>つゆだくさんへ
現在の宮内庁病院は昭和39年に出来ました。
通常、皇族やその関係者、宮内庁や侍従職など、皇族に関係ある人達が診察をうける場となっています。
郷ひろみの元妻、二谷友里恵が宮内庁で出産したというのは、当時としては驚き。
でも彼女の母、白川由美さんのお家柄がよかった関係かなと思います。
で、宮内庁病院は皇族だけが受診できるわけではありません。
特に平成になってから、天皇皇后は東大を好みますし、今や本当に「かかりつけ医」になっている程度です。だから、購入した薬が必ずしも皇族が使用するとは言えないのです。
そもそも薬は、病院が、と言うより医師が「この薬を使用したい」と選ぶもので、だから薬品会社などは一生懸命ドクターに営業をかけるわけです。
病院が買ったというより、ドクターが「それを」と言って買ったわけですね。
・・・とまあ、このような素朴な質問であれば悪意のないとみなした場合は質問も受け付けるのでコメント欄にどうぞ。
50代も最後の年ですし、いくら75歳まで働かないといけないとはいえ、とにかく体がついていかないです。
でも子供達も手が離れたし、何かしないとなと思っていたら、旦那が珍しく「東京都内の史跡巡りしない?全部歩きだけど」というので、まあ、やってみるかなと。
で、つい先日第一回目に行ってきました。
場所は上野の東照宮から、不忍池を通って岩崎庭園へ。
私、上野は何十回も行ってるけど、東照宮は行った事がなくて、縁日のようになってて感動しました。
で、近くでぼたん祭りをやっていたので入りました。
これはあじさいですよ。あじさい。・・・牡丹よりあじさいに目が行くってねえ。
あ、これも違う。
これですよ。牡丹の花。まるで私のよう・・・・とか言ってみたけど、正直、こんなバカでかい花はあまり好きじゃないのです。
でも、確かに華やか。芍薬に牡丹に百合。
私はこういう系が好きです。
これは侘助ですね。
可愛い。ピンクは着物の柄になりそうで。
こういう色は大好きです。
この柄の服を期待。もう若すぎるけど。
その後、岩崎弥太郎の息子、久弥が建てた洋館があり、それが本当に素敵で、中に入ったら気持ちは大正時代あたりにスリップしてしまって、部屋を回りながら、色々勝手に妄想してました。
洋館ではドレスを着ている風、隣の和邸では着物を着ている風に歩くとか。
ちょうど假屋崎省吾氏がイベントを行っていて、洋館の各部屋に彼が生けた花が飾られていたのですが、百合が沢山ある部屋では、本当に香りがきつくて。
写真を撮ってはいけない所なので、観光用の写真を。
馬車道をずっと登っていくとここが見えます。
戦前は東京ドーム分程の敷地の中に20棟建ってたというので、宿泊施設、パーティ施設として使用されていたんですね。
「ごきげんよう」という言葉が聞こえてきそうな。
どの部屋にも暖炉があり、セントラルヒーティングになっています。
昔の洋館は「寒さ対策」が必要で、炭を入れる使用人も大変でしたね。
その使用人の部屋は地下。地下から3階までこっそり行ける階段とか、ビリヤード場へ行ける地下通路などもあります。
こういう階段大好き。
ここがビリヤード場です。
和館は実際に生活の場として使用されていたようです。
抹茶と練り切りを食べて満足。
実は明治神宮やら、今回やらで歩きすぎたのか、腰を痛めちゃって。
連休明けに仕事に行けるかな。
でも、楽しいです。
老後は美術館巡りしたいとか思ってたけど、それはなかなか無理かなあ。
やっぱり75歳まで待たないとダメなんですかね。
場所は上野の東照宮から、不忍池を通って岩崎庭園へ。
私も行きました(笑)上野駅から上野動物園、もうありませんが鷗外荘に泊まり、芸大辺りや岩崎邸谷中まで、田舎から何度も足を運びました。
岩崎邸で凄いと思ったのは、水洗トイレだったこと。
明治大正の頃に水洗トイレ?どうやって処理したのか聞いてみたい(笑)
先日鶴瓶の家族に乾杯の番組でも、高橋一生さんの岸辺の露伴の撮影の家を歩いて高橋一生さんが探し訪ねて居ました。葉山の昔の洋館で羽山御用邸の直ぐ側でしたね。昔の洋館は風情有りますね。
御主人と二人て良いことです。歩きながら色々お話出来ますから。今までの事を又将来のことも話せます。
岩崎邸も素敵ですが、駒場東大前の旧前田侯爵邸を推します。こちらは洋館、和館とあり、どちらも素敵。ガイドツアーもありますので、時間などお調べになってお出かけ下さい。
それでは良い休日を。
ここ最近天皇家の北朝鮮を超えるageage記事を嫌でも毎日見せられ セットで秋篠宮家の悪口もあり、宮内庁はなぜ対処をしないのか?そう思うと腹が立って仕方ないし情けなく、誰かが操作しなければこんなことはあり得ないと感じています。
マスコミを使い記事を書かせる。相当なお金が必要です。某姫のティアラが買えないのはそれが原因では?と考えてしまします。
考えすぎだと良いのですが。
奥様が「夫は清潔な人でありがたかった」という意味の言葉を残されました。
絵画を多数所有され、季節や招待客に合わせておられたとかすかに記憶しています。
ビリヤード場への地下道は、あれは設計者の趣味だと思いました。単に作りたかったのでしょう。
北区の古河邸もお勧めです。
以前、ガイドツアーで和室部分にみとれました。
庭園は小川治平氏の作庭で、平安神宮のお庭より私はすてきだと思いました。
風情の切り替わりが見事でした。
ジョサイア・コンドルの名邸宅と小川治平氏の庭園をご堪能ください。
関東大震災の時、古河氏は避難民を招き入れ保護されました。
アッパッパアというワンピースを考案されたのは古河夫人だと私は思っています。
西郷隆盛氏の姪ごさんです。
大勢の避難者を懸命にお世話されながら、少しでも過ごしやすくと考案され、浴衣などをほどかれたのでしょう。
事態がおちつかれると、屋敷・庭園を修復されたのち、古河夫妻は引っ越されつつましい生活を選ばれたと伝わっています。
その頃はまだ下水道、浄化槽ともに整備されていなかったはずなので(関東大震災の後からだったかと)、便器内からブツwを流すためだけの水洗トイレだったんでしょうね。
おそらく処理自体は汲み取り式だったのだと思います。
前田邸にも同じような階段があり、そこで使用人と演劇をしたと酒井美意子さんが書いていましたので、この階段で?とか、大理石のマントルピースやらを見てわくわくしました。
「日本あっての三菱です」とか、エリザベスサンダースホームを作った弥太郎の孫・沢田美喜さんについて、藤島泰輔によると品格は三代、百年をもって整うの例だとか、昔の華族は贅沢に暮らすだけでなく、人のため日本のために働く気概があったと思います。それに引き換え、今の内廷皇族は・・・と。
旧宮家の復帰ももちろんですが、大名華族も皇室の藩屏としていてほしいと思います。憧れの存在があってもいいし、前田さんとか島津さんとか侯爵家くらいは復帰できないものでしょうか。
都内の名所めぐりで、池田山の正田邸は行かれますか?美智子さんが屋根裏部屋のようなところから手を振る有名な写真がありますが、内部を見てみたかったです。
明治17年に初めて日本人の手により計画、設計、敷設された我が国初の近代下水道です。
驚くべきことに、現在も現役で活躍しています。
マンホール好きには非常に興味のある施設ですが、東京は遠いです
職場の仲間には、「ご両親の足腰がしっかりしているうちに親孝行しておきなさい。旅行にも行けなくなりますよ。」なんて余計なおせっかいを言ったりしています。
隠居する時期は悩みどころですね。
庭を巡る余生を考えていましたが、花を愛でるのも良いかもしれませんね。
目黒の庭園美術館も素敵です。お屋敷が美術館になってます。
目黒の雅叙園の階段になっているところとか。
足腰丈夫でないときついですよね。
この時代のお屋敷は、重厚で贅沢だけど華美じゃなく、センスがいいなと思います。長く残ってほしい文化財です。
今に始まった事ではないですが、、、
最近ぐっとネット上での天皇一家アゲがすごいですね。何かの計画か、怖いブログやXが動いていますし、とある掲示板でも愛子様ほめるトピが立ちました。少しでも疑問を書くとあっという間に荒らしとして通報され、排除されます。言論の自由ではありますが、逆に反論を集団で封じ込める徹底ぶり。組織力がとても怖くなりました。どう対応すればいいのでしょうか。