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月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

ホントウを…考える@冤罪

2008-03-02 10:44:50 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等
映画
それでもボクはやってない

みた。
途中からだけど。


冤罪か…。こわいなぁ。

目撃者がいても

無実を証明できるだけの
確かな証拠が無ければ

有罪になってしまうのか…?

一応
映画は
男性側からの視点になっている。

そして彼が
犯人でないということが
前提になっている。


だから
見てる私は彼に
感情移入…

するはずなんだけど。


途中から見たからか

どこか傍観者な…私。
どうして?(^_^;)


(思いは裁判からは少し離れて
ぐちゃぐちゃと続く)


いいこと した人
わるいこと した人…
いい人 わるい人…

何を見たら分かるの
かなぁ…

人の印象なんて
あてにならないものだ。

誰も
人の
頭の中までは、分からない。
…と思う。

自分がそうだから。

分からないよね…
分かったらやだな~(汗)

人はどうか分からないけど

少なくとも私はそうだ。
困りマス。


いくら
打ち解けた仲でも
すべてを表に出すとは限らない。


いや…
逆かなー(∋_∈)?

近いからこそ
その関係を守るために
出せないモノもある
のかも。

出し分けてる…のが
近いかも。

その場に合った
自分を出す…?


自分がそんな具合だから、


いま目の前にある
人の姿が
いわゆる
“真実”かどうかなんて
胸張っていえないなぁ。


何かと何かをつなげて
“たぶん そうらしい”
という程度だ。


ていうことは…

どこを見るかで、
見方によって、
どうにでも変わる?

見る人によっても
変わる?


あやふや
不確か
真実って
一体どこに?


まさに
神のみぞ知る。


それでも
こうだ、と
決めなければならないのなら

謙虚に
真摯に
いきたいなぁ。



でも考えてみれば
それこそ
見方なんて、十人十色。

たくさんある。
だからこそ
ひとつに固定されない
ともいえるのでは?


見方が違うことが
“ほんとう”に近付くために実ははいいこと?


それを踏まえず
“ほんとう”がひとつだと
信じて疑わないとき、

日常で
冤罪を作りだしては
いないか?
自分は、
自分たちは。


いないと
断言は出来ない。

それだけは
忘れないようにしたい。

“無実の人を罰しない”

最初の裁判官が
言ってた言葉が
心に残った。

映画が終わって
たどり着いた
自分の思いは

そういうところか。

冤罪になった彼の辛さに
共感するよりも、

自分のことを振り返り
胸にじっと手を当てる感じだ。


………

それにしても。

痴漢冤罪

痴漢被害

この二つを思うと、
どうにかならんかという
思いが巡る。
どちらも辛い。


けど女性として、
被害を受ける側に
なりやすい者として思う。



映画の中の被害者、
いたいけな十代の云々
言われてたけど

まあ

被害受けた者は
忘れませんからね
何十年経っても
たぶん。


やる側の気軽さに比べると
受ける側の
精神的被害の重さは
比較にならない
ことは

忘れずにいたい。


男、女、関係なく
こんなことって
相手を思えば
出来ることじゃないよね。


妄想しがちなオタク(…私?f^_^;)は、思う。

オタクオタクて
場合によっては
キモがられたりするけど

妄想で補うということを知らんのか!(怒)
と言いたい。
そういうバカなことするヤカラには。


妄想や想像は
いくらでもしたらよろし。
頭の中は自由。
上手に付き合うべし。

けど
リアルで悪いことするのは
最低だ。
酌量の余地なし!

だよっ。O(`ヘ´#)"O

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