gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

実相への信仰が全てを癒やす

2018-09-04 17:12:21 | 日記
藤原敏之先生が現象界の事物や人間を見る時は、
現象の奥にある“神の理念”を観ていることが
以下のご文章からうかがえます。
神を信じ
実相を信じておられるのです。
ですから
現象の奥にひそむ実相を
直視できるのです。
この力が神癒を促すのです。
(参考 すべてを癒やす道 藤原敏之 日本教文社)
【信仰によって、難病や奇病が癒えるのは悪いのは何かの力を借りて、何かを足してもらって快くなるのであります。】
【肉眼で見たら物は物に見えますが、生長の家では物と現われているまま神の生命、神の理念が形に具象化して現われているのであると観ずるのです。】
【神様がいう愛深いお力のあるお方にお願いしてお助け頂くのではなく、神様が一切のものをお造りになるとき、病気や不幸などは一切お造りになっていないから、本当はないとわかれば消えるだけのことであります。】
【病気に限らず、おおよそ悪と名のつくもの、不完全なものはすべて実在ではなく、真理を知らないために現われた仮りの存在であり、影であります。】
【信とはこのように都合が善くなるための手段として、種々な行をすることではなく、最悪を覚悟して(現象)なお感謝することであります。一切の都合や、是非や善悪を越えて、ひたすら恩師のみ教えを行ずることであります。もしも“うそ”であったら喜んで騙されることであります。そこに絶対の信があるのであります。それから先はすべて、実相世界(神)からくるのであります。ここの境地は捨てて、捨て切り、お任せし切り、信じきったものにのみある世界であります。】


本当の自分を拝み出す

2018-09-04 12:15:54 | 日記
自己の内なる“神の子”は
拝み切って出てくるものだと
書かれています。
禅宗が坐禅を大切にするのも
同様だと思われます。
我らは神想観を実修すればよいのです。
(参考 すべてを癒やす道 藤原敏之 日本教文社)
【求道にとってもっとも大切なのは、礼拝行であり、拝み切ることであります。神に見えるまで拝み切る行であります。真剣に生命がけで拝み切ったとき、拝むことさえできない自分を発見します。その絶対絶命の境地の中から、神をみることが出来るのです。生長の家はただ合掌し、ただ感謝する教えであります。拝まなければならないのではなく、拝まずにいられなくなる教えであります。それは人間なるものの正体が明らかになり、本当の自分を発見するからであります。まことの我れを発見し自覚するとき、拝まずにはいられなくなり、拝まずにいられなくなったとき、腹の底から満足感が湧き、喜びがうまれるのであります。そこが天国であり、極楽であります。救われることを願う必要さえなくなるのであります。】



自分の尊さが分らないと病気や不幸が絶えないし、自分の尊さが分るには、自己の内に「神」を見出すしかない

2018-09-04 11:48:27 | 日記
自己の内に「神を見出すこと」が
幸福のための大前提であるのに、
その自己の内に神を見出そうと努力をする人が少ない。
宗教をやる人は多いが
一番肝腎の
自己の内なる「神」「仏」を拝み切り
顕わす出すことが
大変ではあるが
最後の目標である。
「既に救われている」という真実を
顕在化するのである。
(参考 すべてを癒やす道 藤原敏之 日本教文社)
【今一番大切なのは、正しい信仰によって、神という絶対的な軌道を発見して、迷わず自信をもって直進することであります。またこの真理という軌道を一人でも多くの人々に伝えることであります。そのことが混乱した現状から脱して秩序ある幸福な社会を建設するただ一つの道であります。「人間」から「神の子」へ、「神の子」から「神」へと自覚が転換えし、変わるにしたがって自分の尊さがわかり、値打ちがわかればわかるほど、粗末に出来なくなり、大切に扱われるようになります。病気や失敗や不幸はみんな自分の値打ちがわからず、粗末にした結果、現われるのであります。】

新約聖書「ルカによる福音書」

2018-09-04 11:06:07 | 日記
ルカによる福音書(日本聖書協会)
<第三章>洗礼者ヨハネ、教えを宣べる
17 そして、手に箕(み)を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることにない火で焼き払われる。」
18 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。