まず宙組が、大劇場公演が全公演休演
雪組の大劇場が、11月23日まで休演。新人公演も中止。
TAKARAZUKAスペシャルは4年ぶりなのに中止。
調査委員会による「聞き取り」が長引いているんだろうという事ですけど、商業演劇がこんなに休演すること自体危ない。
申し訳ないけど、一人の死のおかげで、一つの企業を傾けていいのかと私は憤りを感じます。
宙組は新トップのお披露目公演、そして雪組は退団者がいる。
二度とないメンバーで上演するのが宝塚なのに、コロナでもなくここまで休演されると、離れていくファンもいるのではないかと思います。
それもこれも文春のせいです。
それに準じた新潮や女性セブンも、中身はいい加減な記事で、小柳ルミ子まで遡ったらもう、笑うしかない。
あの人って音楽学校出ただけじゃないの?なのに虐められたとかいう?
舞台というのは、どんなに大きな劇場でも、主役を張っている俳優でも女優でも、常に「客席」が埋まるかどうか心配しなくてはいけません。
プロダクションに所属し、常に安定的な収入を得ていても、客席×00円の計算はやってる。
ましてや脇役になってくると、ピンで個人事務所の人もいるし、バイトと掛け持ちもいる。
稽古期間中は交通費、昼代その他、全部自分持ち。
だから、主役は時々差し入れしたり、飲みに連れて行ったりする。
演出家は結構偉くて、俳優にたかっている人もおおかなという感じです。
劇団四季は「安定した収入」の為に、宣伝などを俳優にはさせない方針。
だけど退団すると一定期間は干される。
宝塚歌劇団の場合、劇場があって稽古場があって、お昼もファンが作ってくれて、あるいは劇場内で買う事も出来る。チケットは割りあてがあるけどファンクラブが売ってくれて、お花代も貰えて。本当に恵まれています。
週刊誌に書かれるような「時給はコンビニ以下」ではない。
だって、彼女達は「生徒」だからね。
歌劇団は「一部のSNSで、ジェンヌを標的とした誹謗中傷が見られる。今すぐやめないと訴えるぞ」と脅すけど、歌劇団が対峙しなくてはならないのは週刊誌ではないんでしょうか?
歌劇団が、「噂」と「誹謗中傷」の種を作り出している事になぜ気づかないのですか?
確かに、週刊誌記事を鵜呑みにして、叩くファンがいるのも事実です。
私のブログでも、本当にひどい事コメントに書く人がいる。
でも、それって本当のファンではないと切り捨てますけど。
誹謗中傷ではなくて、本当に理不尽だから「なんで私のご贔屓さんがこんな理不尽な目に遭うの?誰のせい?前トップのせいなの?」って恨みつらみを書く人もいる。
気持ちはわかるけど、真実は本人しか知らない。本人はもういない。
だけど、歌劇団は続けなくちゃいけないし、続いていくべきものでもあります。
どうか、ジェンヌのみさんは、エゴサーチなんかせずに、今こそ心を一つにして立ち上がるべきではありませんか?
宝塚というのは、世界でただ一つの芸術なんですから。
古い音楽学校が終わる時だったか、鳳蘭が学校を訪れて生徒達に会った時、開口一番
「いじめは大丈夫?」と聞いたのを覚えています。
ああ、ツレちゃんもそういう経験してたんだなと。
当時としては洋風な顔立ち、背が高い、故郷でも浮いてて宝塚入ってもやっぱり浮いてたのかもしれません。でも「ベルばら」でリベンジ出来て今がある。
音楽学校の思い出を明るく話す生徒は少ないですよ。
特に北の方の出身者は価値観の違いとか、関西ならではのしきたりとかに驚き、受け入れられず、右往左往しながら歌劇団に入団して来たと思います。
音楽学校の歴史
戦前の宝塚が好きであれこれ調べていてわかったこと。
数え年13歳~19歳までの良家の子女を集めた
無論、保護者会もあり「花嫁修業の一環」としての歌、踊り、和楽器などのレッスンをしていたんですよね。当時は関西圏がほとんど。
昭和21年に1年制に
最初は1年制だったんです。舞台に立っていい時期がくれば結婚するので退団コースがほとんどだったんじゃないでしょうか。
昭和28年に満15歳~18歳となる
昭和32年に2年制。予科、本科となる。
本当に厳しくなっていったのは、昭和51年、ベルばらの大ヒット以降ではないかと思います。
私もテレビで見ましたが、廊下に生徒がずらりと並んで、本科生に叱られている風景。
これを見て「私、無理だわ」と思いました。
小林一三氏が生きていた頃は、生徒一人ひとりを大切にしている雰囲気が、随所にみられましたが、戦後、商業演劇としての生き残りをかけた時代になると音楽学校もどんどん、厳しさを増していったのかな。
角を直角に曲がるとか、すみれ寮の洗濯機は本科生しか使えないとか、わけのわからんしきたりが増えていくのも、歴史が長くなっていくからですよね。
さすがに、1990年代以降はそんなおバカなしきたりはなくなったと聞いていますが、宝塚歌劇団が阪急と切り離され、独立採算制になってからは、1にも2にも「生徒」にかかる負担が増えていったのは確かでしょう。
96期のいじめ裁判
これは、96期の鈴木さんという子が「万引き」の濡れ衣を着せられ、本科の時に長の部屋でさんざん虐められ、結果、退学になったのを不服として起こした裁判ですが。
この時、問題になったのは校長の見て見ぬふりだったと思います。
私は当時、怒ってたし。月組の「スカーレットピンパーネル」からVISAが降りて、雪組の「ロミオとジュリエット」に96期、つまり研1がジュリエットやるとか、許せなかったです。
歌劇団の体質はその頃からも全然変わってないのは事実ですよね。
宙組の件は、プロデューサーがもう少し細かな配慮があったらと思います。
昭和世代ですのでね。
スポコンアニメで育ち、バレエ漫画でもいじめを見て、「ガラスの仮面」の壮絶さを見てくると、一体どこまでが耐えられて、どこまでが耐えられないのか・・わかって来たようなきがします。
猿之助が言ったように「相談出来たら。一人で決めないといけないと思った」
これに尽きますね。
組子全員が敵になるわけじゃないので。
だけど、今回の長い休演はマスコミに負けたみたいで悔しすぎる。
負けないで。お客の事考えてよ。置き去りにしないでよ。
昨日長野公演「美のカリスマドクター中島ハルコ」の舞台見てきました。テレビとおんなじでした。「私を誰だと思っているの、中島ハルコよ」ってね。
助さん格さんは同じ、ういろうやの親父も田山さん。寂しかったのは松本まりかが出ていない事くらいかな?
敵役は風間トオルと浅田美代子さんでした。
宝塚の様な華やかさはないけど、ちゃんとオープニングとエンディングは歌と踊りと入っています。
大地真央の華やかさと浅田美代子の年相応の落ち着きと美しさ・・・浅田さんの特に舞台でデバンシー(笑)のオートクチュールで仕立てた着物ドレスが素敵でした。デバンシーですよ。
豪華客船が舞台なので、フロアーで繰り広げるマジックショーのマジシャンに風間トオルさん。箱の中で人間が消えるマジックはプロみたい(笑)
1つの舞台で三度美味しかった。石井一孝さんも最後しか歌えなかったけど、ほんとに朗々たる歌声で素敵でした。
とにかく可笑しくてゲラゲラ笑ってばかり。こんなに頭空っぽで楽しかったの何年ぶりかな?鴛鴦歌合戦の100倍頭空っぽにして見れました。そして幸せな気持ちに成れました。いつか彼女の「CoCo」見てみたいです。きっと鳳蘭さんと又違って素敵だと思います。
宝塚の生徒さんに関しては思うこと有りすぎて書けません。
はっきり書いてくださってありがとうございます。
色々な意見をネットで見ましたが、みんな「人が死んでいるんだから宙組解体すべし」とか
「大劇場を全公演休むべし」とかそんな意見ばかり。
それはある意味正しいのでしょうが、違和感があります。
彼女の死は痛ましいです。
しかし、夢を持って宝塚という狭き門に挑み、入ってきた他の生徒たちはどうなるのでしょうか。
いじめ、があったのが事実としても、それを文春がこんな形で報じなければ、別の解決があったと思うと本当に悔しいです。
私は待ちます。
また大劇場に明かりが灯るその日まで。
音楽学校時代は委員をされていて大変だったようですね。
30年前、友人がアルバイトをしていたスナックのママさんが小柳さんの一期上の方で、少しお話しする機会があったのですがルミ子さん、ターコさんの事を伺ってもあまり良いお話が聞けなくて…宝塚は一期違うだけで物凄い優越感を持つものなんだと実感した事があります。
宙組が全公演中止になったのは文春に予科生の転落事故を書かれたからではないのかと想像します。
本当は公演を再開するつもりだったのではないかと思います。
最初に出た理事長のコメントが余りにも他人事のようで唖然としました。
亡くなったのはお一人でも彼女の後ろには何人もの人の想いがあるような気がします。
全公演中止には色々なご意見もあろうかと思いますが私は賛成です。
どうも半島人マスゴミは日本独自のものを壊したがっている様に思えます。
わたしはジャニも宝塚も全く分かりませんが、ジャニと宝塚ではファンの対応がまるで違って見えます。
ジャニ叩きの時にジャニのファンはひとつにまとまり、それは見事だったと思います。
サントリー不買に日本国民を巻き込んでいったのも見事でした。
宝塚ファンはひとりひとり品良く、大人しく、情勢を見ているようで…。
多分良い家にお嫁に行った宝塚歌劇学校の生徒さんも多いので活動なども困難なのでしょうね。
東谷の話ももっと早く刑事事件にして逮捕送検していたら、カウアンの話も無かったし。
まぁパパラッチでダイアナ元英国のプリンセスが亡くなる位だから、何処の国も週刊紙報道に頭抱えます。少し前に宝塚で生徒さんに声楽を教えている方のblogを読みました。殆んどふぶき様と同じ意見です。
更に亡くなられた生徒さんと、妹さんに対して、自殺だけでもショックなのに、劇団がこんなに舞台を休演にするなんて・・・針のむしろに座っている気持ちに成っていると・・・その方はおっしゃいます。多分四十九日迄は休むと言うことなんでしょうが。
自殺したジェンヌさんは嘘を書き立てられ其が原因で回りから責められて、でも嘘だと言ってくれない劇団に絶望したんでしょうが・・・多分それは切っ掛けにすぎないのではと想像しています。
猿之介さんも週刊紙報道は切っ掛けだと。私もそう思っていたので納得。ほんとの原因は名跡の重さ。一族郎党養っていく責任が有るんです。一門って何人居るか知りませんけど。会社の社長で演出家で主演俳優を1人でこなすんです。ほんとは彼を支える人が必要でした。
自殺した生徒さんも七年目で岐路に立ってますね。退団するか?結婚するか(別に相手が居るわけではないが)例え組み替えが、有っても残るか?自分の宝塚に置ける将来が全くみえなかったのだと私は想像しました。
パリピ公明で英子さんが歌い終えて・・・編曲家が君は自分がないんだね!とポソっと言いましたが、多分亡くなったジェンヌさんにも言えるかと。
小柳ルミ子とか梓みちよさんとか宝塚は最初から通過点としか考えない人は芸能界で頑張ります。最初からこうしたいと言う考えがあるから。抱けど大抵のジェンヌさんは強い憧れだけで入団しますから、岐路に立つ時は苦しいでしょうね。
宝塚潰し→○-POPゴリ押し?
宝塚ファンが○-POPに流れるとは思わないけど、マスコミを使って日本の文化を潰そうとするのは同じ。
潰されるべきなのは嘘八百を書きたてる週刊誌です。
お名前は忘れてしまいましたが、俳優の高嶋兄弟の御母堂、寿美花代さん達の世代の生徒さん(他の団員からは自由で枠に嵌らない方というイメージがあったらしい)が退団する時、「お嫁に行って、ちゃんとやっていけるか心配」と案ずる仲間に、「天津乙女に仕えること思ったら、どんなに厳しいお姑さんだって大丈夫」と答えられたんだとか。
これは、実際に天津乙女さんがイジメをしていたということではなくて、天津乙女さんに代表される上級生が、常舞台上の芸、上級生(目上)に対する態度、生活態度に常に目を光らせていて、「直した方がいい」と思えばキッチリ指導が入る生活を続けて来たのだから、お姑さんや小姑数名のダメだし位でメゲたりしないし、その要望に応えるための努力も歌劇団員だった頃に比べれば楽なもの、という自信だったのでしょう。
昭和30~40年代は、まだ戦前の価値観が色濃く残っている時代でしたから、宝塚だけでなく一般庶民の間でも「目上の方が黒と仰ったら、自分には白に見えていても黒として動くのが当然」という空気がありました。
宝塚に娘さんを入れる親御さんの中には、「どんなに厳しい家に嫁いでも、理不尽なことを言われても、姑や夫と上手く折り合いをつけてやっていける娘になって欲しい。宝塚なら、嫌でもそういう風に躾けて貰える」という理由で、義務教育後は宝塚に、と考える方も多かったと、ベルばらの頃に出た宝塚本の中で、当時の座付き演出家の方が仰っていました。
音羽信子さんの頃も、寮で上級生の部屋に呼び出され、積み上げた座布団の上に正座して、周りを取り囲む上級生からの指導を聞くという指導形式があったそうです。姿勢が少しでも崩れると座布団がぐらつくので、ピシッと姿勢を保つだけでも大変だったと話しておられました。
それが、1970年代のベルばらブームの後、入団希望者が日本全国から多数(少数なら過去にもあったけれど)集まるようになると、上級生が下級生に気を使うようになり、指導が緩んだ時期がありました。
「下手なこと言うと、今の下級生は怖い」からと、テレビに出ていたその上級生は仰っていました。論理的に理由を説明して納得させられないと、逆に突き上げを食らってしまうと。
日本全国から生徒が集まるようになって、言葉(方言やイントネーション)や考え方が多様化し、下級生本人にそのつもりはなくても、上級生から見て「怖い下級生」になってしまったのかも知れません。
それを聞いた時は、「このまま宝塚の上下関係は緩くなっていくのかな?」と思っていました。
しかし、年数が経てばその「下級生」が「上級生」になります。言葉が強くて怖い下級生が上級生として指導をすれば、下級生から見れば、昔よりももっと「厳しくて怖い指導」になっていることでしょう。
ただ、どんなに厳しい指導であっても、それが本当に自分を成長させる為に行って下さっていることだと信じられれば、人ってかなり耐えられるものだと思います。
逆に、その「指導」の中に不純物(ストレス発散の為とか、「あなたのこと、嫌い、邪魔」という気持ちとか)を感じるようなことがあると、同じ内容の指導でも「理不尽なイジメ」に感じるようになってしまう。
「感謝すべき指導」か「イジメ」かは、人間関係(信頼関係)に負うところが大きい気がします。
天津乙女さんの時代は、社会全般に目上の方は絶対で、叱られたら「いつでも悪いのは自分と思え。反論するなんてとんでもない!」が成り立つ時代でした。
でも今はちょっと違う。
実現できるかどうかは別として、「自分の考えをキチンと言葉にして主張できる人間になりましょう」という空気の中で子供達は育っています。
そう言って育てておかないと、国際化の時代、自分の利益(立場によっては日本国の利益)を守れないからです。
ただ、そういう空気の中で育った人間は、例え分かっていて自ら飛び込んだ世界であっても、昔の人程には「目上の方が仰ることは絶対」「指導は全て私を想ってのこと」が血肉にはなっていません。
これは、目上の人への信頼が昔に比べると弱い状態ですから、その分、自分に対しての指導は勿論のこと、他者に対する指導を目にしても「あれはイジメだ」と感じやすくなる。
指導する側、目上の側(宝塚の場合は上級生や歌劇団運営者)が、昔以上に指導される側から信頼される存在にならないと、つり合いが取れないのです。
一旦信頼を喪ってしまうと、それを挽回するには元の信頼を築く時の何倍もの努力が必要になります。
上に立つ方々には難しい時代になったものだと気の毒に感じますが、それを何とかしないと立て直しができない。
でも、立て直しが成功すれば、それは組織が纏まり更にレベルアップするチャンスにもなる。
生徒さん、特に下級生から信頼される組織になって、120周年、150周年を迎えて欲しいと、心から願います。