1999年のル・マン24時間レースに出場したニッサン・チームのクルマ3台です。
この年は、レース前はトヨタとメルセデスの対決が注目されていました。
しかし、メルセデスは予選・決勝の中でマシンが宙を舞うという事故を起こし、早々とサーキットから姿を消してしまいました。
残ったトヨタTS020も、結局優勝することができず総合2位、トヨタはこの年限りでル・マンから姿を消してしまいました。
代わって伏兵のBMW V12 LMRが優勝し、一方で21世紀に入って活躍するアウディがR8CとR8Rでデビューするという結果になったのです。
こういう中で、前年の1998年にR390GT1というGTカーで参戦し、総合3位、5位、6位、10位と健闘したニッサンは、この年新たなプロトタイプカーR391を開発し、ル・マンに挑戦してきました。
さらに、フランスのレーシング・チームクラージュ・コンペティションと協同で開発したクラージュC52というマシンを加えた3台体制でレースに臨んだのです。
結論から言うと、残念ながらニッサンのクルマは3台とも表彰台に上がることはできませんでした。
2台のR391のうち、鈴木亜久里と影山正美選手のドライブする23号車の方は予選中にクラッシュして決勝レースに進めませんでしたし、本山哲(さとし)選手が運転する22号車も110周ほど走ったところでエンジントラブルによりリタイヤしてしまいました。
一方、C52(21号車)の方は首位のBMWから遅れること10周、総合8位で何とかチェッカーを受けました。
また、クラージュ・コンペティション・チームから出走した、同じニッサンのエンジンを積んだC52の13号車は総合6位に食い込みました。
C52のエンジンは、前年に全車完走したR390のエンジンと同じもの、どうやら信頼性はR391よりも上だったようです。
このC52のミニカー、実は下記のような缶入りでした。
一見、クッキーでも入っていそうな缶で、なぜこんな缶に入れたんだろう?と思います。
今は見かけませんねぇ、缶入りミニカーなんて...。
で、缶入りということは、当然ながらディスプレイ用のケースは付属しないのです。
私にとってこれはけっこう困ります。
むき出しで並べておくわけにも行かず、缶入りのミニカーを飾る場合には市販のディスプレイ・ケースを用意して入れなければならないので、面倒なことこの上ありません。
モデルはスパーク製。
さて、ご覧になってわかるように、R391の22号車と23号車とはバックミラーの色くらいしか違いがありません。
22号車が青、23号車が赤です(下記の写真)。
かろうじて23号車にはメインのスポンサーであるクラリオン(clarion)の文字がボンネット上にペイントされているので見極めが付きます。
が、ミニカーを収集する側から言わせていただくと、もう少しわかりやすいように両車の塗装を変えてもらうと飾り映えがするのですがね。
レース中だってピットで見分けが付きにくいと思います。
このころからドライバーとピットとの間で無線で会話をするのは当たり前になってきているようなので、実際には問題なかったのかもしれませんが。
それよりも、私がこのミニカー(というかリアルなマシン)を気に入っているところは、リアパネルとリアウィングにかけて塗装されているニッサンの文字入りの日の丸です。
ミニカーを上から撮影すると、日の丸の様子が良くわかります。
なかなかいいデザインだと思います。
この二つのミニカーはQモデルというブランドで知られるインターアライド製。
ニッサンのレースカーを数多く販売している横浜の会社です。
ドライバー席周りをアップで撮影してみました。
マクロレンズに切り替えて、もっと接写しても良かったのですが、花や虫を撮るわけではないので、普段のレンズで撮影しています。
けっこう丁寧に作られているのがわかります。
R391のサイドビュー。
ニッサンのレースカーは同じトリコロールでもシンプルなデザインが多いのですが、このR391は(C52も)独自のデザインですね。
21号車も似たようなデザインのところを見ると、共通スポンサーのF.P.E.Eの意向によるものなのかな。
好き嫌いはあると思いますが、私は好きですよ。
今回はコレクションの中でもあまり多くない「ル・マンでのニッサン車」について取り上げてみました。
この年は、レース前はトヨタとメルセデスの対決が注目されていました。
しかし、メルセデスは予選・決勝の中でマシンが宙を舞うという事故を起こし、早々とサーキットから姿を消してしまいました。
残ったトヨタTS020も、結局優勝することができず総合2位、トヨタはこの年限りでル・マンから姿を消してしまいました。
代わって伏兵のBMW V12 LMRが優勝し、一方で21世紀に入って活躍するアウディがR8CとR8Rでデビューするという結果になったのです。
こういう中で、前年の1998年にR390GT1というGTカーで参戦し、総合3位、5位、6位、10位と健闘したニッサンは、この年新たなプロトタイプカーR391を開発し、ル・マンに挑戦してきました。
さらに、フランスのレーシング・チームクラージュ・コンペティションと協同で開発したクラージュC52というマシンを加えた3台体制でレースに臨んだのです。
結論から言うと、残念ながらニッサンのクルマは3台とも表彰台に上がることはできませんでした。
2台のR391のうち、鈴木亜久里と影山正美選手のドライブする23号車の方は予選中にクラッシュして決勝レースに進めませんでしたし、本山哲(さとし)選手が運転する22号車も110周ほど走ったところでエンジントラブルによりリタイヤしてしまいました。
一方、C52(21号車)の方は首位のBMWから遅れること10周、総合8位で何とかチェッカーを受けました。
また、クラージュ・コンペティション・チームから出走した、同じニッサンのエンジンを積んだC52の13号車は総合6位に食い込みました。
C52のエンジンは、前年に全車完走したR390のエンジンと同じもの、どうやら信頼性はR391よりも上だったようです。
このC52のミニカー、実は下記のような缶入りでした。
一見、クッキーでも入っていそうな缶で、なぜこんな缶に入れたんだろう?と思います。
今は見かけませんねぇ、缶入りミニカーなんて...。
で、缶入りということは、当然ながらディスプレイ用のケースは付属しないのです。
私にとってこれはけっこう困ります。
むき出しで並べておくわけにも行かず、缶入りのミニカーを飾る場合には市販のディスプレイ・ケースを用意して入れなければならないので、面倒なことこの上ありません。
モデルはスパーク製。
さて、ご覧になってわかるように、R391の22号車と23号車とはバックミラーの色くらいしか違いがありません。
22号車が青、23号車が赤です(下記の写真)。
かろうじて23号車にはメインのスポンサーであるクラリオン(clarion)の文字がボンネット上にペイントされているので見極めが付きます。
が、ミニカーを収集する側から言わせていただくと、もう少しわかりやすいように両車の塗装を変えてもらうと飾り映えがするのですがね。
レース中だってピットで見分けが付きにくいと思います。
このころからドライバーとピットとの間で無線で会話をするのは当たり前になってきているようなので、実際には問題なかったのかもしれませんが。
それよりも、私がこのミニカー(というかリアルなマシン)を気に入っているところは、リアパネルとリアウィングにかけて塗装されているニッサンの文字入りの日の丸です。
ミニカーを上から撮影すると、日の丸の様子が良くわかります。
なかなかいいデザインだと思います。
この二つのミニカーはQモデルというブランドで知られるインターアライド製。
ニッサンのレースカーを数多く販売している横浜の会社です。
ドライバー席周りをアップで撮影してみました。
マクロレンズに切り替えて、もっと接写しても良かったのですが、花や虫を撮るわけではないので、普段のレンズで撮影しています。
けっこう丁寧に作られているのがわかります。
R391のサイドビュー。
ニッサンのレースカーは同じトリコロールでもシンプルなデザインが多いのですが、このR391は(C52も)独自のデザインですね。
21号車も似たようなデザインのところを見ると、共通スポンサーのF.P.E.Eの意向によるものなのかな。
好き嫌いはあると思いますが、私は好きですよ。
今回はコレクションの中でもあまり多くない「ル・マンでのニッサン車」について取り上げてみました。
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