マスローは、
初対面の人であっても、
高次の価値を認めているが故に
会話が人を傷つけたりせず、
相手の本質的な善さを認め、
お互い高めあえるような人間が存在することを
述べている。
興味深い指摘であるので、
引用したい。
(参考、「人間性の最高価値」A・H・マスロー 上田吉一訳)
【ここで、私が折りにふれて観察してきたところから、一つの副次的な仮説が生まれる。それは、高度に発達をとげた、成熟した人びと(「高次の人格」?)は、初対面の時でさえ、生活の水準において、私がB言語(註:Bというのはbeing存在のこと)と呼んでいる言葉を用いて、異常なほど早く意志を疎通させることができる、ということである。ここではただ、私のいいたいことは、B価値が存在し、まさに真実であり、それを容易に認める人もいれば認めない人もいること、B価値を認めない人びとのコミュニケーションも正しくて真実な場合もあるが、その場合は、意味や重要さの点で、より低い、未完熟な段階のものにとどまるはずだ、ということである。】
初対面の人であっても、
高次の価値を認めているが故に
会話が人を傷つけたりせず、
相手の本質的な善さを認め、
お互い高めあえるような人間が存在することを
述べている。
興味深い指摘であるので、
引用したい。
(参考、「人間性の最高価値」A・H・マスロー 上田吉一訳)
【ここで、私が折りにふれて観察してきたところから、一つの副次的な仮説が生まれる。それは、高度に発達をとげた、成熟した人びと(「高次の人格」?)は、初対面の時でさえ、生活の水準において、私がB言語(註:Bというのはbeing存在のこと)と呼んでいる言葉を用いて、異常なほど早く意志を疎通させることができる、ということである。ここではただ、私のいいたいことは、B価値が存在し、まさに真実であり、それを容易に認める人もいれば認めない人もいること、B価値を認めない人びとのコミュニケーションも正しくて真実な場合もあるが、その場合は、意味や重要さの点で、より低い、未完熟な段階のものにとどまるはずだ、ということである。】