実在の世界は
「行仏威儀」の世界であるから、
私たちが
実相世界におけると同様に
行仏でありさえすれば
現象世界も滞りなく、
円滑な生活が実現する。
しかし
その事実を自覚しない場合には、
実相世界においては自他一体で万物が行をし合い、
尽くし合い助け合っているのであるから、
現象人間がそれと相反する生活をしているのだから、
反省資料として
「実在の虚」という状態が、
残念ながら現れることになる。
でもそれは写し世(現象)がそうなるだけで
実在の世界はびくともしない。
だとしたら、
私たちは
実相の世界と同じようにこの現象の世界においても、
行仏としての
助け合い、尽くし合い、学び合いの生活を
心がけるべきではないだろうか。
「行仏威儀」の世界であるから、
私たちが
実相世界におけると同様に
行仏でありさえすれば
現象世界も滞りなく、
円滑な生活が実現する。
しかし
その事実を自覚しない場合には、
実相世界においては自他一体で万物が行をし合い、
尽くし合い助け合っているのであるから、
現象人間がそれと相反する生活をしているのだから、
反省資料として
「実在の虚」という状態が、
残念ながら現れることになる。
でもそれは写し世(現象)がそうなるだけで
実在の世界はびくともしない。
だとしたら、
私たちは
実相の世界と同じようにこの現象の世界においても、
行仏としての
助け合い、尽くし合い、学び合いの生活を
心がけるべきではないだろうか。