ふぶきの部屋

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韓国史劇風小説「天皇の母」第7回

2011-04-24 10:05:00 | 小説「天皇の母1話ー100話

戦後、日本にアメリカ風の民主主義が入ってきて社会の体制は大きく変わった。

ツグノミヤが通う学習院にバイニング夫人という英語の教師が現れて自分を

チャーリー」と呼んだ時にはちょっとむっとして「私の名前はアキヒトです」と答えて

しまったし、「あなたは将来何になりたいですか?」と質問された時にも

私は天皇になります」と答えた。

「将来何になりたいか」などと自分に聞く人が現れた事自体衝撃だった。

戦前、日本男児は家業を継ぐのが当然で職業選択の自由はそんなになかっただろう。

ましてや皇室で、皇族以外に何になるというのだろうか。

 

それでも戦後教育を受けるに従って、彼は気づいた事があった。

それは「もしかして自分は幸せではないのかもしれない」という事だった。

戦後、家庭のあり方は大きく変わった。家父長制ではなくみんな平等になり、核家族

が普通。

皇族・華族は親元を引き離されて養育されたり、あるいは外腹の子は別に養育され

たりが当然だったが、戦後はそういう制度はなくなった。

親子は夫婦の間に生まれた子供のみが認められ、そして夫婦と子供は一緒に住む

のが当然の事になったのだ

 

戦前、ツグノミヤは両親と引き離されて東宮御所で暮らしていた。姉宮たちとも

頻繁に会っていたわけではないし、弟とも親しい関係にはなかった。

なぜなら自分は「皇太子」であったから。

思い出すと、両親と一緒に遊んだり姉宮達と時間を忘れて語り合ったりした経験が

なかった。

戦争直後、やっと東京に戻ってきて御所のご文庫で数日を過ごしたとき、お風呂に

入っていたら突如、父天皇がのぞいて「おお、入ってるね」とにこやかに笑った事が

あった程度。父天皇は自分の事を「東宮ちゃん」と呼んで可愛がってくれている。

でも、一般家庭のそれとは随分違う。

今までならきっと一般家庭と同じである必要を感じる事はなかったし、寂しいとも

思わなかっただろう。

でも今は・・・・・

 

18歳になり立太子し、学習院大学に入学した。

と、同時に回りが急にかまびすしくなった。

要するに「皇太子妃選定」の話だ。

これまでの慣習に従うなら、皇太子妃、つまり後の皇后は皇族または五摂家と

呼ばれる華族の娘を中心に側近が選定し、両陛下が了承すれば自分の意思とは

関係なく結婚が決まった。

しかし、華族制度はすでになく11宮家も一般家庭になった。

皇族・華族専用だった学習院ですら一般家庭の子が入るようになった。

もう以前の身分制度はなくなり、みな平等の元に戦後復興を歩んでいる。

そんな中、皇太子妃が誰かによって皇室のありかた自体が決定されるという

状況になるのだ。

 

18歳になると同時に「お妃選び」は始まった。

ツグノミヤはそれをどこか他人事のように見つめていた。

結婚について夢を持つ事など到底考えられない状況だったから。

敗戦国日本。

その中で皇室のあり方を問うお妃選びはツグノミヤの知らないところで難航していた。

 

 


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