に取りつかれた男をいやす
33 ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。
34「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体はわかっている。神の聖者だ。」

現象をこえた“いのち”の世界があり、これが大宇宙を手段として生き続けている

2018-09-24 10:21:24 | 日記
実相の時間空間世界への展開が
現象世界である。
では“実相”が現象に展開しているというのは
どのようなことなのか。
ただ実相は目に見えない実在であることは
おさえておくべきことがらである。
現象は“心の影”であるからだ。
(正法眼蔵を読む 身心学道の巻 谷口清超著)
<十方世界を翼とする>
圓悟禅師はこう言われた。
「生においては生き切り、死においては死に切る。宇宙一杯に満ちあふれて、その時その場に真心があらわれる」と。
このお言葉を静かに点検してみよう。圓悟禅師はかつてこのように真理をのべられたが、まだ生死についての全相を指摘してはいない。現象の去来(うつりかわり)を考究するに、現象には生死がある。生きたり死んだり、去ったり、来たり。しかしそれだけではない。そのような現象の奥に、それを越えた世界がある。その“いのち”は尽十方世界を翼として、飛び去り飛び来る。尽十方世界を足として歩きまわる。現象をこえた“いのち”の世界があり、これが大宇宙を手段として生き続けている。つまり実在しているのは、この「実なるいのち」であり、翼を使い足を使う主人公である。