人間は本当は
価値それ自体の中に
生活している、
ということである。
だから、
人間そのものも、
価値であるし、
木の葉一枚も
価値それ自体である。
しかし人間を見ても、
木の葉一枚を見ても、
価値それ自体であるようには
見えない。
ただ私が
正法眼蔵から学ぶのは、
木の葉一枚を見て、
そこに「霊妙なるもの」の示現を見ることであり、
人間を見て、
霊妙なるものの示現を見ることである。
価値それ自体の中に
生活している、
ということである。
だから、
人間そのものも、
価値であるし、
木の葉一枚も
価値それ自体である。
しかし人間を見ても、
木の葉一枚を見ても、
価値それ自体であるようには
見えない。
ただ私が
正法眼蔵から学ぶのは、
木の葉一枚を見て、
そこに「霊妙なるもの」の示現を見ることであり、
人間を見て、
霊妙なるものの示現を見ることである。