真田丸巡り関連で『信州の鎌倉』と呼ばれる塩田平及び上田の寺社を巡りたいと思う。
毎度のことながら白樺湖~長和町~前山(塩田平)

先ずは『前山寺』本堂は木造、茅葺のどっしりした堂宇で、812年に弘法大師空海が、護摩修行の霊場
として開創した。という歴史ある寺院である。この三重の塔は、この塔は特に「未完成の塔」とも
「未完成の完成塔」ともいわれて名高いものです。塔というものには、一層にも二層にも三層にも、縁と
手すり(勾欄)がついているものですが、この塔には一層だけにはあるけれども二層、三層にはありません
何かの理由でやめてしまったようです。その他にも各所にやりかけと思われる所がありますので、この塔は
未完成の塔だといわれておりました。国指定重文で室町時代の建立とされている。回縁や高欄がないのも
特徴とされている朝早い事もあるのか人気はありません、ここから歩いてもそれ程離れていない『龍光院』
さんへと向かう。でも、私達は車移動ですが・・・
格式ある黒門 見事です

塩田北条氏の菩提寺で、弘安5年(1282)塩田城主だった北条国時[ほうじょうくにとき]が開基した。参道の横
塩田平を一望する場所にある無銘の墓、お開基様は北条義政[よしまさ]のものとも、国時のものともいわれ
ている そして、余談ですが3月~11月は、精進料理の山菜膳もいただけます(要予約)。
桜巡りがてら山菜善も良いか・・・?
さて、次に向かったのが『中禅寺』さん。薬師堂前に建つ仁王門に安置されている金剛力士像は
県重文に指定されているそうです。 右の写真は本堂です

薬師堂は茅葺屋根に宝珠を載せた、三間四方の宝形造りで、平安末から鎌倉時代に見られる建築様式である
ことから、建立の時代が推測されている。塩田平から少し離れた「別所温泉」に向かいたいと思います。
何十年ぶりの別所温泉だろう・・・もう居ないだろうな~ 昔の同僚は・・・


別所温泉の中心街の「武屋御殿」では、陣羽織など自由に着て記念写真が撮れるようになっていました。
今回は先も忙しいのでパスでしたが三ヵ所の外湯があり、しかもたったの150円は安いよね~
写真は 真田幸村公の隠し湯「石湯」木曽義仲ゆかり葵の湯~北条氏ゆかりの湯「大湯」
慈覚大師ゆかりの湯 「大師湯」 が、あります 足湯も二か所ありますよ~


別所温泉と言えばやはりこの「北向観音」は外せません。北向観音は別所温泉で一番メジャーな寺院で
多くの参拝客・観光客が訪れるところで、門前の商店街から賑わっています。本堂が北に向いてるので
通称「北向観音」と呼ばれている。南向きの善光寺と向き合っているので裏善光寺とも呼ばれています。
境内の東隅にある愛染明王堂とこの桂の木に因んで故川口松太郎氏(1899 - 1985、第一回直木賞受賞)が
「愛染かつら」 を書かれたことはあまりに有名です。若い人たちからは「縁結びの霊木」として親しまれ
ております。別所温泉内では三か所の寺院を巡るのですが駐車場に車を置いての歩きです
温泉街より少し西山方面に上った所に『安楽寺』
さんがあります。本堂の裏を登って行くと有名な国宝八角三重塔が建っています。

いつも通りの手抜き? 説明を書こうかとも思いましたが・・少しだけ簡単に説明を 建築学上、一番下
の屋根は裳階であるということが明らかとなっていますので、正確には「裳階付き木造八角三重塔」という
のですが、略して「八角三重塔」といっています。木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な
建築物です。 次に向かったのが「安楽寺」さんと僅かに離れているだけの「常楽寺」さんへ

樹齢350年の松です。まるで舟のような姿から
「御舟の松(みふねのまつ)」と名付けられたようです。 ここではもう一つ見所があり

安山岩で造られた石造多宝塔があり、この場所で北向観音が出現したと言われています。国指定重文に
なっており、石造の多宝塔で重文指定は全国に2基しかなく、貴重な1基である。しかし、この、多宝塔
が安置されている場所は少し日陰で足元が悪く少々手こずりました。
さて、これで今回は別所温泉を後にしたいと思います。 これより上田方面に向かいたいと思います。

来たのは「生島足島神社」さんです。 右の写真は真田幸村の兄信之が寄付した神楽殿
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える
「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。ん?諏訪大神・・
そうです寅と申の年『御柱祭』が行われます。今年は4月16日~18日だそうですよ
生島足島神社を後にし、上田城に向かいたいと思いますが、その前に腹ごしらえ!!
『上田の美味だれ焼き鳥 えん』 となります。
食事後、上田城内を散策したのですが…私は最近、来ているので今回はブログはパスです。
さらに「海野宿」も回ったのですがこちらも・・・パス。
東信地方のブログで見てくださいね~ 長くなったので少々疲れてきております・・・
(あんまり長いブログはダメだね飽きるね)今回の上田寺社仏閣巡りはとうとう最後の場所となります。
最後の場所は「真田丸」に関した場所を
最後にしたかったので「信濃国分寺」さんを最後にしたいと思います

それは第二次上田合戦の時、上田城に籠る真田昌幸、幸村親子と東軍の使者として真田信幸と本多忠政が、
会見した場所がこの信濃国分寺です。城を明け渡す準備をするので少し待ってほしいと申し出る昌幸、幸村。
しかし数日後、再び国分寺を訪れた昌幸は、戦の支度ができたので一戦交えるべしと東軍を挑発。そのまま
第二次上田合戦につき進む事になったのですが、そのキッカケの場所がこの信濃国分寺です。
国分寺のどこで会見が行われたのかまでは分かりませんが
ここも歴史の舞台になった場所ですね。現在、国分寺がある範囲はかつての規模の一部で、戦国時代は
もっと広い範囲が国分寺だったそうです。 三重塔は高さ20.1メートル。源頼朝の発願と伝えるほか
塔内には建久8年(1197年)の墨書があったと伝わるが、様式から室町時代中期の建立と推定されている。
初層内部は四天柱を立て、来迎壁を設け、大日如来坐像を安置する。建築様式は外観は和様で、内部は
四天柱に囲まれた須弥壇上の天井を鏡天井とする点など一部に禅宗様の要素がある
と・・・長~~~い!!ブログになってしまいました。(疲れた

) では