月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

10/23 サラダボール公演『サド侯爵夫人』

2020-10-29 18:11:03 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等


サラダボール公演
『サド侯爵夫人』
ノトススタジオにて
10/23 初日 観劇

久しぶりに長いの観たー!
全3幕、間に2回休憩あり。
でもその間に時が流れている。
1772年から始まり、6年、
そこから12年。じつに18年。
一生のうちでは
一部分かもしれないが、
その人によっては生き方に
大きく影響する18年ともいえる。
フランス革命も起きてるし。


サド侯爵の乱行はスキャンダラスで
今の時代の自分でも、
個人的には引く(笑)。
けれど、
人々が表には出さず隠している
欲求や衝動が全く存在しない
とも思えない。
どう振る舞うか、
どう現実と折り合いをつけるか。
それぞれに葛藤はあると思う。

ひとくちに、
これぞ正解というものはない。
時代の大きなうねりの
中にあればなお
よしとされるものも定まらない。

流れに乗じて変わり続けるのか、
流れに逆らってでも
変わらずにいるのか…
何を信じるのか…などなど
頭がぐるぐるしそうな展開(笑)。

だけどひとつ思ったのは、
その時の自分の心を
大事にした方がいいのかな
ということ。
心のままに、とはいかないけれど
心をねじ曲げすぎれば
その反動はとんでもないものに
なるのではないかと。

白と黒。
何かを象徴するような
登場人物の衣装。
身にまとう服の色も
時と共に変わっていった。
変わらなかった人もいた。

舞台を囲む数枚の ついたて。
透けて見えるけど姿も写す。
それも12年の間に、
客席側に移動していて。
見え方も変わる、距離感も変わる。

光の源…どの方角からだろう。
暗闇の中にあっては
光があるのかさえ分からないような
気持ちになるけれど。
手探りのような気持ちで
目を凝らした。


最後は、ついたても消え
机の上に残されたものも
消えていた。
机と椅子がぽつんと残った。
長い年月あんなに苦しみ激論し
何とか生き抜いてきたのに、
いつかは消えていく存在なのかと
無常を感じた。


そういえば
神様や信仰について語られていた。
自分はよく分からない。
ただ神様がいるとすれば
すべてを静かに見守って
くれているような気はする。

舞台を見つめる私たちは
何も手出しできない存在。
その世界を変えることも
誰かを救うこともできない。

だけど
どんなに惨めで辛いことも、
誰の目にも触れない心の闇も、
じっと見守ることはできる。
少なくともこの場で
ここにいる人と共にこの時間、
見た。
それが何ともいえない重さを持って
胸にずんと響いた。

集う機会が少ない今、
それがより一層重く感じ
なぜか心満たしてくれるような
感覚でもあった。

何を感じ考えているかは
それぞれ違っているかもしれない。
けれど、物語の中の人や世界に
共に向き合っていることについては
同じなのだと。
静かな中にも一体感。
そんな感覚だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10/3  SARPvol.18『星の祭に吹く風』

2020-10-08 17:12:24 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等


10/3
SARPvol.18『星の祭に吹く風』
ノトスで観劇。久々に生の舞台✨

「風の又三郎」そこから数十年、
1962年、
小学校に集まる大人になった人たち。
そして30年経ち1993年、
同じ場所に、若者たち。
その二つの時代が交差する物語だった。

今の自分が感じた違和感。
時代、地方、地域性、
男女それぞれの立場や役割。
異質なものへの恐れ。
守るべきもの、変わるもの。

何が正解かは分からない。
でもそれぞれの幸せを実現できたら…
そんな祈りにも似た気持ちになった。
………………………………

まず最初の方で引っ掛かったのは
1962年の場面。
女が、男2人に手拭いを渡し、
男たちは汗を拭い、(雨?)
そしてまたそれを女に返す場面。

男たちが会話する中、手拭いは
当たり前のように渡される。
「どうぞ 」と、
取り立てて注意を引くこともなく。
「ありがとう」と
思いがけない気遣いに感謝するでもなく。

今の自分たちなら基本的に
自分のことは自分でするのが当たり前。
女が側に控えていて、すっと差し出し
すっと引っこめる、それに違和感。

でもそれが、
今でも必要とされている場が
あることも肌で感じている。

この建前と実際の違いが
たぶん昔より大きいはず。
納得しきれぬ心を抑えて
身体を動かす負荷は大きい。

あまりにさらっとした場面だったので
ちょっと考えすぎかな(笑)
なんて思っていたけれど、

そのあと観ていくうちに
その女性の葛藤に繋がっていた。
やっぱりそうだったか……。
やばい。
おおかた60年経った
今でもそんなに
変わっていないこともあるのか。

………………………………

そんな一人の立場に共感しつつも、
他の登場人物にも心が傾いていった。

村の在り方。苦しい現状。
新しい風を受け入れ変わるべきか。
昔ながらを守るべきか。
多くは異質なものを恐れる。
それじゃダメだ。
変化も必要。けれどやみくもに
新しい流れに飛び付いて良いものか。
でも、どうにかして
食べていかねばならない現実もある。

もう何が正解か 分からなくなる。

ただ、それぞれに幸せがあって、
何とかそれぞれを両立し
実現できないものかと思った。

求めているのは
“ にぎわいじゃない ” という言葉。
それだけが “ 豊かさ ”
ではないということか。
やすらぎ、なのか? 何だろう。

外との繋がりを絶つわけではない。
今の時代、それは不可能。
大なり小なり余波は受ける。
繋がりを持ちつつも、
独自のものやペースを保っていくには
何が必要なのか…。

どちらの時代にも居たあの子、
座敷わらし、みたいな。

見えないものは
とかく存在を否定されがち。
でも、見える見えない関係なく、
見えなくてもあるかもな…と
皆が思えたらいいな。

見える、ということは
感覚と似ているようにも思う。
感覚は、人によって
大きく違う場合がある。
自分の感覚が全てでないし、
多くの人が持つ感覚が絶対でもない。
理解し難いこともそれなりに
共存できたらいいのに。

そんなことを考えさせられた。

でも、
難しい理屈ではなく
人の動きや表情、取り巻くものがあり、
自然と世界に入っていけた感覚。

周りを取り囲む白い、あれは風のよう。
天井から波状に垂れた
長い紐…のれんみたいなものが
空気が動くたび、かすかに揺れて
不思議な雰囲気だった。

静かな場だからこそ、
かすかな揺れが
すごく気になる時がある。
ざわっ………胸がざわつく。
それが目に見えるようだった。

どんな静かな場所でも
生きていれば、いくらか揺れる。

揺れないようにするのも疲れる。

いっそ嵐が吹き荒れてもいい。

風にも色々な表情があったほうが
私はいいなと思う。
どれがいいとは言い切れないけど
少なくともそれだけは言える。

風、起こしてみるのもいいかも。
不発でもいい(笑)
のみ込まれたり、
踊らされたりするよりは、
ずっといいよね。
何だか不思議に
力を感じた 帰り道だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Twitter