ひよりみっ!

ディープインパクトが三冠馬になった年からやってる日記

「がくえんゆーとぴあ まなびストレート!」についていけるかどうかの境界線

2007-03-24 00:20:46 | つぶやき
マントラプリの生涯原液35度 - 「がくえん」って、なに?

いつも通りニュースサイトめぐりをしていて出会った記事なんですけど、
(仕事が忙しいといっても、それくらいの時間はある(笑))
この記事の中にすごく共感できる箇所があったのです。
人の生活を「ハレ」と「ケ」に分けるとき、
「ケ」とは対価を求めて労働を行うときであり、
「ハレ」は対価なしに労働を行うときであるという部分です。

そこで、です。
この文章を読んで、どう解釈するかです。

「見返りのために労働をする必要がない」





この文章はダブルミーニングです。
「労働をしなくても見返りが手に入る」
「見返りを求めることなく労働を行うことができる」
どちらの読み方も可能です。
が、何も考えずに「まなびストレート!」に感情移入できる人は、
たぶん後者で読めた人だと思うのです。

前者の読み方をする人は、まなびの行動に明確な理由を求める人でしょう。
「まなびは、一体何を求めて、学園祭のために必死になるのか?」
人間は、何かを手に入れたいからがんばるのであって、
何も手に入らないのにがんばっても意味がない。
なのに、まなびは「手に入れたいもの」を教えてくれないから、
彼女からは人間としての実体を感じられない、と。

それに対して、私ならばこう答えましょう。
「まなびがほしいもの? みんな一緒に『うれしい、たのしい、大好き!』という気持ちを分け合うことでしょ?」
そう、「手に入れる」ではなくて「分け合う」です。
幸せは、2人でわけると半分ではなくて2倍になる。
そういう考え方が自然にできるのが、天宮学美なのです。

大人になると、人間関係においても損得を考えないといけないことが多くなります。
「仕事だから付き合ってるけど、プライベートでは絶対関わりたくない」
こういう人間関係なんか、その最たるものです。
だから、おっさんである私なんかは損得を考えずにみんなが付き合っているような世界にあこがれます。
「マリみて」ですよ、「あずまんが大王」ですよ、「ARIA」ですよ、「ひだまりスケッチ」ですよ、そして「まなびストレート!」ですよ。

まあ、あこがれるだけでは何も変わらないので、
私もアリシアさんとか志摩子さんみたいに、
あらあらうふふな人間になれるように日々心がけております。
別に性転換する気はないですけど(笑)。
コメント
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