月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

ママが、くれた

2008-11-01 11:09:38 | 日記等 未分類
木曜

ママを見送りました。



“ママ”といっても祖母なのですが、
私にとっては
生後1~2ヶ月頃から
みてもらっていた
母親のような存在だったので

ママがいない世界は
考えられないくらいでした。



一年ほど前

もうひとりのおばあちゃんを見送ったとき


この日が

そう遠くない いつか だと
心の準備をしつつも

それが現実になったとき
自分がどうなるのか
とても不安でした。


しかし
最後のお別れを終えてみて

自分でも不思議なくらい

静かな気持ちでした。



どうしてなのか
考えていました。



長い長い時間をかけて

私は
“ママ”である祖母から


親離れをしてきたから
かもしれないと
思いました。


はじめは
たぶん
赤ちゃんと母親のような
関係でした。


赤ちゃんは、
母親も自分の一部であるような感覚を
もつという特徴が
あったかと思いますが…

まさに、それのようでした。


自分の感じることは
ママも同じように感じ

ママの感じることもまた
自分も同じように感じる

通じ合う存在だと
思っていました。



でも、
いつからか


時には
考えが違うことも
あるのだと気付き


ことによっては
すべて話せない
ことも抱えるようになり



そして最近では
うまく話が かみ合わないことも

増えてきました。



それでも
さみしくはありませんでした。


長いかかわりの中で

ママは、
どんな私でも否定しない という
揺るがない安心感を与えてくれました。


そんなふうに私も、
どんなママでも受け入れられる
ような気がしていました。



支えられていた 自分から

こんどは
支える側になるのだ
という気概が

私に力をくれたように思います。


なので

遺影を前にした気持ちは

喪失感とは また少し

違うものでした。



ママ、 いける。

いけるよ、

わたし。


大丈夫だよ。


そう言いたい気持ちでした。


その人が
大切な存在であればあるほど

いなくなる時が
とてつもなく怖かったけれど、

ふつふつと湧く感情は

明るくあたたかいものでした。



かたちはなくとも

そばにいる
ともにある

そんな不思議な感覚です。



それだけ

ママとのかかわりは
両親以上のものがあった
ともいえ、

深く
強く
私の心にに刻まれて

いるからかもしれません。




動物の世界で、

子が親のもとを巣立つとき

こんな感じなのだろうかと


ふと思いました。


不安や寂しさが
無いといえば嘘になりますが、

自分の足で歩ける

自信や嬉しさも また あります。


本来なら
そんなことは

とうに通り越している

歳だとは思うのですが、



まだまだ
“子ども”から抜け切らないものを
引きずっている私にとっては

大きな一歩です。



…………

葬斎場で

火葬を待つ間、

子どもたちにせがまれて

外へ出て

裏庭を歩いていました。



石庭、でしょうか。


石の
静かなたたずまいの中で


秋晴れの空や 日差しや

木々のみどりが

きれいでした。


日陰の すっとした空気が
胸を洗い流し


日差しが ほっと
胸をあたためてくれる


静かな時間でした。



何か大きな流れに

すっぽり包まれたようでした。



何もなくしてはいない、


むしろ


それは私の中にあると



ママが残してくれたものに


あらためて気付きました。



内側に満ちてくる

あたたかいものに、


ママという人に出会えたことに、


ありがとう




繰り返していました。
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