昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

プロの眼、さすが!

2009-06-30 18:50:25 | 仕事
仕事場ではきかえるズボンが痛んできたので駅に開店している
ユニクロさんへ行った。

手頃なズボンがあったので、裾なおしをお願いしょうと手に取ったら
すぐ近くにいた女性の担当者が

”お客さま、そちらは大きいと思いますよ、79センチをお持ちしますからお試しになりませんか?”と言う
自分が82センチを選んでいるのを見ていたのだ。

実は、人間ドックの検査でも79センチだったし、実際に79センチの
ズボンがはけることはわかっている

両方を試着してみたら担当者は、79がいいという。

”あなたがそこまでいってくれるのならそうしょう”ということで◎。

スーツの上からウエストサイズが、一目でわかるとは・・・
これがプロの眼、さすがだと思った

商戦で勝ち続けているユニクロさん、人材もいい!


先週、給付金で買ったウォーキングズボンは82センチ、ゆったり
ズボンをはくとどうしても、楽なゆったりに目がいってしまう。

そうそう、いまは、ズボンと言わないらしい、パンツというのかな?
ほんとのパンツはどういうの?

お好きなようにって?

じいさんは、悩んでしまう。


東海道・富士市の民家の庭で撮らせてもらった。

東海道五十三次ウォーキング(吉原宿→原宿→沼津宿→三島宿) 

2009-06-29 14:16:42 | 東海道五十三次
東海道五十三次ひとり歩きシリーズ、静岡市由比(16番宿場)から三島(11番)まで一泊二日の続編。コースは「吉原→原→沼津→三島」まで。

●午前7時15分にホテル出発。スタートになる昨日ゴールの缶南鉄道吉原本町駅へ。7時30分スタート、ゴール予定地と時間は三島市樋口本陣跡前17時30分とした。昨夜、今日のコースは長くて30キロを超えると想定し、地図に1時間毎の到達地点を記入して、午前、午後に調整時間も組み込んで、スタート!


昨日のかすんだ空とは違って上空は青空、左富士が見えるかもしれないと、わくわくしながらすすむ。最初のポイント、和田川にかかる平家越橋を渡ると橋のたもとに立派な平家越の碑が建てられていた。治承4年(1180)、源平の戦いで平家の軍勢が陣取ったあたりだという。源氏の迂回作戦で飛び立った水鳥の羽音に驚き、平家の軍勢が戦わずして退却したという。


ここを右へすすむ、ここからがよく紹介されている左富士の見える絶景の場所ということだが、それは東から来る場合で、西からは右富士ということになる。東海道五十三次に関する地図、資料、書籍、すべて江戸側から書かれているので西から歩くとすべて逆なので戸惑うことが多い。右は左、上り坂は下り坂、ややこしい、「名勝左富士」の立て看板も説明板もたてられているがまったく見えない、天気はいいのになあ。


仕方なく信号を渡り、新幹線と1号線バイパスの下を通りそのまま吉原駅方面を目指してすすむ、車の通行量が激しいところで、騒音と暑さも交じって歩きにくい。
吉原駅前を通り東海道線を渡ってすすみながら左方面を見ると、あっ、富士山や!思わず叫んだ!見えている、見えている!次の交差点でコースから離れ左の道へ寄り道してすすむ、大昭和製紙の工場から煙と鼻をつく臭いは余計だったが、滝川にかかる白妙橋というところまで行くと橋の上からきれいに富士山が見えた。雪はわずかしか残っていないがそんなことは、もう、どうでもいい、会えてうれしい!いつも富士山を見慣れている人には何を?ということだろうが、やっぱり冨士は日本一の山!寄り道して35分をロスしたが、富士山に会えたので満足。


再び東海道へ戻って、寄りたいと思っていた妙法寺毘沙門天さんの階段を上った、なかなか雰囲気のある立派なお寺。“どうか今日一日、東海道を事故なく歩けますようにお守りください”と祈願して毘沙門天さんのお守りを買ってベルトにつけた。道中のお寺や神社、お地蔵さん、道祖神さんまで、自分の旅の安全を祈ってくれていることを忘れてはいけない。手を合わせてお賽銭も忘れないように、これは普段のウォークでも同じようにしていること。


ここから約3キロばかり、まっすぐな道が続く、歩道がないので車道のすみへ寄るようにして歩く、暑い!道の両側には民家が続き庭先には、花々がきれいに咲いて目を楽しませてくれる。


380号線を愛鷹神社、木之宮神社を通り過ぎ、昭和放水路上の広沼橋から振り返るように富士を見ると、ここからもきれいに見える。すぐ前を東海道線が通っているので電車と富士山のツーショット写真を撮ろうと待ち構えたが、こんな時に限り、電車はこない。さらにすすんでいくと左手に立派なお寺が見えてきた。立円寺、ここからも富士がきれいに見えた。ここには「望嶽の碑」があるが、これは文化5年に尾張藩の侍医柴田景浩が江戸へ旅の途中、この寺に滞在したとき、富士の絶景をたたえてたてた碑。


右側の民家の間から松林が続いているのに気がついた。そうだ、もう、あの田子の浦海岸かもしれない、うまく海岸へ続く道が見つかればいいと思いながらさらにすすんでいくとJR東田子の浦の前にきた。
10時19分、予定は10時だったのでかなり時間を取り戻した。この駅からも富士山がきれいに見える。


暑さ避けて木陰に腰をおろして休憩。ここで500mlのペットボトル三本目を買う。水分補給を怠らないように。足に昨日の疲れもなく問題はない。海岸のことを気にしながら380号線からコースは左へ入っていく・・・あれ、これじゃ、海岸から離れる!誰かに聞こう、こんな暑い時間、人影はない。

しばらく立ち止っているとご婦人がきた、“すみません、お尋ねしたいのですが?”といったら“ここの者ではありません”と、冷たく行かれてしまった。
あー、がっかり・・・、しばらくすると夫婦らしい中年の男女がきたので尋ねたら、東田子の浦駅の近くまでもどると海岸へ出る道があることを親切に教えてくれた、そして“お気をつけて”と一番のごちそうことばをかけてもらった。

少し戻って松林を抜けて海岸に出た、堤防の向こうに海が広がっている。“わー広い、伊豆半島が見える!さいこう、サイコウ!”と、ひとりではしゃいだ。
松林は防風林になっているのだろうか、ずっと続いている、海岸もずっと続いている、沼津の千本松原までだろう、このあたりは砂地ではなく石ころごろごろで瀬戸内の白砂の浜辺で育った者には物足らないが、海のスケールがまるで違う。


山部赤人の詠んだ歌はいまでも覚えている
    「田子の浦 ゆうち出でて見れば 真白にぞ
                   富士の高嶺に 雪は降りける」
少し早いが、この絶景を見ながら堤防に腰をかけて弁当を食べた。↓田子の浦海岸と伊豆半島。


10時45分から11時7分まで海岸の堤防で休ませてもらった。ここで予定時間を大きく遅れてしまった。ただし、昼食時間が不要になるので、午後のスタート地点までに取り戻すことにして、ここから一気歩き。

富士市から沼津市へ入り東海道線の踏切を渡って、浅間神社、大通禅寺に寄り、沼川第二放水路を通り163号線を約3.5キロを急いだ。JR原駅に寄った。12時20分。


近くの浅間神社で休憩。このあたりが旧原宿の中心だったと思うが、その面影はない。天保9年(1878)に大火があり再建されなかったらしい。町の規模も小さい。

予定ではここから午後のスタート、12時40分の予定も、ほぼ、その時間通り。問題は、疲れの出る午後をいかに歩くか・・・気を引き締めて、歩道のない道が続くので事故にあわないように車に注意!

午後のスタート、白隠禅師の誕生地と墓があるゆかりの松陰寺を訪れた。臨済宗の名僧として知られる白隠禅師は、この地に生まれ、15歳で松陰寺で得度、諸国を修行し享保2年(1717)に松陰寺の住持となった、参勤交代の際、大名が白隠禅師をよく訪ねたそうだ。


晴れ渡ってかんかん照りの道はますます暑い、男性二人ずれのウォーカーにあったが、あいさつがかえってこなかった、暑くて疲れているのだろう。JR東海道線の踏切に出た、振り返ると富士山がきれいに見える。また、その気になって電車が来るのをじっと待った、日陰のない線路わきで5分も待っただろうか、電車が来た、ラッキー、しかし、撮った写真を見たら富士山は電車に隠れて入っていなかった。あードジ!ばかばかしい!とぶつぶつじいさんをしながらまた、歩く。このあたりが、地図上では、今日の中間地点、予定通過時間が13時10分のところ13分、ほぼ、予定時間通り。なんとなくうれしい。単純!


三島神社、祥雲寺を過ぎJR片浜駅前を通り、さらに直線163号をまっしぐらにすすむ。吉祥院、大諏訪天満宮、栄昌寺を過ぎ八幡神社で5本目の水を買って休憩していると50歳くらい男性が声をかけてきた。大阪からここまで歩いて来たことを話すと驚いていた。タクシーの運転手さんだそうで、さすがに詳しい、これから先のことを説明してくれた。この人にも“気をつけて行ってください!”と言われた。
みんながそう言うのは、ひょっとして、こちらが年寄りだから労わってくれているのかもしれない?本人は、大丈夫と思っていても、人からみると気になるのだろうか・・・うーん、そうなんかなあ・・・。


14時25分、問門橋を渡る、予定の時間通り、さらにまっすぐな道が続く、驚く、しかも、歩道のない車の通行量の激しい道だ。景色も同じように見えて疲れる。コンビニによって凍ったペットボトルを買って、顔や首筋にあててすすむ、人からみたら、いったい何をしてる?と思われるだろうが、顔がほてる、熱いのだ。左のほほに当て、右に当て、ひたいに当て、首筋に当て・・・歩きながらそれを繰り返す。交差点で小学生が不思議そうな顔をして見ていた。子供には声をかけてはいけない。


背中の重さがこたえてきた、30Lのリュックに着替えや書類、資料、関係本、携帯・デジカメの充電器からパンとかバナナ、お茶までたっぷり入れた上に、昨日買った広重の大判の分厚い本も入っているために重い。

163号線、妙傳寺、六代松を過ぎ、しばらく行った幸橋手前の自販機で6本目、ここで同じように自販機に来た男性と立ち話。この人も大阪からと言うと驚いていた。大阪に居たことがあるとも言っていた、以外とそういう人に会う。お決まりの“気をつけて・・・”と言われた。うれしいね!
このあたりからにぎやかになっていく、浅間神社の交差点を右に千本浜通りと標識が出ていたので千本松原に行けるかもしれない、残念だが、そこまではとてもいかれない。次の交差点、静岡銀行角を左折するのだが、静岡銀行はなくなっていた。このあたりが沼津の中心街なのだろう、商店街が続く。通りに本陣、脇陣跡の碑がたっている。このあたりが、旧沼津宿の中心だったのだろう。


本町で右折し次の交差点を左折するとモニュメントが並ぶ通りに出た。楽しい。
沼津は水野氏の五万石で栄えた城下町だから独特の紆余曲折した道になっている。城下町と宿場があった町はどこも同じだ。


次の信号を右折してゆるやかな坂道を下っていく。中央公園横で休憩していると、多分、東海道歩きと思われる男性に会ったので目礼したが、反応がなかった。お互いに疲れる時間帯。大きな通りに出て歩道橋を渡り360号線をすすむ、市街地から少しずつ離れていくのがわかる。脇道をしばらくすすみ再び360号線にそって坂道を上っていく、後ろ左からの直射日光でほほから首筋が痛い、氷はとけてしまってなすすべもなく、汗をぬぐうタオルも朝からの汗でぬれてしまった。ここが一番疲れを感じたところ。東下石田交差点に16時2分着、予定時間が16時、ほぼ完ぺきにすすんでいる。

360号線から145号線へとすすむ、黄瀬川を渡り頼朝、義経の対面石があるという八幡神社へ寄った。治承4年(1180)10月、頼朝が黄瀬川の宿に陣した時、奥州からかけつけた弟の義経と対面、互いに懐旧の涙を流したという。その時に腰かけたふたつの石が、対面石として八幡神社境内の奥に残っていた。


神社の入り口の階段に腰を下ろし靴を脱いで足を休ませていたら、50歳くらいの男性が話しかけてきた。写真を撮ってあげようという。変わった人やなあと思いながらお願いしたとき、バスがやってきて、それに乗るので気をつけて行ってください!とあわてて乗って行った、そこはバス停だったのだ。バスから手を振ってくれてた。こんな出会いもあるから東海道53次ひとり歩きは楽しい。


国道1号線を渡り、少しすすむと左右に大きなお寺が見えてきた。宝池寺、玉井寺。そのどちら側にも伏見一里塚があり、右の宝池寺のほうは復元されたものだが、左の玉井寺側の一里塚は原型に近いものという。


境川を渡り秋葉神社前を通りゴールの三島市本町交差点の樋口本陣跡をめざす。伊豆箱根鉄道の三島広小路駅横を通り、江戸時代、宿場の人々に明け六つ、暮れ六つを知らせた「時の鐘」に寄った。


そして樋口本陣跡のある本町交差点に17時40分にゴール。10分遅れたが、ほぼ、予定通りに歩くことができた。


ここからJR三島駅へ、15分ほど歩いて駅についた。駅で着替えをして18時26分の新幹線こだまに乗って、そのまま乗り換えもせず帰阪した。車中では、三島駅で買った沼津の駅弁「港あじ鮨」と缶ビールで二日間の慰労会をした。この沼津のあじ鮨はおいしかった。
この日の距離数-吉原→原→沼津→三島 約46,600歩 32.6k


あれだけあこがれて、目標にして追い続けてきた富士山が振り返っても見えなくなっていた。

朝は、横をみるとやや後ろに見えていた富士山がだんだんと後方になっていく・・・69歳のじいさんの小さなたった一歩でも積み重ねていくと一日で大きな前進になる、魅力のあるゴールさえ見つけておけば、こんな怠け者の老人でも、一歩を踏み続ける限り、ゴールに近づいていることがわかる、わかれば楽しくなる、その連続でとうとう三島まできた。63歳から始めたリレー式ウォーキングを自分のウォーキングスタイルの中心において多くのことを学んでいる。歩くことは、人生そのもの、歩き方と生き方は同じこと、あきらめてはいけない、一日一歩、めざすところにすすむだけでよい、つないで、つないでリレーしていけば、ゴールが待っている。そう自分に言い聞かせてこれからもお江戸をめざす。次回、いよいよ箱根の関所に向けて厳しい山登りかもしれないが、面白い、受けてやろう!

くっ!日曜日を足止めされて!

2009-06-28 11:31:59 | ひとりごと
日曜日なのに自宅で足止めされている、くっ!
マンションでこの時期恒例の「雑排水管清掃」を業者がしているが、上階から来ているので一階のわが家は三日目のそれも最後の午後になるという。

事前に三日内で変更を申請すれば朝一でも他の日にでも可能だったが、そうすれば他の家が自動的に変更になるのでそれをするわけにはいかない。

かって管理組合の理事長を経験しているので、全体にかかわることを推進しょうとすると日や時間の変更希望が続出して、全体に影響が出て調整がむずかしいことを知っているので、ここはじっと待っている以外ない。

急ぎの仕事があるのでパソコンのある仕事場へ行きたいのだが、がまん!がまん!
かろうじて使える古いパソコンを接続してこんな日記を書いている。

四六時中パソコンに支配される生活を避けるためにパソコンは家に置かないことにしているが(本当はそんな贅沢ができない悲しさ)こんな時は困る。

パソコンのなかった時代、どうしていたのやら・・・・原稿は、みな、用紙に手書きしたり消したりしていた、その習慣はいまでも残っていて、メモは、すべて鉛筆で下書きするが、清書は相手があるのでパソコンになる。

となりのMACの油のにおいがきつい、ほんまに迷惑なことや!
たまに昼間に家にいると羽をとられた・・・いや、足をとられたありさんのよう。

給付金の使い道。

2009-06-27 21:26:54 | ひとりごと
特別給付金を何に使おうかと思いつつそのままにしていた

昨日、書き込んだ通り、三年計画で歩いている東海道五十三次を由比から三島まで歩いて残り10宿までになった。

よく歩いているご褒美に給付金を使うことにした。

いま東海道五十三次で愛用しているウオーキングシューズの相棒を買うことにして阪急INGSへ行った。

ところが残念、お目当てのWMのシューズは売り場に見当たらない!

他の店に探しに行くか、他社商品にするかと思いながら店内をうろうろしていたら、いつのまにか、給付金は夏用ウォーキングズボンとシャツに代わっていた。

それも、給付金+それなりの金額の出費になってしまって・・・いつものことながら衝動買いの買い物下手!

シューズは古いのがいく足もあるのでがまんするか!

東海道五十三次ウォーキング(由比宿→蒲原宿→吉原宿) 

2009-06-26 22:31:13 | 東海道五十三次
先週の6月19日の東海道五十三次の一週間遅れの記事です。
ウオーキング専門ブログに書いた記事をそのまま紹介します。

●19日、朝6時28分の新大阪駅始発の新幹線で静岡へ、ビジネスマンばかりの車内でウオーキング姿は気が引けるのだが・・・静岡で東海道線に乗り換え、前回ゴールの由比駅に着いたのが8時56分。富士山が見えるようであれば、前回、見ることができなかったさった峠に行くことも想定していたが、目の前の太平洋もかすんでいたし、タクシーの運転手さんに聞いても、今日の天気では見えないだろうと言われ諦めたが、それでも、もしかして・・・もしかして、と駅のベンチで9時半まで待った、しかし、状況は変わらず断念してコースに入った。


駅前の通りは、ずばり「桜えび通り」、桜えび2匹の派手なアーチが出迎えてくれたが、そちらには行かないで山手にある車の通行量が激しい396号線をすすむ。


平バス停から元の道に戻り古い家並みの続く道をすすむ。「桜えび」と「しらす」の看板がやたらと目につく、海が近いので潮の香り、魚の匂いがする道が続く。さった峠からの富士山は諦めたが、今日のもう一つの目標、「桜えび」を食べること、しかし、この時間、開いている店などはない。


道を少し横道に入り坂上田村麻呂ゆかりの豊積神社へ寄った。和瀬川を渡るとこのあたりから宿場の名残のある光景が続く。驚いたのは、家々の屋根、その軒下が普通見慣れた住宅とはまったく違うこと。

「せがい造り」といって、軒先を長くして、それを支えるために腕木というものが付け足されている、さらにその軒先を雨から守るため「下り懸漁」というものが作られていて、いかにも重々しい重厚な造りになっているが、明治時代からの工夫らしい。ほとんどの家が同じ構造になっているのにびっくりした。


由比川を渡りしばらくすすむと左側に脇本陣羽根の屋、脇本陣徳田屋跡、つづいて加宿問屋場跡が続く。洋館づくりの清水銀行由比支店は明治の郵便局の跡だそうだが、なかなか美観の建物だ。
続いて長い黒壁と道路と壁との間に池のような水貯めがある由比本陣跡へ、由比本陣は、もともと由比城主が引き継いできたもので現在も八代目が健在しているそうだ。庭園は小堀遠州作といわれ、奥には、明治天皇が小休止された離れ座席の「御幸亭」が復元されている。この旧本陣内が由比本陣公園として整備され、その中心が「広重美術館」になっている。


桜えびの食事ができるまでこの美術館で過ごすことにしてゆっくりと見学をさせてもらった。
ここで広重の「東海道五拾三次旅景色」という大判A3サイズの分厚い写真集を2600円で購入。これは掘り出し物と喜んだが、この写真集にこのあと苦しめられることになろうとは思いもよらなかった。(次の日の日記で記述)



(本陣内の公園、正面が広重美術館)

11時になり、すぐ近くのおもしろ宿場館内のレストランで待望の桜えびの昼食をすることにした。二階のレストランは、正面が太平洋、右にさった峠、左手にこれからすすむ蒲原方面が一望できるすばらしい席を確保(まだ、お客さんは一組しか入っていなかった)。名物の桜えび御膳を注文したが、かきあげがおいしかった。生の桜えびの甘いのにもびっくり、わさび醤油で食べるとさらにおいしかった。この「桜えび」は、この駿河湾でしか捕れない深海のえびだそうで夜になるとプランクトンを食べるために浮上してくるのを捕るらしい。おいしかった◎◎。



(レストランから見えるさった峠と東海道本線)

食事と景色に満足して11時50分に早い午後のスタート、由井正雪の生家といわれる正雪紺屋(染物屋)を通りすぎると


「御七里役所跡」、はて? 初めて聞くことばだが、御七里役所とは、徳川家康の八男頼宣が紀州藩士となってできたもので、幕府の行動を監視するために紀州から江戸まで146里間、七里ごとの宿場に23ケ所つくった施設だという。


ここまで来るだけで、汗が噴き出すほどの蒸し暑さ・・・日陰のない通りは暑い。タオルを首に巻いて暑さしのぎ、水分補給を頻繁にするために汗ふきも忙しい。暑さで集中力がにぶってくるので、いつものことだが、一番怖いのが車!いくら気をつけても安全運転ができない命しらずの凶器が走ってくることを忘れないようにと自分に言い聞かせる。

396号線の石碑だけの由比一里塚をすぎ、由比城跡入り口前を通過、単調な古い街並みを蒲原宿をめざして歩く。神沢川橋を渡り東名高速道路の下を過ぎ、さらにまっすぐに延びた道をすすむ、汗が目に入り痛い!たぶん、30度をかなり超えているだろう、首筋が暑いというより痛い。

休憩したくてJR蒲原駅へ回り道して寄ってみた。向田川を過ぎると道路わきに154という数字だけの標識がたっていたがたぶん、東京からのキロ数だろう。
さらに396号線をどんどん歩いて行く。蒲原西木戸の標識がある角(西木戸・茄子屋の辻)を左折して裏道へ入る。ここから光景が一変して古い家並みが伸びている、蒲原宿のはじまりだ。

格子戸のきれいな増田家、醤油屋跡を整備した国登録の文化財「志田家住宅主屋」では説明役のご婦人からいろいろとこの地区のことも含めて話を聞いた。そこで東から来た人と遭遇した、お互いにエールを送って失礼する。すぐ向かいにやはり国登録の文化財「旧五十嵐歯科医院」古い洋館の建物はとくに目立っていた。



「御殿道」というかわった名前の石碑が目についた!どうやら徳川家康から家忠、家光までの休憩所があったところらしい。
宿場の雰囲気が残る蒲原は飽きない、高札場跡、旅籠跡を過ぎ山居沢川を渡り少し右へ入り込むと広重の「蒲原夜之雪」記念碑が小さな公園の一角にあった。その絵がそのまま碑になっている。「蒲原夜之雪」の絵は、広重の東海道の絵の中でも特に傑作といわれるもの。この碑は、「蒲原・夜之雪」が国際文通週間の記念切手に採用された記念に地元の有志が建立したそうだ。ここで休憩、クリームパンのおやつ。13時48分。


さらにすすむと途中でなにやらのぼりを持った一団が一台の車を従えて歩いてくる・・・・ヒロシマ・ナガサキへの平和行進と書かれている・・・どんな団体なのか見た限りではわからなかったが警官もひとり付いていた・・・そうだ、もうそういう時期だ、ヒロシマ県人にはよくわかる。

ナマコ壁の残る家の前を通り諏訪橋を渡り、「蒲原宿の東木戸」の碑の前を通過、ここが蒲原宿の東の入口、すぐ近くに立派な蒲原一里塚の碑があった。



ゆるやかな坂を上がると小川の向こう側で写真を撮っている男性がいたので声をかけた、東京から歩いてきているそうで、しばらく話がはずんだ。どんな地図を使っているのか見せたもらった、すごい、すべて、現在の地図に旧東海道を置き換えて作った手製のもの、これなら迷うことはないだろう。歩く前にじっくりと資料作りに一カ月、歩いて整理するのに一カ月かけているという。時間のある人はいい、自分のようなバタバタ、前日あわてて、明日歩く!といういい加減さでは表面的なものしか見ることができない・・・反省。とても気持ちのいい出会いだった、お元気で!


ここでコースから離れているが浄瑠璃姫の碑があるというので寄り道して行ってきた。暑い時、車の多い道は余計に暑く感ずる、顔の汗を手でなでたらざらざらしていた、ずっと車と一緒に歩いてきたので砂ホコリなのだろう、それにしてもすごい。
今度は急な坂道を上っていく・・・一番疲れる時間帯、下着を着替えたいのだが、適当な場所がない・・・汗で気持ちが悪い。坂道は、吉野山修行体験で教えてもらった

“さんげ さんげ 六根清浄” これを繰り返しながら歩調と呼吸を整えて歩く。

上りきって左へすすむと東名高速をまたぐ新坂橋へ、渡ると静岡市から富士川町となる。14時40分。周囲は東名をはさんで小高い山。ここから曲がりくねりながら集落へと下りて行く。


途中で道確認のために中年の女性に尋ねたら、間違っていなかったのに、次の曲がり角まで親切に歩いて教えてくれた。お気をつけて!このひとことがなによりうれしい。
これまで、どれだけ多くの人から、このことばをもらったことやら、人の温かさをしみじみと感ずるときだ。
新幹線のガード下を通り、どこまでも続くかだらだら道をもくもくとすすむ、間違いなく歩いているつもりだが、手持ちの地図にチェックポイントがない道が続くと確認のしょうがない、慎重に歩かないと迷ってしまうので、どうしても徐行になる、後半に迷ってしまうと足だけでなく、気分的に疲れとでダメージが大きいので人がいたら確認をすることにしている。


退屈すると大好きなミラー遊び!これも気分転換のお遊び!

通行量の多い道を歩いていたら、黄色い帽子をかぶった男性一人、女性二人の三人が信号横にいたので声をかけた。学校帰りの子供の安全管理をしている人たちだった。気さくな人達で話がはずんだ。こちらの地図を見て、これはわかりにくい!と言っていた。そりゃ無理、地図を逆方向に歩いているのだから・・・愉快なお父さんがこれから行く富士川まで、何度も何度も難しい個所を教えてくれた。でも、そんなに覚えられないよ、うれしかった。


東名高速道路をくぐり道は右に左に、とにかくわかりにくくてゆっくり歩いて確かめる他ない。
岩淵の一里塚から下校の子供たちの間にはさまれるように狭い道を車にひやひやしながらすすみ、やっと富士川に出た。16時4分になっていた。
ここから富士山がきれいに見えると聞いていたがまったく見えなくて、この日、とうとう富士山を見ることはできなかった。近くを歩いているはずなのに・・・。
新幹線の富士川鉄橋からの景色がしっかり頭の中にあるので、そのイメージを浮かべると富士山の位置はわかるのだが。


富士川橋を渡って水神社で休憩。境内には「富士山道」と「富士川渡船場跡」の碑が立っていて、ここが重要な場所であったことがわかる。
かって富士川は東海道一の急流として恐れられていて人々は水神を怒らせないように祈ってこの水神社を建立したと伝えられている。


ここからしばらくポイントのない道を歩き続ける、40分も歩いただろうか、身延線柚の木駅の近くへ来たが、一か所で一筋まちがってしまい元戻り、疲れてくると集中力がなくなってくる。庭先の咲いた黄色のユリがあまりにあざやかできれいだったので掃除をしていたお父さんに断って写真を撮らせてもらったら大変よろこんで話しかけてきた。この人も気をつけてと言って見送ってくれた、同年輩の人、通じるなあ・・・ここで予定時間より1時間以上も遅れてしまった、ゴールまで5キロもある。もう、うろうろとより寄り道しないように歩こうと思うが、きれいな花をみるとついつい撮ってしまう。

2キロほど歩いて新幹線富士駅へ通ずるところへ、さらにポイントの少ない道をすすむ、CASAが目印という大きな道の三叉路へきたがない、ない、たぶんレストランだと思うがない、おかしい、間違っているかもしれないともう一筋左の交差点へ行くがない、聞こうにも人がいない。ここはうろうろしないで人の来るのをじっと待つ、日暮れてきた。こんなとき、なんとなくさびしくなる。ここはお国を離れて何百里?自転車で通りかかった男性に地図をみてもらって現地を確認、親切に丁寧に教えてくれた。CASAはなくなってかっぱ寿司になっていた、これじゃ、いくら探してもみつからないぞ。

ここから吉原の街の中へすすんでいく、吉原は思っていた以上に大きな町だ、今日のゴールは岳南鉄道の「吉原本町駅」と決めている。
中心部の青葉通りを越えて小潤井川のところでおばさんに道を確認、途中にあるお寺の名前で聞いたら右側の道だという、?と、しかし自信をもってこちらで間違いないと言われたので行ってみたがやはり間違い、庭の花に水やりしていたお年寄りに聞いたらお寺違い!修正して、吉原の賑やかな商店街を通り、そのはずれにある岳南鉄道の「吉原本町駅」に18時20分ゴール、予定していた時間を1時間も遅れてしまった。午前中を由比で過ごしたこともあるが、事前準備もせずに出たとこ勝負で歩いたつけは大きかった。まあ、事故もなく歩けたのだからよしとしよう。

 35,900歩 25.1キロ。
吉原本町駅から地図を頼りに予約していたホテルをさがして15分。やっとほんとのゴール。あー疲れた!  (翌日の日記は近日中に)

梅雨の束の間の夕暮れ。

2009-06-25 22:33:58 | ひとりごと
昨日に続いて、今日も打ち合わせででかけてきた

今日は老舗のブランド企業、受付がとても上手に接してくれるので気に入っているのだが今日は違っていた・・・


あれ?雰囲気が違うな?
二人の受付嬢が「研修生」と書かれたネームプレートをしている

なんや新人か!

わかりやすいように、ゆっくり、はっきりと要件を言うと
かえって緊張したのか、もたもたしている後ろに座っていた先輩が小声で指示を出した

来月は三度、その受付のお世話になるのでどこまでうまくやれるようになっているやら、みんな、そうして成長していくもの

昨日、今日と続いた打ち合わせのために詳細な資料作りに追われて睡眠不足になったが久しぶりに自分を追い込んで気持がよかった

やっぱり仕事は緊張感と使命感があるので生き返らせてくれる

のんびりと遊んでいては自分が死んでしまうとつくづく思った

7時過ぎ、仕事場から外を見るときれいな夕暮れだった
この時期にだけ見られるピンク色の夕日には癒される


今夜の仕事場から見た新大阪駅と大阪空港に降りる飛行機。

ウォーキングの効果!?

2009-06-24 21:24:47 | ウォーキング
午後から仕事の打ち合せに行った某社で予定時間より早く終えたので担当者二人と近況を話し合っていると驚いた!

先週、静岡県の由比から三島までを二日間で歩いたので、その話をしていたら、一人の担当者が、由比に友達がいて何度も行ったことがあり、さった峠から富士山を見たことがあるとか、名物のさくらエビを食べたことがあるという。

もう一人の上司のほうは、三島の手前、沼津の営業所に勤務していた時、あのあたりの旧東海道を歩いたことがあったらしく名所の話が通じ合って、しばらくは三人で盛り上がった。世の中はせまい!

そこへ現れた部長も、朝夕の通勤ウォーキングを始めたという。
それだけでなく、いずれはトライアスロンに挑戦したいと話していた、あの人ならやるだろう、それにしても驚いた、部下も初めて聞いたとびっくりしていた。

ウォーキングをやっているおかげで、どこに行ってもそのことに関心を持っていただき、話題にされて、自分の違った一面を知ってもらうことができてうれしく思っている。
思わぬウォーキング効果!?

先週の東海道五十三次ウォーキングのことは後日に書き込みます。

赤とんぼの里、龍野を歩いて。

2009-06-21 23:49:30 | ウォーキング
昨日お世話をしているウォーキング倶楽部の月例会で兵庫県たつの市へ出かけた。

大阪駅からJR姫路駅乗り換え姫新線の本竜野へ、車内で今回リーダーのパルさん、よっしーくんから地図付きの手作り小冊子が渡された、この小冊子、なかなかの資料、まるで修学旅行のガイドブックみたいだと大好評。二人が四月と五月に別々に下見をして練った力作に拍手。


6年ぶりに降り立った竜野駅は新駅舎が建築中、竜野の象徴、童謡赤とんぼの親子像は駅前開発中の敷地内でみることができなかった。

タイトルの”赤とんぼの里、赤とんぼ親子!”のように竜野は童謡の「赤トンボ」を作曲した三木露風がうまれ育った土地だ。町中にはいたるところに赤トンボのマークが見られマンホールのふたまでトンボ様がとまっていた?。


スタートの前に、今日のコースについて概要を担当のパルさん、よっしーくんから説明がありさっそく駅前で資料の読み合わせ、通り行く人が不思議そうな顔をしてのぞいていた。まず竜野市の概要から勉強、なんだか社会見学みたいだぞ。

ストレッチをして小雨の竜野を元気よくスタート、竜野は醤油の町、さっそくヒガシマル醤油工場の横を通り


市内の真ん中を流れる清流・揖保川にかかる竜野橋を渡って行く、川の中にはアユ釣りを楽しむ人が大勢見かけられた、周囲は新緑、揖保川を渡るとコースの両側には懐かしい古い家並みが続く、町並み保存がされているのだろう・・・信用金庫までこの通りのレトロ調


喫茶店もこの通り。整備された古い街並みは落ち着いた雰囲気で気持ちよく一列になってすすむ。


最初に訪れたのが円光寺、宮本武蔵が慶長年間の一時期、境内に道場を開き弟子たちの指南をしたといわれているお寺、武蔵14歳の時というから驚く。


十文字川に沿って上り坂をすすみ国木田独歩のお墓のある常照寺へ寄った。


さらに白壁の続く道を上がり天然記念物に指定されている「片しぼ竹」がある梅玉旅館へ寄った。片しぼ竹は、マダケが変化したものらしくて、竹の櫛間の半面が平滑で反対側が縦に縞がはいっている、驚いた!


さらに十文字川に沿って上がり動物園に寄り、いよいよ竜野の名所「童謡の小道」へ、ここから小高い山へ上りながら子供のころ歌ったなつかしい童謡の世界に入っていく・・・

昭和62年7月に全国より「あなたの好きな童謡」を募集し、選ばれたが上位8曲の歌詞のついたモニュメントが、急な上り坂、下り坂のポイントにあり、その前に立つとセンサーが作動してメロディが流れるようになっている、それも実にきれいに聞こえて思わず、メンバーも口ずさんでいた。


その8曲とは?
参加メンバーが自分の好きな曲の前にたってセンサーが作動してメロディを聞く、そんなことを繰り返して楽しんだ・・・自分は、子供の頃に大好きだった「里の秋」を選んだ。


展望台に立つと竜野の豊かな自然が広がっていた、雨は上がったが猛烈な湿気と気温の上昇でサウナに入ったようなむし暑さにはまいった!

童謡の小径から「文学の小径・哲学の小径」へ、ここには当地出身の三木清の立派な文学碑がある。三木清といえば、確か人生論ノート、学生のころ、読んだ記憶があるが内容は覚えていない。書店にもないかもしれないが・・探してみようかな。


あまりの暑さで予定地に行く前に小径の下にある公園で昼食にした。

午後のスタートは、三木露風の赤とんぼ歌曲碑の前へ、ここで記念撮影。


さくら並木をすすんで龍野神社へ向かう、ここは賎ケ岳七本槍の一人、脇坂安治家が始祖、近くに屋敷跡が残っている。
庭園と茶室、紅葉で知られている名園の聚遠亭の池にはスイレンがきれいに咲いていた。



ここからは帰り道、三木露風旧邸跡前を通り白壁の武家屋敷をすすむと龍野城前に行く、龍野城は山城と平城があったが、山城は天正5年に秀吉に明け渡し、いまの城は平城、城主はかなりの交替があったようで最後は脇坂藩が明治初年までつとめたらしい。
城は資料館になっており武士の体験ができる、カップルや家族が楽しんでいた。



次は「うすくち龍野醤油資料館」へ、ここの入館料が10円、6年前と同じ。
龍野で醤油製造が始まったのは、天正15年(1587)、資料館も相当に古い。醤油製造や歴史について用具や文献がたくさん展示してあった。


ふたたび古い街並みの中をウォーキング、町のいたるところに水の流れの早い小川が流れており、そこに小道が続いていて歩いているだけでも気持ちがいい。



今回担当の二人が、後半の疲れたところでお茶タイムにとスケジュールに入れていたカフェ・エデンの東へ寄った、まさにタイムリー、コーヒーのつもりで入ったが、ご当地は揖保ソーメンも有名なところで、メニューに冷やしソーメンがあったのでそちらにしたがおいしかった。ピザにも赤とんぼの模様がはいっているのには驚いた!




コースの最後は、ショートカットして揖保川にかかる旭橋を渡り竜野駅へ、予定より一つ早い電車に乗ることができてほっとした。

毎度のことながら、当番のメンバーがしっかりと準備をしてくれて、時間もコースも工夫して無駄がなく、安心してついていくことができてありがたい。現役パリパリの背中を追って歩くだけでこちらも元気と若さをもらえるし、気遣ってくれてうれしい。

★62年7月に全国より「あなたの好きな童謡」を募集し、選ばれたが上位8曲 とは
①赤とんぼ ②ちいさい秋みつけた ③月の砂漠 ④みかんの花咲く丘 ⑤七つの子 ⑥叱られて ⑦夕焼け小焼け ⑧里の秋 (順位は定かでない)
★「竜野」と「龍野」の両方が使われていて使い分けがむずかしい、市は「たつの市」

二ケ月遅れの古希祝い!

2009-06-18 19:05:39 | 交流
海外から戻ってきてやっと落ち着いた友人が二ケ月遅れの古希祝いをしてくれた。

少しだけ年下の友人、去年、経営から引退してから体調がすぐれずメールでのやりとりしかなかったが、最近は、好きななジョギングと自転車も復活してきたので一緒に歩きたいと言ってきた。

ウォーキングのあと食事に行くことにして、4時に仕事場からマイウォーキングコースの淀川堤防を歩いて赤川鉄橋を渡り大阪市内へ、日本一長い商店街といわれている天神橋商店街も通り抜け。

夕刻の市内ウォーキングもまた楽しい、この友人とウオーキングは初めてだったが、なかなかの健脚、自転車にジョギングで鍛えているからだろう平気な顔をしていてこっちが刺激されてしまった。

約3時間ほど歩いてお互いに好きなやき鳥屋へ。

半年ぶりの再会に話がはずんだ。
長く経営の前線にいた者が、譲って引き下がった途端に体調を崩したことを不思議に思っていたが、本人も必死で打ち込んでいたものを失った喪失感みたいなものが気力をなくさせ、一気に心身のバランスを失った結果だろうと言っていた。

体に染みついた現場魂は、現場で生かされるもので、生かす場がなくなるとただの年寄り。

やはり、どこかに自分の存在場所を持っておかないと身の置き所がなくなると気持ちが老いていくのだろう。

新幹線0系を迎えた太陽の塔。

2009-06-16 23:16:39 | 電車・鉄道
吹田市がJR西日本から譲り受けた初代新幹線「0系」の
先頭車両が16日の深夜、展示されるJR吹田操車場跡地
の公園にトレーラーで運ばれる途中、万博公園前でライト
アップした大阪万博シンボルタワー「太陽の塔」の出迎え
を受けた。

高度経済成長時代の日本を象徴した0系と太陽の塔のツー
ショットはなつかしさの演出ですばらしかった。
この夏には期間限定で公開されるらしい。

去年の11月と12月、引退前の0系 新大阪駅で撮影した。



天台宗座主と真言宗座主の1200年を経てすばらしい握手!

2009-06-16 00:46:21 | 輝いて生きる
比叡山延暦寺・天台宗の半田孝淳座主が、15日、高野山真言宗総本山・金剛峯寺を訪れ、開祖の弘法大師・空海の誕生日を祝う法会に出席されたことが大きく報じられていた。
天台宗を伝えた最澄と、真言宗を伝えた空海は、中国で仏教を学んだ間柄ながら、晩年に教えや修行の違いなどから絶縁状態になり交流が途絶えて以来1200年を経て、天台宗トップの高野山への公式訪問は画期的なこと、むずかしいことはわからないが、半田孝淳座主と金剛峯寺の松長有慶座主とが手を取り合って喜びを表している場面を見てこちらまでうれしくなった。

心配されて心配だ!

2009-06-15 22:25:59 | 健康
夕べ遅くメールが入ってきて、須磨ウォークでの自分にいつもの元気がなかったということで皆が心配している、大丈夫かとリーダーからのメールだった。

すぐ返信すればよかったのだが、そのまま寝てしまい今日は忘れていたら

また、リーダーからメンバーのHさんが今日も心配しているとメールが来た。

Hさんはベテランの看護師さん、他の人が言うのなら気にもしないが、しっかり者のT看護師さんが言っているというのは若干気になる。

何で、そう感じたのか・・・

実は、自分でも、最近、疲れ気味なのかなあと思うことはしょっちゅうある。

それが、単なる疲れなのか、年齢的に当り前のことなのかその区別が自分にはわからない。老いていくということは、そういうことなのだろう。

心配されて、気遣いはうれしいが、心配をされることは、不安への始まりでもある。

最近、気持ちが高ぶるような、緊張感のある時間が少なくなっていることも原因しているのかなあと思ったりするが・・・どうだろう。

神戸須磨を歩いて。

2009-06-14 23:16:23 | ウォーキング
関西の五大私鉄が共同で主催しているリレーウォークの例
会に行ってきた。今月は阪神電鉄が担当、行先は神戸市の
歴史と景勝の須磨一帯。

3日前に10年も女性だけでウォーキング&ハイキングを行っ
ているグループから誘いがあったからだが、予定している真
夏の東海道五十三次・箱根越えの暑さの中の上り下り対策
に山歩きがあるこのコースは歩いておこうと思った。

大阪梅田から阪神電車で、スタートの神戸板宿駅へ
スタートの公園にはすでに大勢の参加者が訪れていたが
われわれは遅めの10時20分に出発した。

好天気、暑さを感じながら大勢の参加者の中を須磨海浜
公園を旧和田岬灯台まで行き、そこから須磨の町を右に
左に進みながら須磨植物園へ。


神戸は海と山の町だからコースは海か山を向かいながら
進んで行く、街路には紫陽花をはじめいろいろな花が精
いっぱいの歓迎をしてくれているので足は自然とすすむ。

あっ、ひまわり!はるかちゃんかな?

11時20分、須磨植物園に到着、少し早かったが見ごろ
の紫陽花に囲まれたベンチで弁当を広げた。

このグループに呼んでもらうと必ず手作りの弁当を用意
してくれるので何が出てくるかはお楽しみ、おやつにデ
ザート、食べきれないお供えはリュックの中へ
厚遇がありがたくおいしくいただいた。それが目的で参
加している?まさかこんなじいさんに用心棒代ではある
まい。守ってもらうのはこっちや!↓ほれ、たのもしい!


須磨植物園はあじさいがきれいに咲きそろい、園内の花
めぐりをして、隣の神戸市立須磨離宮公園へ移動。

離宮公園に来るのは三度目、この公園は緑と花が咲き乱
れ周囲にまったく余計な景色がなくて、ただみえるのは
眼前に広がる大阪湾のながめだけ。



離宮公園から離宮通りを下り西国街道を右へすすむ。

途中、菅の井の前を通る、菅の井のいわれは・・・
菅原道真が大宰府へ流される途中、風雨を避けて須磨に上
陸したところ、地元の人が円座で道真公を迎え、休んでい
ただき、水を差し上げたという、その水をおいしいと言わ
れたことから菅の井というようになったという、菅公手植
の松の根が保存されている。


山陽電鉄須磨寺を渡ったところ、駅舎の横に平重衝とらわ
れの松の碑が目についた。

大勢のウォーカーはまったく気付かずにどんどんすすむが
二度と来ることはないかもしれないと思うと仲間の女性群
には遅れて申し訳ないがまたストップ。


寿永3年(1184)2月7日、源平合戦のとき、副大将の平
重衡は須磨まで逃れてきたが源氏の捕虜になり土地の人が
哀れに思い名物の濁酒をすすめたところ重衝はたいそう喜
んで
   「ささほろや波ここもとを打ちすぎて 
          須磨でのむこそ 濁酒なれ」

の一首を詠んだという、のちに鎌倉へ送られて処刑された
と節明書きがある。

これから訪ねる須磨寺、六甲山麓の一の谷、ゴールの須磨浦
公園一帯は、平家一族の悲しい足跡を示すものがたくさん残
っている。

次は須磨寺、須磨寺は源平合戦ゆかりの寺でここには多くの
ゆかりの碑やモニュメント、資料館もある。



平敦盛の首塚・・・一の谷の戦いで、熊谷直実に討たれ戦死した
平敦盛の菩堤を弔う為に建立されたもの、胴体は須磨浦公園にあ
る敦盛塚に祀られている。



後半は六甲縦走のコースにもなっている須磨アルプスを歩いた
上り下りの続く山道を鉄拐山から旗振山を歩き終えると須磨浦
山上遊園地へ。



リーダーが缶ビールを買ってくれたが、ウォーキングの途中で
アルコール類は一切飲まないのが自分のルール、倶楽部でもル
ールにしている、が返却するわけにもいかず、みんなで少しず
つ飲んだ。
健康上にも安全上にもウォーク中の飲酒歩行はするべからず。

楽しみにしていた山上遊園から眼下に広がる大阪湾と淡路島の
絶景はあいにくかすんでいて見ることができなかったのが残念。

ただ、紫陽花が山上一帯に咲き乱れていて目を楽しませてくれ
た。

ここからゴールの須磨浦公園を目指して一気に下って行く
海が目の前に広がる・与謝蕪村の句、ここで詠んだのか?
 「春の海 終日 のたりのたりかな」




無事にゴール。ワールドマーチのシューズが当たる抽選にメン
バーの一人が一番違いで残念!
今日の参加者が3000人あまりだったと聞いて驚いた
口達者のおばさん達の口撃と闘いながら楽しく歩くことができ
た、が、疲れた! 次回からガムテープを持って行く!

カープ、がんばれ!

2009-06-12 18:38:01 | カープ
大の野球好きで生まれ育ったふるさとの広島カープを
ひいきにしている
球団が創設された時からだから相当なファンでもある
勝てばうれしいし負ければくやしい、当り前のことだが。

最近は調子がよくてブログの話題には毎日でもできるのだが
勝って喜べば、負けた相手チームのファンもいるだろうから
これまでブログの話題にしたことはなかったと思う
(政党・政治も同じ)

でも、やっぱり
がんばれ!
よくやった!
と言いたくもなることもある

昨夜のロッテ戦は書かざるを得ないゲームをした

23-2、1イニングに15点も取られる新記録までつくって
カープは破れた、考えられないような試合だった!

エースが打たれた試合だからチームもショックだったろう

しかし、それだけでは終わらなかった

今日の新聞やブログを見ていたら

ブラウン監督が、”チームは負けたが、ファンは勝者だった”
と言っていた
最後までファンが応援をしてくれたことに対してだ

今シーズン横浜から移籍してきたベテランの石井選手は、
最後まで応援してくれたファンに感謝します、と言っていた

少し負け続けるとファンが騒ぐチームもあるが、
わが広島カープは違った、それがうれしかった

若い選手ばかりの発展途上チーム、こんなことにくじけ
ないで明日からの西武戦、がんばってほしい

監督も選手も12球団最低の給料、主力が他チームに引っ張
られても健気に戦うふるさとチームに頑張れと応援せずには
おられなかった。

眠れなかった夜。

2009-06-11 23:39:01 | ひとりごと
朝、4時に目が覚めた
寝る前に白湯(暑くなると水)を飲むので
明け方にトイレ起きするのもいつものことなのだが

そのあと、とうとう寝むれないままに朝を迎えた
最近、こんなことがよくある

4月に古希を迎えて
自分が生きてきた歳月をメモ書きしてきたが
それを整理してまとめてみたら
たいした内容にならなくて

脚色してシナリオを広げようにも
広げようがないくらい
われながら驚いてしまった

わが人生
ここまで
こんな程度だったのか

よく生きてこられたものだと
変に感心したりした

過ぎたことはそれでいいけれど

これからをどうするか
これもあれやこれやと書き出してみたら
いくらでも出てきたが

どれだけ時間があるのかわからないのに
なにからどうしたものやら
迷いの日々が続いて
こんなことをしていてどうなる
今朝も、ふっと頭をよぎり
寝付けなくなった


松原泰道さんの
「日本人への遺言」
を読んでいたら

解決した人生などありません
私自身、101歳になった今でも
どう生きて行こうか
毎日、自問自答しています。

とあった。