今年は全国的に大雨で土砂災害が起きて散々な8月15日。
天皇と皇后が出るところ、いたる所に災害が・・・と後の歴史家は記してくれないかしらね。
さて、76回目の戦没者追悼式が行われました。
今年はコロナ禍もあって出席者が最少だったようです。
戦後76年も経過すれば本人は勿論、遺族の方々も減るのは当然です。
しかも、日本は今新型コロナという新たな戦争をしているような状態です。
76年前の出来事は遠い歴史の1ページになりつつあります。
体験談を聞こうと思えば85歳以上の人達じゃないと・・・・
先日、昭和48年に出版された主婦と生活者の「戦時中の暮らし」という本を買いました。
戦前戦後の生活や人々の考え方などは皇室に次いで私のライフワークとなっていますが、そこに描かれていたのは女性達の耐乏生活の厳しさでした。
食べるものがなくて「ふすま」を食べた・・・というのがめちゃくちゃ印象に残ったり、カエルを捕まえて食べたとか、栄養失調の身ではどんな食べ物がお腹を壊して死に至るかというような話が沢山書いてありました。
モンペは結構使えたけど、防空頭巾と鉄兜は何の役にも立たなかったとか、内心は「こんなんで戦争に勝てるわけない」と思いつつも、日々の飢えを満たすことだけで日々が過ぎて批判そのものが出来ないとかね。
うちの65歳になる職員さんのお父様は満州へ徴兵されたのですが、結核になってしまい、終戦間近に内地に引き上げたお蔭でシベリアにも行かず、自分が産まれたんだ・・・というような話をしてくれました。
彼だって「戦争を知らない子供達」だし、ましてその下の世代になると。
池上さんの番組では、一方的に日本が戦争を起こしたかのようにざっくり説明していましたが、果たしてそうでしょうか?
いわゆる大国が植民地を保有し、領土拡大を狙っていた時代に日本だけが何もせずにいれたろうかと思うのです。
戦後76年を経て、独立した国々が内戦や独裁に苦しめられ、元宗主国を頼らざるを得ない状況もありますが、なかなか助けてくれる国もありません。
せっかく独立したのに分裂した国もあるし。
そして民族的な紛争が再び起きているし、領土侵犯もあり、予断を許さない状況です。
そのような世界情勢の中の「戦没者追悼式」は、その時間だけ76年前に戻り「もう二度と戦争の悲しみを味わいたくない」思いのつまった式典です。
誰がどう悪かったわけではなく、歴史の流れのなかで起こるべくして起こってしまった戦争でした。
それなのに、天皇はまたも「深い反省」を口にしました。
多分天皇は何も意味なく、ただ上皇が言ってたから・・・という理由だけで口にしたのだろうと思います。
しかし、原爆を2度も落とされ、東京を絨毯爆撃され、沖縄の人々がひどい殺され方をした日本がなぜ「深い反省」をしなければならないのでしょう。
入場した時、バッグを持っていましたがさらりと机の上に。
両手を組むからバッグの置き場所がわからないのでは?
黙とうの間、身体が揺れすぎの皇后陛下。
さらにいうなら一つ一つの所作がわからなくて、天皇の真似をしているだけ。
皇室入って何年経ってると思うんだ?というくらい見苦しい。
そしてパラの開会式には出ないと。
天皇皇后に欠けているのは、天皇本来の「祈り」の姿勢です。
先日、西村大臣が靖国神社を参拝し、15日も閣僚が参拝しました。
今回はあまりよそからああだこうだ言われないし、日本のマスコミも騒がない。
毎年のことながら、今回は神頼みに見えてしまう部分もあったのでは?と推察。
神頼みでもいいよ。祈ってくれれば。
それすらしない天皇と皇后ってなんでしょうか?
76年前の8月15日には全国の神社に皇族方が散らばり、敗戦の報告をしたのです。
今こそ、全ての寺社が祈りを捧げ、感染症の終息を祈る時で、それこそがバラバラになった国民の心を一つにする方法ではないかと思います。
今上夫妻は相変わらずですね。皇后は、公務の経験が少ないからいろいろと…でしょう。よほど躾に厳しい家庭でない限り、こういったことには経験の差が出ると思います。ご実家は、床に座って寿司を手づかみする写真を宮内庁に提出したほどなので、躾についてはお察しです。
今上のあの原稿はおそらく小和田氏が書いたのでしょう。
最後のふぶきさまの一文、とても心に響きました。
私は竹田氏はあまり好きではないのですが、動画を見てお賽銭は「額面多め、枚数少なめ」を心がけるようにしました。
お世話になっている寺社に負担をかけたくないからです。
明治政府によって寺社が無理やり分離させられ、その結果、それぞれ貧富の差が激しくなったように思えます。
成田山などは芸能人や外タレまで呼びますからね。
一方、朽ち果てていく寺社もあります。
秋篠宮に期待する理由は、お名前が仏教系なので、再び神仏集合のきっかけができるのではないかと思うからです。
(もちろん、外国の宗教や新興宗教はダメです。)
神社でブームを起こした御朱印も、もとは納経の印でした。
寺社は日本人の精神の両輪だと思います。ぜひ頑張ってもらいたいものです。もちろん我々も。
昨日の慰霊碑に向かってのお言葉ですが、このフレーズはこの一年で何回きいたかと思うほど使い回しです。
ご自分のお言葉は、記録記憶として国民は分かります。
なぜ使い回すのか理解に苦しみます。
ボキャブラリーの問題でしょうか。
これが秋篠宮さまなら、その年の背景に合わせた思慮深いお言葉をお話しになるだろうなあ、と拝聴していました。
私は50近くになる年ですが、祖父母から空襲体験を聞き、満州から命からがら帰国した人が身近にいて、また夏になるとはだしのゲン、ひめゆりの塔の映画を見に連れていかれ、八月は戦争関連のテレビばかり見てました。人一倍戦争には思い入れがあります。
終戦の日にテニスやディナーしていた天皇陛下御一家はその事実だけで、国民も戦争に対してもう昔の話だと軽くとりかねません。
やはり、天皇陛下ご自身はせめて一年に一回くらいは、改めて終戦に目を向けるような重みのある方でいて欲しいです。
一般家庭では昨今よく見られる光景です。
やはり男は「子を産んでくれた」女には頭が上がらないということなのか。
不機嫌になって制御不能となる嫁のご機嫌取りでクタクタ。
もはや両親(嫁にとっての舅姑)や兄弟に当たるしかなく、しかもそうしておけば嫁は満足……という構図。
まさか天皇家がそんなことになるとは、悲劇以外の何ものでもありません。
それをよしとして強引に持ち上げる一派と、それにあっさり乗っかってしまう国民。
見ていると本当に具合が悪くなってきます。
今上の「お言葉」は、使いまわしとお古ですよね。例えば「眞子内親王の結婚は国民から祝福されるものを」。これは、当初秋篠宮が仰ったお言葉のパクリです。秋篠宮が渋々「憲法下では許可する」と仰ったから「よっしゃー、あの言葉使ったろ」となったとしか思えません。こんなパクリ発言を「さすが陛下!」と持ち上げる人々って、レベルが低いですね。
この今上の発想は、パクリ大国と言われている東アジアの国のようです。
そもそも、今上はご自分の言葉で発言できていませんね。
心をこめていないせいか陳腐さが半端ないです。
何でも妻(ガサツな)の言いなり。小突かれたり足で命令されたり。国家元首がこれでは…と情けなくなります。
いつも拝読しています。
ありがとうございます。
皇后の所作にはいつも違和感を感じます。
ふぶきさんも指摘されているバッグの扱い。
机の上に置くのはマナー違反だ、と私のような庶民でも知っていることをなぜできないのか。
もう誰からも間違いを正されることもなく、また聞く耳を持たず、なんだか怒りよりもかわいそうな人だなと哀れに思います。
来週あたり、またお手ふり静養に出かけるんでしょうか?
人を信用していないから誤魔化すように直す。
間違える事は誰にでもあるけど、人を信用しない振る舞いは国民の象徴としてどうかな。私がスタッフなら信用されてないってめちゃくちゃ落ち込む。
皇后のふらつきには「ご病気なのにご出席していただきありがたい」とも。
国際派と言われているかたが、バッグをテーブルに置くということには触れず。
しかも、関係の無い秋篠宮(家)下げつき。
KK問題をクリアにして、はやく代替わりしていただきたいです。
冷静な国民には、黒幕があの方(とその周辺)だということはわかっています。