昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

うれしいプレゼント、見事に起業家へ転身!

2008-10-31 22:56:00 | チャレンジ
小包が届いた
はて?なんだろう?

同じ会に所属しているKさんからだ

開けてみると・・・○○のセットだ

あー、わかった
会の新年会でKさんが発表していたことを覚えている

新製品を開発中でうまくいったらその商品を
プレゼントするということ
ということはうまくいっているのだろう。

商品に添えてあったあいさつ文をみると
原料高とモニターテストに時間がかかったとあるが
春に発売した新商品は順調に売れているという。

Kさんが脱サラをして経験を生かし同じ業界で
起業するにあたっては
会の塾長のひと押しがきっかけになったという

その時言われたことが

「儲かって、かつ面白い会社経営の実践=どちらが欠けてもダメ」
ということで、以来、その思いを実現するために猛烈に頑張り

起業して4年、厳しい業界の中で業績を伸ばし
経営も軌道に乗せているのは立派の一語につきる。

自分より一回り半、年下で働き盛り
会の活動でよく顔合わせして気が合う仲間、というより
自分が見習わなければならない起業家の一人だ。

年中、出張、出張で全国に販路開拓に回っているが
会の大事な催しには、万難排して駆けつけてくれる
友情と熱意の持ち主で人に対する心配りは天下一品。

一昔前までは脱サラとか独立
いまは起業という言葉が定着し、若者を中心に
起業家をめざす人が多いが
チャレンジしてうまく行く人がどれほどいるやら。

そういう意味では
たとえ個人でも、ちっぽけな会社経営であっても
頑張っている人はえらいと思う
自分が長くやってきてよく知っている。

ビジネスマンにはあれこれと言わせてもらうが
自らの力で必死に生きることに闘っている人には
何も言うことも言えることもない
こちらにその人以上のことをしているかと問えば
自信がないからだ。

会に所属してご縁ができたKさんはかけがえのない仲間
そんな彼が命を賭けて開発した新商品を
わざわざ贈ってもらえる1人においてもらったことが
なによりもうれしい。

今後の活躍を楽しみに見守ってあげたい。

吉野山修行体験をして。

2008-10-30 23:29:19 | チャレンジ
比叡山や吉野大峯山千日回峰行者の本を読んで
一度でもいいから現場を歩いてみたいと以前から思っていたが

たまたま、吉野大峯の修行コースの一部を体験できるご縁を
いただいたので楽しみに参加した。

朝6時過ぎに家を出て9時に奈良県の近鉄吉野駅へ


小型バスに参加者と分乗してスタートの九十丁へと向った
紅葉が始まっている大峯の山中を曲がりくねりしながら40分。

そこから吉野金峯山寺蔵王堂の修験僧侶が案内をしてくれる
修行者の装束をまとった白い出で立ちは、死を意味するもの
死にに行くのだ、そして生まれ変わってくる覚悟の装束だと
説明を聞いて身震いがした、やっと大峯を歩けるという嬉しさと
どんな道なのだろうか・・・という緊張感。

スタートの九十丁は、修行の道出発の金峯山寺蔵王堂からは
すでにかなりの距離にあるところ

吉野大峰の険しい山々を修行の霊場に切り開いたという役行
者が小さな祠の中からしっかりと見つめている、そっと手を
合わせてほら貝を合図にいよいよ修行の道へとすすむ。


天気は快晴、最初はゆるい上り道、木々の中をスローペースで
すすむ。緊張感も徐々にやわらぎ周囲に自分が同化していくの
がわかる。



最初の目的地百丁茶屋跡へ
コースの前後にはたくさんの茶屋跡があり、修行する人たちが
往来した祈りの道であったことをうかがわせる。



ここに修行の道を開いた役行者さん(写真左に小さく見える)
も見守って下さる。


修験僧侶から、道が険しくなってくるので

 さーんげ   さんげ   ろっこん  しょうじょ

と大きな声を出して行きましょうと

僧侶の声に従って大きな声を出し続けたが
どうしても息切れをする
やっぱり足と呼吸がずれてくるとしんどい

中間にいる自分がやめると声が小さくなるので
へんな使命感にかられて頑張り続けたが・・・

やっぱり修行している人は違う
それになによりも足取りが軽い
回峰行の写真を見るとまるで地を飛んでいるように見えるが
きっとそうなんだろう、一日に48キロも険しい山道を
千日も歩き続けるのは・・・きっとそうなんだろう。


次の大天井茶屋跡へのコースはかなり険しい急な登り道が続いた
早くもリタイアが1名、遅れる人が少しずつ出てきた

登り続けながら、ふと、立ち止まり、周囲の景色に目をやる
やさしい秋の日差しの中を葉っぱの一枚一枚が精いっぱいの
お化粧をしてうれしそうに歓迎の笑顔で出迎えてくれている。

色づく葉っぱも落ち葉も枯れ枝も、そして雲も風もみんなみんな
無事を祈ってくれているのだろう
周囲のすべてに守られている自分を強く感ずる
熊野古道や先々週歩いた高野山の町石道でも同じことを思った
歩かせていただいているんだと。

大天井茶屋跡茶屋跡から見る大峯の山々はすでに紅葉が
すすみ とても遠く、広く臨める景色を楽しむことがで
きた。



ここで修験僧侶と写真を撮ってもらう
笑顔をたやすことなく、休憩ごとに楽しい話を聞かせてもらい
質問にもわかりやすく接してもらっていい出会いだった。


ここから頂上までは高度にして50メートルくらいか
そこに見えている頂上を山登り経験のない自分には簡単に思
えたが実際は、縄を伝って登る急な険しい道の連続で緊張した。



12時8分、大天井ケ岳1430メートルの頂上へ到着。


ここで昼食。

頂上から少し下ったところに昼食場を確保
所属しているSNSのバッチと帽子の記念撮影を始めたら
向こうから二人の女性が寄ってきて何をしているのかと聞かれた。

(バナナにパンありがとう、たくさん楽しい話ありがとう)

右の人が四国88ヶ所霊場めぐりのスタッフをしているようで
高野山の町石道もよく歩いているという
すっかり会話がはずみ楽しい昼食をした
バンとバナナもいただいて、やっぱり昼食は貢物がある
おばさんと一緒に限る・・・。

この二人とは、帰りの電車でも偶然に一緒になるのだから
これもご縁かなあ・・・

食事を終えたから、今度は急な下りと、平地になると木の根の
稜線歩きでここも緊張する場面が多かった
前の人の足元をしっかり見て、滑らないように
転ばないように・・・
大半の人が杖でしっかりと歩いているのに
こちらは素手?ここらがいい加減さの証明
なめたらあかんという反省。

旧五番関跡に到着、ここから女人禁止という門が
立っていて説明がきちんと書かれた標識も立っている
いまも大峯山は女人禁止になったままだ。


(ここから女性は入れない、その理由の説明を聞いた)

ここからが最後の急な下り、縄づたいをしながらスタッフの
サポートを受けて石ころの道を下りて行く。
この急降下、スリル満点、緊張した。


前を下りて行く女性があぶなかしい
とうとう二度も続けてリュックから転んでしまった

思わず笑ってしまった

ごめんなさいね

後ろのことは気にされないで
ゆっくりと自分のペースで下りてくださいね
と声をかけた

ありがとうございます

これで通じあった。

無事に五番関隧道西口へ降りた時はほっとした。

ここからバスで40分、吉野の上千本へ
ここで観光協会の方に温かいうどんをふるってもらって
やっと緊張の糸がほどけた。

今日の修行体験は、ほんのほんの一部の道だけ、
距離にして6キロほど、修行と言えるものではないが

吉野大峯の自然のおもてなしに
たくさんの元気をいただいて
少しでも自分のこころがリフレッシュできたのなら
こんなありがたいことはないと思った。

どれだけ長く歩くとか
どんなに早く歩いたとか

自分には、もうそんなことはどうでもいい

歩いてなにを感じたか
歩いてなにが見えたか

そして歩かせていただいた道と
出会った自然や人に感謝できること

それがたぶん自分がたどり着いたウォーキングに
求めていた答えなんだろうと思う。

歩き方は生き方。

別にいい格好するために言っているつもりはなく
ここまで歩いてきてごく自然にそう思うようになっただけのこと
それも未熟な自分をなんとかしたい、そこに原点があると思う。

自分の倶楽部にもいるが、ウォーキングをしている人には
長い距離や早く歩くことに一生懸命になっている人もたくさんいる

これもチャレンジウオークだからすばらしいこと
歩きはそれぞれ、楽しく歩けることが一番だ。

自分の場合は段階を経て、年齢もあるのだろうが
そういう境地になったのだと思う。

解散してからは自分の吉野ウォーキング

吉野へ来ればなんといってもあの金峯山寺蔵王堂を
訪ねておかないと来た意味がないと参道を下り続ける

あの大きくて荘厳な威容の蔵王堂の姿の前に立つと
体の中をなにかが抜けていく・・・来るたびにそう思う
線香をあげお参りをしてゆっくりと時間を過ごした 。


吉野駅まで、体が疲れているはずなのに
軽くなったココロトが救ってくれたのか楽しく下り
電車で帰路についた。

先月から高野山、法隆寺・発起時、吉野と世界遺産登録の
祈りの道を歩かせていただけたことをしみじみと好運に思った。


・・・・・・・・・コメントについて・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・

★コメントをお書き込みくださることは歓迎いたしますが
過去に削除させていただいたり、認証を拒否させていた
だいた方のコメントは固くお断り致します。

高橋尚子選手の引退発表に思う。

2008-10-28 23:23:17 | ひとりごと
女子マラソンの高橋尚子さんが引退を発表した
プロとしての走りができなくなったからだという

ファンの期待に応えられる走りができなくなった
プロ選手として「賞味期限」がきたということだろう。

北京オリンピックの予選で惨敗したとき
この日がそろそろ来るのではないかと思ったが
まさかこんなに早くなるとは思わなかった。

高橋尚子さんには、お疲れ様と言ってあげたい。

Qちゃんと、誰からも親しまれた
あの笑顔と、礼儀正しさと
いつも周囲に感謝の言葉を忘れない人柄は
先輩の有森裕子さんに通ずるものがあり
まさに国民的ランナーだったと思う。


これからは一市民ランナーとして
走る楽しさを伝えることを使命とし
自分の道としていくのだろう。

勝負の世界は厳しい
身を削り精神力のぎりぎりまで追い込んでも
記録が伸びなければプロの道は閉ざされる。

プロとはなにもスポーツの世界だけではない
自分を含めてビジネスの世界もそうだ
ただプロと自覚しているかどうかは別だが
舞台への声がかからなくなればそれで終わり。

プロとしての値打ちがあるかどうかは
相手(お客さま)がきめる。

68歳の自分にとって
日々は賞味期限との戦いだ
個人の名前で生きている人はみな同じ
常にこの恐怖と闘っている。

いかに世の中にプロとして通用するか
そのために自分の賞味期限をいかにして
伸ばしていくか・・・
他人ごとではない。

高橋尚子選手の引退宣言は
それを強く感じさせるものだった。


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習慣の功罪。

2008-10-27 22:50:05 | ひとりごと
ネット上で
趣味をテーマにしたSNSに登録をしている

昨日、なにかトラブルがあったのか
ログインができない

つながらないとなんとなく不安になる
パスワードを変更して試みるがはねられてしまう

こちらに問題があるのか
サーバーにあるのか
月曜日になるとわかるのだから

別に仕事でもないし一日くらいほったらかしても
誰に迷惑をかけるわけでもないし
損をするわけでもないのに

なんとなく落ち着かない

そういえば仕事場にくるとパソコンを開いて
SNSをのぞいているなあ・・・
いつのまにかそれが通常のパターン
習慣になってしまっている

登録していなかったときはなにをしていたのやら?

習慣とは「力」
「思考」を必要としないで
いつもの同じ行動がとれること

いい習慣なら「プラスの力」になり
マイナスの習慣なら「マイナスの力」になる

それらが明確でなくても
「どっちでもいい習慣」
これが多すぎる・・・

日々の過ごし方
人との付き合い方
時間の使い方

いま一番しなければならないこと
それは自分が一番輝けること

そのことに自然と集中できるように
ささやかなことでも
ひとつひとつ
一歩一歩
積み重ねていい習慣にし
「力」にしていくことだ

惰性の繰り返しは進歩がない
挑戦への繰り返しは成長がある

時間は限られている
どうしたいのだ!


ブラウン監督に期待する。

2008-10-26 18:04:31 | カープ
気をもんでいた広島カープ・来季の監督に
ブラウン監督が引き続いて契約を完了した。

契約交渉に代理人を入れたがために感情的な対立
があったが、最終的にはブラウンさんが要求を撤回
球団の契約条項に従うということで決着した。

一番大切なのは選手やファンで愛着もある。
どんな条件でもサインをする気持ちは最初から強くあった。
最終的にはチームが勝つことが目的だ。
広島から離れたくなかった。

ブラウンさんは、そう言っている。


ブラウン監督の明るさや
パフォーマンスはファンに好感をもたれているし
若手主体のスピードのあるチームづくりも
着々とすすんでいる。

引き続いてチームを率いてくれることは大歓迎だ。

日本一を争う日本選手権は今週末からだが
関係のないチームはもう来シーズンに向けて
戦いが始まっている。

選手に言いたい

監督で日本一、給料の安いブラウン監督の給料を
上げるためにも順位を一つでも上げてほしい。

個人的にはあえて優勝せよとはいわない
カープの伝統、守りとスピードと粘りのある
野球をして

今シーズン、巨人に勝ち越したように
強いといわれるチームにこそ
カープの野球で堂々と戦って勝ってほしい。

来シーズから広い新球場になる
ブラウン監督と選手に期待している。

生涯現役、菅井きんさん。

2008-10-25 18:01:28 | 輝いて生きる
女優の菅井きんさんが「世界最高齢映画主演女優」
としてギネスブックに認定されたそうだ。

まもなく封切りされる「ぼくのおばあちゃん」が
その主演作らしい。

以前、テレビドラマでよくみかけた菅井きんさんの
ほのぼのとしたぬくもりを感じさせる庶民的雰囲気が
好きだったが、最近は、テレビをまったく見ないし
映画も見ないのですっかり忘れた存在だった。

82歳だそうだ。

題名の「おばあさん」は、菅井きんさんにとって
年齢を演ずることはたやすいことだろうが
主演となると逆にむずかしいのか・・・

インタビューに

あとどれくらいやれるかわからないけれど
生きている限り生涯現役で生きていきたい

と答えていた。


いつも、「生涯現役」と言い続けている自分だが
(ブログタイトルにもその言葉を先月まで入れていた)
その話を聞いて大きな勇気と希望を与えられた。

その歳、その歳は、二度とこない自分だけの歳だから
自分の年齢らしく、主役を演じて生きることが
生涯現役の道をすすむことなのだろうと思った。



ひどい肩こり、ストレスかな?

2008-10-23 22:52:42 | ひとりごと
肩のストレスかな?

きのうからひどい肩こり
こんなの何十年ぶりやら

来月前半に集中する仕事の事前資料提出期限に
追われて今日も一日、中身のつめ、パソコンに打ち込み

パソコン技術が未熟なために時間がかかる
一昔なら半日で作成できていたはずのものが
一日かかってしまう

そんなときに余計な電話セールスがよくかかってくる
ごめん被りたい気分を損ねるメールもくる


相手先、その時、に対応してすべてを手間暇かけて
作り上げていく仕事の手法をとっているので
時間がかかるのは当然だが

集中力して行える時間が短くなったのかなあと思う
それも年齢的に衰えてきているのだろうか

ついつい、そんなことで自分を納得させようとする

でも、考えてみれば
さらに中身のあるものにしたいというこだわりと
そのことにチャレンジしょうとする意欲は
ちっとも減退していないと思う

集中力や持続力や基本的な体力が落ちるのは
年齢を重ねていけば当然のことだから受け入れるが
それをカバーするのは熱意だから
これを前向きにコントロールすることかなあ・・・

乏しい頭脳を使うので
少しでも気分よく
集中できるように
心身の環境作りが決め手だと思っている

いま
一番の困りごとは
一方的に送られてくる
インターネットを使った乱入や時間泥棒
これには手を焼いている

とにかく
一日一生

今日という日をすっきりと終われるように
明日という日がすっきりと迎えられるように

そんな日々を送りたい

明日もまだまだ続く仕事
肩こり、消えるかなあ・・・

仕事の合間の今日のブログ。おわり。





遠かった道のり。

2008-10-21 20:53:33 | ひとりごと
ご近所のAさんとやっとあいさつを交わした

いつの頃からか思い出すこともできないくらい
あいさつを交わしたことがなかった

別にケンカしたわけでもないのに
なぜ出会うとプイと向こうを向かれる

なにか失礼なことでもしたのかなあ・・・
なにもなければそんな態度をとられるはずがない
でも思い当たることがなかった

こちらも自然と無愛想になる

確かに笑顔のないとっつきにくい表情をしている
ので自分だけに対してとは思わないが
ずっと同じような状況が続いた

顔を合わせるのは月に一、二度くらいで
まあ、仕方のないことと思ってきたが

夏場過ぎAさんと顔合わせる機会が増えてきた
仕事をやめたのか家にいるのだろう

ご近所なんだからこんなことではいけないと思い
どういう反応をされようと頭だけは下げようと決心して

会うと頭だけは下げてみたが
相変わらずあっちを向かれた

それが今朝
正面からばったりと会った

なんとAさんが帽子をとって
頭を下げるではないか

びっくりしてこちらも大きな声で
おはようございます!と返した

とても気持ちがよかった

これで今度からお互いに気持ちのいい
あいさつができるだろう

きっとAさんもほっとしたに違いない

ずいぶんと遠まわりしてきたものだ

誰に対してもあいさつはきちんとしていると思うし
こちらからするように心がけているが

それが、なぜ、Aさんとできなかったのか
自分でもそのなぞは解けない

簡単なことだが
意外と難しいのもあいさつ
このことは誰にも話したことがない秘密だった。





斑鳩の秋を訪ねて。

2008-10-19 09:51:15 | ウォーキング
ウォーキング倶楽部の10月例会で奈良斑鳩の里を歩いてき
た。個人的には5月以来5ヶ月目の斑鳩だ。

雲ひとつない快晴の斑鳩の里はすっかり秋の佇まいで迎え
てくれた。

参加者は10名、午前9時40分にJR大和路線法隆寺駅に
集合。駅前から法隆寺へ。



五重塔と中門を背景にする法隆寺一の撮影スポットは修学
旅行の生徒たちが後から後から続いてこんな写真になった。


斑鳩三塔の一つ目、法隆寺の五重塔。


今回はウォーキングが目的なので時間のかかる拝観はしな
い法隆寺聖霊院前で学習中のメンバー。
倶楽部ではコース内にあるポイントの資料を作成してその場
所に行くたびに資料を声を出して読み簡単な解説を加えて学
習をしていくのがわが倶楽部のスタイル。
今回はリーダーが9ページにわたって資料を作成してくれた。

コース地図つきの学習資料。


法隆寺夢殿、中宮寺前を通って斑鳩の里をすすみ斑鳩寺へ。


今回は、クラブのリーダーになってもらったちゅうさんの企画
、リーダーが先頭をさっそうと歩いてくれるのでこちらはアン
カーとして最後を守る。
同じ人間がリーダーをしていると倶楽部はそれ以上にはなら
ないのでいろいろな役をメンバーに担当してもらって全員で
よりよい倶楽部にしていこうというもの、ちゅうさんのデビュ
ーだ。

この人、大手企業の社員、六甲縦走を10年連続走破している
つわ者、とにかく歩きの姿勢が抜群によくてほれぼれする。


のどかな田園風景を交野池を過ぎると何度も見たことのある
大好きな風景、斑鳩三塔の二つ目法輪寺の三重塔が迎えて
くれる。法輪寺は、聖徳太子の長子、山背大兄皇子が、太子
の病気回復を祈願して創建(662)したと伝わっている。

法輪寺の西隣の古い集落の中にある史跡・三井へ。
聖徳太子がわが子の産湯のために掘られたと伝えられてい
る古井戸の一つ。


ふたたび法輪寺へ戻り法起寺をすすむ
リーダーが今回のコースで一番のおすすめが、法起寺の秋
では知られているコスモスの景色だ、おみごと!

法起寺の三重塔が斑鳩三塔の三つ目、この法起寺は世界
遺産に登録されている名刹。606年に聖徳太子が法華経を
講高説したという岡本宮を寺に改めた と言われ、聖徳太
子が建立した七カ寺のひとつに数えられている。

三重塔とコスモスを背景に。

ついでに・・・。






再び法隆寺の前を通って・・・


古い土塀の通りをすすんで・・・


藤ノ木古墳へすすむ。


藤ノ木古墳は六世紀後半の建造と言われる円墳。
出土した石棺にあった二体の人物は特定できていない。
その石棺のレプリカが外にある。

藤ノ木古墳の芝生の上に持ち寄ったビニールシートを敷き
丸くなって座り、食事しながらミーティング。
3カ月続いて新メンバーが加わってきたのでお互いをより
理解しあうことと倶楽部のこと、個々のウォーキング活動
のこと、ウオーキングで目標としていることの推移等につ
いて1時間、みっちりと話し合う。

とくに先日の高野山で自分が遭遇したアクシデントについて
報告をし、緊急の場合の個々の連絡方法や体に関する個人カ
ードの保持について倶楽部を統括するマネジャーとしてお願
いをした。

去年まで6年、72例会を開催してきたウォーキング倶楽部
を譲って今年から新たに1人からスタートさせた倶楽部が
10ケ月で14名になった。
前の倶楽部では、メンバーが入れかわり趣旨はどこへやら
行ってしまった苦い経験があるので、今度は、趣旨の徹底
とメンバーの厳選は徹底してやることにしている。

メタボ対象になって医者から運動を指摘されている55歳以
下の男性ビジネスマンがメンバーの条件。職場で要職にあ
るために運動不足を解消する時間が乏しい彼らのサポート
をしてあげたいのだ。だからメタボにほとんど関係ない女
性は極力お断りしている。

ということで、わがウォーキング倶楽部の男性軍のほとん
どが、どこかに修繕箇所をもっており、重量級がそろって
いる。彼らが、この倶楽部に入って刺激になったと言って
くれているのがうれしいし、なんとしても職場や家庭でか
っこいい上司、お父さんと謂われるに手助けしてあげたい。
もっとも、こちらも故障持ちだからお互いにということ。

次回11月例会は、ハゼちゃんに担当をお願い、12月は
納め月なので自分が担当する。場所も決定。

14時前に午後の部のスタート。
あたりの実りの豊かな斑鳩の里風景をながめながら藤ノ木
業平つれづれの道を上り下りしながらすすむ。ここはスピ
ードアップして速歩の練習。日頃から通勤、イベント、個
人ウオーキングに取り組んでいるメンバーの足が確実に強
くなっていることをアンカーをして確認した。やっぱり若
い人は(自分から見れば)動きが違う。


奈良街道(龍田街道)に出ると古い民家や商店が目立って多
い。その一軒太田酒造へ寄ってみた。たけのこの奈良漬を試
食させてもらったが意外とおいしかった、ただ、荷物はウオ
ーキングの敵相手をしてくれた奥さん、すみません!

この奈良街道(龍田街道)は、古くから奈良と大阪を結ぶ
幹線道路として賑わい、このあたりは龍田宿で商売をする
店が多かったため、その名残を残す雰囲気がいまもある。


奈良街道(龍田街道)をしばらくすすみ龍田神社に寄る。
聖徳太子と縁が深く、法隆寺の西にある法隆寺の守り神。
境内の隅に能楽金剛流の顕彰記念碑があり、神木のクスの
木がそびえるように立っている。


街道からすこし入った通称ぽっくり寺の吉田神社へ寄った。
極楽橋を渡り境内に入るとうっそりとして木々に囲まれた
本堂へ。できることならぼっくりと逝きたいので線香にロー
ソクをたてて、迎えは先にしてほしいとお願いした。
天智勅願で妹の間人皇女の陵寺として創建されたという。


奈良街道(龍田街道)沿いにある日切り地蔵と業平姿見井戸
から今日のコース最後の斑鳩で最古の斑鳩大塚古墳へ。


快晴に恵まれた斑鳩を暑いくらいの秋の日差しを受けながら
楽しいウオーキングのゴールはスタートの法隆寺駅。
午後3時40分過ぎ、無事に例会を終えてほっとした。

覚悟のすすめ。

2008-10-18 22:43:08 | チャレンジ
書店に並び始めたころから気になっていた
阪神タイガース・金本知憲選手の著書

「覚悟のすすめ」

を買って読んだ

金本選手は地元広島カープにドラフト4位で入団したが
さして期待をされていたわけでもなくプロとのレベルの
違いに、すぐクビになるだろうと何度もあきらめかけたそうだ。

そんなとき「覚悟」きめたという

「いまは実力が足りないから、期待されなくてもしかたがない」

だが

「二、三年後には、絶対に戦力になる」

そのために

「もっと、もっと練習をしょう。

そして、三年目にレギュラーの座を手中にしたとき

「どんなときでも絶対に代えられない不動のレギュラーになる」

「真のレギュラーだったら、少しくらいのケガなら出場するのが義務だ」

「ケガをしていても、それをいわなければケガではない」

と言い聞かせて自分を奮い立たせたそうだ。

いま40歳を前にして連続フルイニング出場世界記録を更新中だが
いつケガをしてもかまわないという「覚悟」をして臨んでいるという
そうしなければ絶対に全力でプレーができないと言う

これまでの野球生活で、胸を張って自慢できることがひとつ

「たとえお金にならないことでも、やるべきことを(打ち、走り、守る)
ことを、全力を尽くしてやってきた」

全力でプレーするのがプロと言い切っている。

金本選手が、毎年末に鹿児島で護摩修行を続けているのは
逃げない、諦めない、プロとしてあり続けたいという覚悟を
するための気入れの修行なのだろうと思う。

広島カープのファンの自分にとって金本選手は
伝統の猛烈に練習をするカープの選手の見本として
まじめで頼りになる選手として大好きだった。

甲子園のC-T戦をレフトスタンドで応援する
その前に背番号10番の金本選手がいた

しかし、その金本選手が相手タイガースの6番をつけて
レフトスタンドの応援席の前を守り始めてから
甲子園のC-T戦には行っていない。

いまでもその姿を認めたくないという一カープファンの
切ない気持なんだろうと自分のことを思う。

しかし、プロとして、いつまでも、鉄人のすごみと
アニキとしてのさわやかなプレーを続けてほしいと
思う気持は変わらない。

イチロー選手の「集中力」

松井秀樹選手の「不動心」

金本知憲選手の「覚悟」

プロ中のプロといわれる選手に共通するのは
単に技術が一流だけではない

その技術を支える強い精神力を身につけていることだ

それがピンチにも動ぜず
チャンスに発揮されるのだろう。








呼吸の大事さ。

2008-10-17 22:36:41 | 健康
いきなり生意気なことを書いてしまいそうだが
先日の高野山町石道を午後から一人歩いて

自分でも不思議に思うくらいに
足が前に前に進んでいくのに驚いて

なんだか千日回峰行をしているみたいで
これなら、いっそのこと、ここを歩き続けたいと

恐ろしい錯覚をしていることを笑った

自宅に戻って比叡山千日回峰行をされた酒井雄哉師の
本を探してみたがはるか昔の本で見つからなかった

ネットで注文した別の本が夕刻に届いたのでめくっていると
呼吸のことが書かれているのが目にとまった

一日40キロ、千日も続けた酒井雄哉師は
呼吸に意識を集中してそれに体の動きを繰り返していると
スムースに動ける(歩ける)ようになると言われている

それでわかった

2年前の9月に熊野古道の難関中辺路の峠越えで
息苦しくなって足が思うようにすすまなくなったとき

大きく息を吸って、しっかりと吐くことを何度も繰り返して
呼吸を整えながら歩いてみると楽になり完歩ができた

それ以降、とくに、いま歩いている東海道53次でも
意識してその呼吸法を繰り返しながら歩いている

先日の高野山町石道で上りになると
不思議に前の人を追い越していく自分に
驚いてしまったが、別に急いで歩いたのではなく
呼吸に合わせて歩くことに集中しただけのこと

呼吸など、だれでも、生まれながらやっていることで
いちいち教えられなくてもできるものだが

呼吸の仕方ひとつで
心が落ち着いたり
スムースな動きができたり
効能は至る所にあるのだろうから

ただ歩く

ただ呼吸をする

そんな単純なことの中にも
真理があること、大事にしたい。

声をかけられやすい人に。

2008-10-16 22:13:23 | 交流
二日前の高野山町石道で出会った
柿の皮むきをしていたおばあさんのことが
頭から離れない。

それなりに人の出入りがあったのに
なぜ、自分に声がかかったのだろうか

そんなことを思っていたら
小学生だった頃の子供に言われたことを思い出した。

お父さんはすぐ人に話しかけられる・・
今でもよく声をかけられる。

自分では窮屈に思われると思っているので
つとめて柔和に、親しみやすいように心掛けている。

確かになにかにつけて声がかかる人とかからない人とがいる。

自分は声をかけるほうのタイプだからよくわかるが
声をかけやすい人とかけにくい人はいるものだ。

声をかけられやすい人とは、人から好意的に親近感を
もって接してこられる何かがあるのだと思う。

声をかけられやすい人には人が寄って行くし
それについて情報も集まっていく。

確かに
相談事、依頼事等わずらわしいこと
さまざまなことが持ち込まれる
しかし、それを引受け手助けすることでプラスになる。

それなりの年齢になると
あれこれと声がかかってきて当たり前

それは期待と評価だと思うし引き受けることで
自分の存在感は高まるしつながりができていく
声がかからないことほどさびしいことはない。

自分も50代の後半からさまざまな声がかかり始め
ここ10年、仕事外でずいぶんと雑事にかかわってきた。

なんで自分に!と思ったりしたこともあるが
いま思えば、それが自分への周囲からの期待
それなりにやり遂げていい経験をしたと思う。

なによりも自分が知らなかった分野や根のなかった
地域とのつながりも広がった。

好きなウオーキングでさまざまなところを歩くが
そこでの予期せぬ出会いは何物にも代えがたい喜びだ。

いまは、年代層の広い人たち、とくに若い男女層に声を
かけられ、活動をともにできることは最高にうれしい。

これからもより多くの人に声をかけられる存在でいたいし
そのためにも自分を磨いていきたい。



空海の歩いた道、高野山町石道を歩く。

2008-10-14 23:14:13 | ウォーキング
去年の7月9日に高野山を訪れた際、根本大塔横に立つ一町
石をみて、必ず180町石からここまで歩くぞと心にきめて今年
後半の予定に入れていた。
(19年7月9日、高野山のブログ作成あり)

世界遺産の高野山には高野七口と呼ばれる入口が七つあるが
そのひとつ、九度山の慈尊院から高野山上西口の大門に至る
表参道には、大門前の1町石から上り口の慈尊院まで180町
石があり、今回はその道を二回に分け、慈尊院から笠木峠まで
を歩くことにした、お天気もよく思い出になるいい歩きをしたい。

この町石道は、弘法大師空海が高野山の開山時に人々が険し
い道に迷わないようにと木製の卒塔婆(そとば)を道しるべと
して立てたのが始まりだそうだ。木製のため朽ちてきたため
に鎌倉時代になって弘法大師の生誕地、讃岐産の花崗岩を使
って石塔に立て替えられたという。

6時50分に自宅を出て9時前に南海電車高野線九度山駅に
着いた。同じ電車から30人くらいのハイカーが下りたが、
同じ道をすすむ人は一人もいなくてやれやれ、のんびりと歩
けていいなあと思ったのだが大間違い、後で大変なことにな
ろうとは・・・。


駅からしばらく歩いて真田幸村が関ヶ原合戦後14年間も隠棲
したといわれる真田庵へ立ち寄る。


そこから古い静かな街並みを曲がりくねりしながら空海祈りの
道スタート180町石のある慈尊院へ。


慈尊院は、女高野ともいわれ、有吉佐和子の紀ノ川にも書か
れている。空海の母、玉依がこの地に住んだことから「女人
高野」と呼ばれたらしい。

慈尊院の入口の写真を撮ろうと立ち止まったらどこかから、
なにか大きな声が聞こえてきた。
二度、三度、よく聞いてみるとなにか持って行ってくれと言って
いるように聞こえる。

まわりにはだれもいない
声のするほうをみるとどうやら自分に言っているらしい
私ですか?と大きな声で尋ねると

”・・・を本堂の住職さんのとこへ持って行ってください”

とそこまでわかったのでそばへ行くと柿の皮をむいている
おばあさんがいた。
むいた柿の入った器を住職さんに届けるようにそっけない
言い方で言われた。
顔は、一切こちらをみておらず皮をむく手は休まない
しかも、ぼうしをかぶっていて顔は見えない。

けったいな人やなあ・・・と思いながら

わかりました、と持って行こうとすると
その中の柿をみっつ食べなさいという。
三つですか?

あんたに食べてほしい、と言う。

ほんまにおもろい人や!

わあー三つもですが、うれしいなあ、柿は大好きです!
というと今度は

柿を三つあげるから持って行けという

ほんまに変わっている人や?

これはありがたいとお礼を言って柿はリュックに入れて

おばさん、写真撮らせてもらっていいですか
そしたら、おばさんと会った思い出がずっと残りますから・・
これ、ランドセルの殺し文句。

こっちだって言われてばかりじゃたまらんからな!

皮をむいているところならいいとあっさり撮らせてもらえた
ほんまに不思議な人だった。


柿は、慈尊院を訪れる人に食べてもらう接待のお菓子代わり
なんだろう・・実にみずみずしくて甘くておいしい。
無事に住職さんに届けたらさっそく受付前に置かれた。

とうとう、このおばあさんの顔は見ることができなかった。

あとから気がついたのだが、ひょっとして弘法大師さんの
顔していたのかもしれない忘れられない数分の出会いだった。

ここでもらった三つの柿が道中の後半、水がなくなって困った
とき喉をおいしくうるおしてくれることになったのだから不思
議な話。
本堂


あの柿が・・・


また、四国堂とも呼ばれ、四国八十八か所めぐりの人たち
が訪れることでも知られている。
右手に数人の信者さんか、般若心経を唱えていたので
そっと後ろに行って勝手に一緒にとなえさせてもらった。

ランドセルさん、般若心経知ってるの?と聞かれると
思うが  ”もちろん”
教本がなくてもちゃんと知ってるし、大きな声を出して
ちゃんと唱えられるよ!えへんです。


この慈尊院から丹生官省符神社への階段の途中に最初の町
石180町石が立っている。相当に古い石塔だ。


慈尊院を出ると1町(約106m)おきにある石塔を探して
空海の歩いた祈りの道歩きだ。
目標の笠木峠は86町石のはずだ。そこまで、どんな歩きが
できるか自分の「歩行」が始まった。

町石間が短いので油断していると通り過ごしてしまうし目に
つきやすいところばかりでもないだろう・・・

しばらく上り道を歩いていると大群のハイカーが押し寄せて
きてあっという間にその列に巻き込まれしまった。
後ろから次々と来るので、もう、一緒に歩いていく以外ない
と観念した。メンバーになったつもりで上り続けた。
(この大軍は某新聞社ハイキング&ウォーキング健脚ツアー)




元気を出して・・・こんなのへっちゃらや!


かなり上って展望台もまじか、わーいい景色! 
おっ、紀ノ川が見えるぞ!


さらに上り続けたところで景色はいいし休憩がてら水分の
補給をしょうと脇道に腰をおろしていたらすぐ近くでバタ
ッと音がした。

振り向くと男性がコンクリート道に倒れている!

動かない
かけよって声をかけても反応しない
大丈夫ですか?
目をつむっている!

すぐ横を大群がのぼっていく
その行列の中から一人の男性が走ってきてくれた!

二人でリュックをはずし、服と帽子を頭の下に敷く
頭の左側から出血している
テイッシュをカバンから取り出し拭く。

やっと気がついて話に反応してきてほっとした
自分のズボンに血がべっとり
手にもいっぱいに血がついているのに気がついた。

その人の連れがやってきて79歳の男性とわかった
しばらくそのまま横になっていたが立つというので
その仲間の人と両側から肩を貸すが立てない。
とても歩ける状態ではないことが素人目にもわかった
ので

周りで見ている人に声をかけ手伝ってもらって草むら
に移動させた。どこにも日影がない上にかんかん照り
このまま放っていたらとんでもないことになるかもしれない
とてもこのままにして行くけにはいかないし
結構な人数が見ているだけで誰も動こうとしない。

・・こんな写真、不謹慎かと思うが自分がこんなことで迷惑
をかけないよう戒めるために)真ん中の人が救急へ電話してる

だれかこの団体の係りの人はいませんかと大声で叫んだが
いない
持っている地図に連絡先が書いてありませんかと叫ぶと
何人もの人がみていたがないらしい・・そんなはずないぞ

だれか緊急連絡してくれませんかというと若い人が携帯で
手際よく連絡してくれるて救急がきてくれることになった。
あーよかった。

日陰に移さないとだめだ!と一人が言ったので

日陰のないのはわかっているやろ!と口に出た。

言うことは言うけれども何も手を貸さないこういう連中には
腹がたつ。

こちらは、二人で顔と胸に日が当たらないように人影を
つくっているのがわからんか!

ご婦人が日傘を貸してくれた

30分ほどして救急車が近くの展望台まできて運ばれていった。

熱中症なのかどうかわからないけど

なにも出来ない自分を情けなく思った。

ウオーキング倶楽部のお世話をしているが
このようなことが常に心配事としてあったので
実際にその場に遭遇してほんとうに怖いと思った。

大丈夫ですよ、これで失礼しますと声をかけたら
”ありがとうございました”と言ってもらえたので
きっと元気を回復してくれたに違いないと思うが
その後どうだろう。

ここで大幅に予定時間を過ぎてしまったので遅れた分も
取り戻したかったが気持ちを落ち着かせるのに時間がかかった。

昼食をするまでおの男性のことが気になってデジカメ写真
を撮る気にもならなかったので、その間の町石は撮っていない。

手についた血を落とすために貴重な水を使ったのでペット
ボトルの水は少ししかなくなった。

そうだ、あの不思議なおばあさんにもらった柿を食べよう
こんなことで、あのおばあさんが助けてくれた。

補修されている町石

古い町石は途中から折れて、隣に新しい町石


昼食もその大群と同じ所ですませ午後のスタート。

通常の町石道を古峠まで行く予定でいたのだが
この団体さんは、町石道をいったんずれて大きく迂回して
やはり世界遺産登録の丹生郡比売神社へ行くと聞いたので
それもいいなあと一緒に紛れ込んで行くことにした。

今度は一気に下って下って天野里へ、里山の風景が開けて
すがすがしい眺めで気持も落ち着いた。


そして赤い鳥居と太鼓橋のきれいな丹生郡比売神社を参拝。


そこからまだ元の高いところにある二の鳥居をめざして上っ
ていく。
この上りはきつくて多くの人が喘ぐようにのろのろ上っていた。

石の鳥居が二つ並んだ珍しい光景。
丹生郡比売神社を遥拝する場所とされていたらしい。


この二つ鳥居で団体さんは下山していくので、そこで別れて
目標の笠木峠までひとりですすむことになった。

やっと自由にのびのびと歩きがてきることになり足もはずむ
やっぱり一人に限る。
途中のうっそうとした杉林、薄暗い峠道も熊野古道にとても
よく似ていてまるで熊野古道を歩いているような気分になった。


弘法大師さんの祈りが込められた町石のひとつひとつをたどり
手を合わせてながら歩いていると不思議と町石に手を当ててみ
たくなる・・・





ご苦労さま、ありがとうございます・・・と思わず口に出る
梵字で彫られている文字や数字も判別できないほどに朽ちた町
石に触れると弘法大師さんのぬくもりが伝わったくるみたいで
刻まれた文字を指で辿ってみる。

こうして高野の自然に包み込まれ、見守られて目的地の笠木峠
までたどり着いた、ここが町石68町目。


今日の目的地・笠木峠、ここから左へ下りて行く。


後半は、今年中に再びここに戻って来て1町石まで歩くことにして
最寄り駅へ下った。
実は、ここから最寄り駅まで急降下の80分が一番しんどい道だった。

だれひとりいない高野山の中腹にある駅の古いホームに座り込んで
下ってきた山に落ちていく夕日をながめながら一日の出会いを思ってみた

あの不思議な慈尊院のおばさんは
弘法大師の使いの人だったのだろう

あの倒れた老人の世話をするのが
自分の役目として与えられたのだろう

血のついたズボンを見ているとこれも
弘法大師さんのぬくもりなんだろう

なんだ、町石道をめぐる小さな巡礼者に
してもらい心の旅をさせてもらった
一日だったと気がついた。


(約35,000歩 高低差が大きくかなりきつい健脚コース)

イベント、大成功!

2008-10-12 23:54:18 | 交流
何度か書いてきた所属している会のイベントを
午後2時から大阪梅田の百貨店7階催し場で開催した。

会のメンバーのデザイナー赤野安さんが展示会を開催しており
その一角を会のために提供したいとご本人から申し出があって
メンバー有志がふた月間かけて検討してきたイベントの本番。

 イベントテーマは「『人生変わるかも?』的、出会い」

デパートにきていたお客さんや会のメンバーが「短冊」に書いた
「これまでの人生で大きく自分を変えた出会い」ことについて
選ばれた何人かがその体験を発表しゲストがコメントするもの。

ゲストコメンテーターは木村正雄さん
巧妙なコメントと発表者とのやりとりで会場は立ち見まで出て
企画したこちらの想定以上のイベントになった。
司会者も会のメンバーのフリーアナウンサー、まさに手作り!

(写真 木村さんと赤野さん)

所属している会は「人間力を磨こう」というプログラムで600名余り
のメンバーがいるが、そこで得た年齢も経歴も立場も違う「出会い」は
他では得られない幅(一番は年齢の幅)があり、高齢組の自分には子供
の年齢層にあたる人たちと一緒になってさまざまな企画の交流に参加
できるのだからこんなありがたいことはない。

大成功のうちに終了、ここから会の通称「放課後」に繰り出して
ミュンヘンへ、ビールで乾杯、会のスピリッツを共有しているメンバー
でいつものように楽しいミーティングになった。

参加者に中では一番の年上だが、ちっとも意識しないで交流できる
この会での出会いは、この年齢になってかけがえのない時間だ。

出会いは、積極的に外にでかけないと得られない
そして、相手を受け入れる姿勢と学びあう姿勢がないと続かない
歳とともに交流の幅が狭くなる、少しでも世代の幅を広げて
新鮮さを失わないように心掛けているがどうだろう。

大学も改革のまっただ中!

2008-10-11 18:46:34 | チャレンジ
二日間、地方の国立大学の新任職員さんと
みっちりと勉強会を開いてきた。

国立から独立法人として歩み始めたこの大学も
いま、自立への道をめざして改革の途上にあり
その担い手である人材の育成に熱心に取り組んでいる。

この大学とは、独立法人になる前の年から
職員さんの勉強会に招かれたのが始まりで
おつきあいも5年になる。

今回は、初めてという一般公募で採用した
民間企業出身の人たちに対する研修だった。


経歴も年齢も出身地もさまざま
はなばなしい経歴や専門的技術や知識の持ち主
家族ごと越してきた人もいた。

共通しているのは新しい職場に人生を賭けて
「大学人」として再スタートをする決意に
燃えているということだ。

大学側としても、変革に民間で積んできたキャリアを
活かして改革の担い手になってくれることを期待して
いるのは当然のこと、こちらも賭けているはずだ。

期待の大きさがわかるだけにひとりひとりの真剣度が
伝わってきて気持ちのいい勉強ができた。

人生の道半ばで、道を切り替えるということは
簡単ではない
その「賭ける」勇気と決断を引き出したものを
支えにして飛躍してほしい・・・
そうメッセージを残して二日間を終えて戻ってきた。

これからも、自分のできる範囲でメッセージを送り
続けて見守ってあげたい。

大学は、ちょうど大学祭の前で活気があり
いい門出になれるだろう。