山名:鐘撞堂山(奥武蔵)
実施日:令2年9月19日(土)
天気:曇り
参加者:会員4名
当日の当該地域の雨確率は60%と高かった。一瞬、「こりゃ、ダメだな」と思ったが詳細を追えば「午後から一時雨」だった。
ならば、ささっと登ってしまえば雨に遭わないだろうの判断から決行した。
結果、小雨程度で雨具は使用せずに帰途の電車で雨景色になったことで天気予報士もその責任を果たして喜んでいただろう。
鐘撞堂山は中世戦国時代、北条氏支配頃、鉢形城の見張り場として敵の襲来を知らせるために鐘を置いて危急の役に立てたことに由来する。
標高は330mと低いが頂上には雨もしのげる立派な休憩舎があり、関東平野の広々とした景色はとてもよかった。
千体荒神碑と五百羅漢は過ぎ去った歳月の重さを感じた。
締めの反省会が目黒駅周辺になったのは参加者の居住地から選択した。
『屋台屋 博多劇場』では同じメニューのループで最後は思わず目も回ってしまった。
※写真(キャプション含む)及び記事本文は山行リーダーのFさんから寄稿されたものです。
※人物が被写体となっている写真は、本会のプライバシーポリシーに基づき掲載しています。

↑看板だけはあの穂高にある物と比べても劣らない大正池。

↑ところがここは長閑な景色の中にあるため池だった。

↑やっぱりこれを撮らないと山行のエビデンスにならない。

↑頂上直下の長い階段は最後と思えば楽なもんだ。

↑駅から1時間強で着いた頂上は時間的コスパがいい。

↑鐘撞堂山はつまりはそういうことのようです。

↑ここからの景観は警官が見てもきっと景観だったことだろう。

↑久ぶりに見たクワガタムシはゴキブリではないかと見間違った。

↑鐘撞堂山の象徴の鐘撞のシルエットはなかなかだ。

↑彼岸の時期に咲くからヒガンバナの名前に納得。

↑五百羅漢の中に懐かしい親戚の叔父さんを見つけしまった。

↑古道を歩けば昔日の思いにしばし沈殿したい気持ちになった。

↑波久礼駅の到着と同時に雨が降って来たんだよなぁ。

↑秩父鉄道はスイカが使えないが派手な車両とはあまりにも対照的。

↑1リットルの塩レモンサワーで腱鞘炎になりそうだった。
実施日:令2年9月19日(土)
天気:曇り
参加者:会員4名
当日の当該地域の雨確率は60%と高かった。一瞬、「こりゃ、ダメだな」と思ったが詳細を追えば「午後から一時雨」だった。
ならば、ささっと登ってしまえば雨に遭わないだろうの判断から決行した。
結果、小雨程度で雨具は使用せずに帰途の電車で雨景色になったことで天気予報士もその責任を果たして喜んでいただろう。
鐘撞堂山は中世戦国時代、北条氏支配頃、鉢形城の見張り場として敵の襲来を知らせるために鐘を置いて危急の役に立てたことに由来する。
標高は330mと低いが頂上には雨もしのげる立派な休憩舎があり、関東平野の広々とした景色はとてもよかった。
千体荒神碑と五百羅漢は過ぎ去った歳月の重さを感じた。
締めの反省会が目黒駅周辺になったのは参加者の居住地から選択した。
『屋台屋 博多劇場』では同じメニューのループで最後は思わず目も回ってしまった。
※写真(キャプション含む)及び記事本文は山行リーダーのFさんから寄稿されたものです。
※人物が被写体となっている写真は、本会のプライバシーポリシーに基づき掲載しています。

↑看板だけはあの穂高にある物と比べても劣らない大正池。

↑ところがここは長閑な景色の中にあるため池だった。

↑やっぱりこれを撮らないと山行のエビデンスにならない。

↑頂上直下の長い階段は最後と思えば楽なもんだ。

↑駅から1時間強で着いた頂上は時間的コスパがいい。

↑鐘撞堂山はつまりはそういうことのようです。

↑ここからの景観は警官が見てもきっと景観だったことだろう。

↑久ぶりに見たクワガタムシはゴキブリではないかと見間違った。

↑鐘撞堂山の象徴の鐘撞のシルエットはなかなかだ。

↑彼岸の時期に咲くからヒガンバナの名前に納得。

↑五百羅漢の中に懐かしい親戚の叔父さんを見つけしまった。

↑古道を歩けば昔日の思いにしばし沈殿したい気持ちになった。

↑波久礼駅の到着と同時に雨が降って来たんだよなぁ。

↑秩父鉄道はスイカが使えないが派手な車両とはあまりにも対照的。

↑1リットルの塩レモンサワーで腱鞘炎になりそうだった。
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