昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

雪のてんこ盛り!

2011-01-31 21:42:49 | 交流
二日間一緒に勉強をして昨日の早朝に新幹線で

秋田県のY市に帰って行った参加者のKさんから

朝、一番のメールに画像ファイルがついていた


開いてびっくり「てんこ盛りの雪景色」と書いたファイルは

会社の正面から撮った写真で雪、雪、雪・・・

社名のところだけ雪よけしてある車もすっぽり雪ん中

背景の二階建ての社屋も判別がつかない


今日の仕事はどうするのやら・・・・

仕事より雪下ろしからだろう

営業系の会社は仕事どころではないはず


それより先に自分の家も・・・

雪国の厳しさの一面を見た


夕方、大阪駅へ行ったら豪雪の北陸地方

北陸線は終日ストップしていると報じていた

雪もなく晴れ間の続いた大阪が申し訳ない


(大阪はこんなにいい天気なのに、仕事場から)

札幌の勉強仲間からメールがきたが

雪のことなど何も書いてなかった

北国の人は雪で騒いだりしないのだろう?


それにしても今日は寒かった

今朝の大阪は氷点下2.7度、京都は氷点下3.9度

あすは気温も上がるらしい


今日の日経新聞に「検定」の記事が載っていた

各地の「ご当地検定」の受験生が減少して

てこ入れに様々な工夫をしているらしい。



早いもので今日で1月は終わり

明日から2月になる

この寒さ、通り越してほしい。



しみじみと思ったこと。

2011-01-30 23:46:21 | 交流
金、土曜日の二日間、後継者の勉強会を開催して
夜は夜で二夜、彼、彼女らと遅くまで飲んだ

初日は先輩経営者二人が面識のないメンバーのため
かけつけて経営の苦労や体験、ノウハウを伝授し

膝突き合わせて宴会場の制限時間も引き延ばして
アドバイスをしてくれた京都の経営者は帰りの電車
がなくなりホテル泊まり、カラオケ行って
翌朝はそこから京都の会社へ出社するといっていた


二日目の昨日はせっかく大阪だから気分転換でもと
道頓堀の千房へお好み焼きを食べに連れて行ったら

これまた仕事の話、他所で言えない悩み、苦労・・・
二日間、終日、勉強をして疲れているにもかかわらず
ここもフロアに客がいなくなるまで延々と話し込み

翌朝は雪で飛行機より確かな新幹線で秋田まで帰る
と言っていたがはたして無事に帰ってくれたやら

なりたくてなる後継者ではなくて
たまたま経営者の家に生まれたばかりの運命

かけつけた実力派の社長ですら
もう、社長はやめたい!
と言っていたが本音だろう

中小企業の経営者は寝る暇もない
資金の余裕も人の余裕もない
あるのは苦労と借金だけ

いつも思う
サラリーマンと経営者とでは
その厳しさは比較にならない
話す内容もまるで違う

大手企業から後継することになり実家に戻った
九州から来た若手後継者は何からしていいやら

あさ、7時に出社して社員を迎えよ!
その青年に先輩経営者が厳命していた

会社に着いたらその経営者に電話をするよう
約束までさせられていた

命令した社長もかってそうしたのだろうと思う
今も出社一番でいるはずだ

もちろん苦労を上回る喜びややりがいもある
苦労した分は確かな力になる
夢を持ち大きなチャレンジができる
同じ年齢でも経営者はすごい

その人たちもここを読んでいるかもしれない
ウオーキング話や検定話で明け暮れしていたら
とても勉強会で偉そうなことは言えん

現役というなら何歳になろうとも
楽なところばかりに身をおいたらあかん
しみじみと思った。

疲れた!

2011-01-29 23:57:56 | 仕事
昨日に続いて終日、勉強会を続けた

17時過ぎに終了して一息ついて

遠方から参加しているメンバーが

今日も後泊するので大阪を案内しようと

道頓堀に食事に出かけた


心斎橋商店街をぶらぶら歩いて道頓堀へ

グリコ、かに道楽、でっかい看板

くいだおれ太郎の前で記念写真



お好み焼きを食べたいというので

道頓堀の千房へ行った

お好み焼きを食べながら

ここでも仕事の延長

すっかり話し込んだ

お好み焼きはおいしかったらしい




法善寺横丁、千日前、吉本の花月前まで

まわってお茶のんで11時前まで大阪の夜

を案内して戻ってきた


とにかく疲れた!

眠たい!


カラオケ。

2011-01-28 23:59:11 | 交流
終日勉強会で過ごした後は夕食会があり

その流れでカラオケに誘われた

ベテランの人たちが今風の曲を次々と

歌うのには驚いた

きっとよく歌われている曲なのだろうが

まるでわからない

石原裕次郎をはじめ70年代の懐メロ派には

今風のカラオケの中では場違いな気がして

それでもすみません

大好きな「青春の城下町」をうたった

まさかあの人がとカラオケは意外な一面を

発見させてくれるいい機会にもなる


帰り、酒を発散させたくてひと駅ウォーク

江坂から上り坂の続く道を寒さにも負けずに

歩いて戻ってきた。

お気をつけて!

2011-01-27 17:22:17 | ひとりごと
きのうから「気をつけて!」の三連発でこの寒さなのに
心はぽかぽか、とてもいい気分に浸らせてもらっている

昨夜、最終の地下鉄に乗ろうと仕事場のビルを出たら
寒い交差点わきで携帯を覗きこんでいる男性が目についた
終電の時間が気になったがほっておけないのが
自称新大阪駅のお節介おじさん

そばに行って声をかけて
行き先の書かれた書類を見せてもらったら
まったく逆方向のホテル、途中まで一緒に歩いて

別れ際に
お気をつけて!
と言ったら、振り返って丁寧にお辞儀を返してきた

あー、気持がよかった
出張のビジネスマンだろう
うまく行ってくれたかなあ?

今朝も同じ場所でIPHONを覗いている学生風の男性が
いたのでいつものように
わかりますか?と声かけた

教えた方向に急ぐその若者に
気をつけてね!
と声をかけたら
助かりました!ありがとうございました!と
安心したように行った

昼ご飯に外へ出たら、また、同じ場所で若い女性が
多分、女子学生だと思ったが、書類を開いてあたりを
きょろきょろ見ていたのでまたお節介おじさんの出番

わかりますか?と声かけたら
はい、多分、大丈夫と思います、ありがとうございます!
と笑顔が返ってきた

気をつけてね!
と言ったら、うれしそうに
”ご親切にありがとうございました”
と言って立ち去った

このあたりは場所的に複雑で方角を間違えると
東海道線、新幹線、地下鉄、新御堂筋で道が完全に
遮断されるために迷路になってしまうところ

それにしても

「気をつけて!」

言われた方も
言ったほうも
気持ちがよくなる
魔法のことば


先日の伊勢街道歩きの途中で道を尋ねた自分に若者が
「お気をつけて!」と
言ってくれた時のうれしかったことをブログに書いた

http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20110108


実は東海道五十三次をひとり歩きしていた三年間
いろいろなところで土地の人に道を尋ね歩きした

お気をつけて!

とよく声をかけられて元気をもらったものだ

自分がそのことばを使うことはあまりなかったが
その気になって三連発やってみたら気分がいい
なんだか病みつきになりそう・・・

お気をつけて!
いいなあ・・・
もうひとつ
お気をつけて!!




京都検定3級に合格。

2011-01-26 17:01:19 | チャレンジ
12月12日に受けた京都検定(正式名称は京都観光文化検定)
試験結果が京都商工会議所から郵送されてきた

自己採点していた結果とまったく一緒で3級、92点で合格。
ほっとした。



先日の大阪検定合格者のつどいで大阪検定1級合格や京都検定
1級にチャレンジした人に会っていたので3級の初心者マーク
など人様に言えるものではないとしみじみと思ったのだが

このブログで結果を待っている人もいるし何事もオープン主義

 まあ、いいか!

 よう、やったやないか!

 褒めたるで!

ブログにも書いているが、あの日のばたばた振りを思い出して
ひとり笑っているのであります。

それにしても京都3級の問題は過去問と比較してやさしかった!
龍馬伝ブームで幕末の10問はプレゼントしてもらったようなもの
2級の問題もやってみたが73点だったので受けておけばよかった。

過去からの傾向を見たら「難」「易」が交互に繰り返している
次回の京都は「難」で大阪は「易」と無責任な予想をしとこ。

これで「京」「阪」「神」の三都検定にチャレンジして受かった
検定のことなど去年の5月までは考えたこともなかったのだから
ほんまに面白いなあ

まあ、京都の3級合格者は7回もやっているのだから仰山いて
うっかり喋ったら恥かくぞ! でも喋るやろうなあ・・・

 まあ、いいか!

 よう、やったやないか!

 褒めたるで!

おいおい、ここで繰り返してどうする、ブログ終わらんぞ!
さあ、明日の準備、準備!


続・大阪検定合格者のつどいのYさんへ!

2011-01-25 19:47:27 | 交流
23日の大阪検定合格者のつどいのトークセッションで
出演をされ1級合格のノウハウをお話くださったYさん
ブログからメールをいただきありがとうございました。

ご返信先がわからずブログからもご返信ができませんので
こちらよりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

当日、私は最後列の「I」テーブルにおりましたので
Yさんの最前列「C」テーブルとは離れていたために
お話することができず大変残念に思いました。

機会をつくって、ぜひ、ご教授願いたいと思っています。
差し支えなければメールアドレスを教えていただければ
うれしいと思います。

まさか、検定1級1位合格のYさんがこのブログを訪ねて
下さりメールまでいただこうとは夢にも思いませんでした。
まさか、まさか・・・ほんとうにびっくりいたしました。

また、乾杯のご発声をされた同じく1級合格のTさんからも
コメントをいただきしみじみとつどいに参加してよかったと
感謝しております。

何事も一歩を踏み出さない限り前進しないと言い聞かせて
「合格者のつどい」に参加しましたが、やはり出会いのプ
レゼントがありました。ありがたいことです。

何かが始まりそうです、いや、始めたいと思います。
合格者の皆さん、Yさん、Tさん、よろしくお願い致します。
ありがとうございました。

はるかのひまわりについて。

2011-01-24 18:46:34 | 交流

先日、震災関連のはるかのひまわりの象徴になった

神戸のはるかちゃんのお母さんが亡くなったことを書いた

複数の問い合わせがありご返事は差し上げたが

参考になればと書籍のご紹介をしておきたい

①あの日を忘れない

②はるかのひまわり

あと一冊、誰かにプレゼントして名前を忘れた!

③希望の灯りともして

④CD「はるかのひまわり」

    梅原 司平さんの「ひまわり」は震災支援の神戸支援の歌で

    神戸市の全小学校に配られているはず、何年か前に神戸で

    梅原さんの震災コンサートで買ったCD。

 

はるかのひまわりの種を希望される人には

お世話をいたします。(4月末か5月初旬)

皇居でも毎年咲いているはるかのひまわりは

今では海外にまで災害にあった人への励ましと

災害防止のシンボルとして知られているのだが

意外と地元の人が知らないのを残念に思う。

 

過去、MIXIで「はるかのひまわり」のコミュニティを

開設し全国多くの方にはるかのひまわりを植えて

いただいてきた

そのうちのひとり、広島の僧侶のIさんから寒中見舞いに

広島での広がりのことが書いてあった

学校、施設、教会、W協会、自治会、町内会、子供会

商店街、商工会・・・個人

問い合わせへの対応、発送、通信費等、ひとりでは手に

負えなくなってMIXIのコミュニティはいったん閉鎖。

新しくウォーキングSNSでコミュニティを開設して広がって

いたが、たった一人のいやがらせメンバーのためにここも

コミュニティを閉鎖、現在は有志の皆さんが広げてくれている。

お世話をしているウォーキング倶楽部でも何年間か活動を

続けたが現在は休止している。

かってのように頑張ろうという意識が減退してきたのか

体力が落ちてきたのかよくわからないが

まあ、いいか!

もう、いいか!

いつまでもやっていたらあかん

だれかがやるやろ!

そんな心境になったなあ

おっと、これはひとりごと

2005年1月16日、ウォーキング倶楽部のメンバーで半年間

かかって折った6,433羽の折鶴を震災モニュメントに届けた。


「大阪検定合格者のつどい」

2011-01-23 23:54:21 | 交流

大阪商工会議所主催、「なにわなんでも大阪検定」の

第二回「合格者のつどい」が17時からなんばの味園で

開催されたので楽しみに参加した

昨年の7月に検定試験を受けて2、3級に合格してから

初めて参加する行事だから期待も大きかった。

(大阪商工会議所から使用許可を得た) 

「開会のあいさつ」

参加者91名は、12のテーブルにグループ分けされていた

主催者の大阪検定企画会議座長で府立大教授の橋爪先生

が開会のあいさつをされたあと1級Tさんの発声で乾杯! 

 

いよいよイベントの始まり

トークセッション「1級受験の楽しみ方・受かり方」

1級合格者のYさんから「1級受験の楽しみ方・受かり方」に

ついて司会の梅田淳さんが受験体験や勉強方法などを

インタビュー形式で聞き出していた。

Yさんはさらりと話していたけれど、相当の努力がなければ

1級合格は簡単なことではない、なにしろ2級合格にやっと

だった自分には1級は途方もなく高いハードルだ。

それでも勉強の仕方にいくつかヒントをもらったので時が

きたら生かしたいと思った・・・来るかなあ?

 

「お食事と交流会」

しばらく各テーブルでアルコール入りフリートークタイムではずむ

うちのテーブルは70歳代が3人、4人が60歳代とベテラン揃い

1級を受けた人も3人いるなどみなさんよく勉強をしている

聞いていると刺激を受けて今年も受けるぞと気合いが入る!

 

「PRタイム」

しばらくしてPRタイムが始まった

大阪について特定のテーマや内容で活動している何人かが

指名され壇上で1分間のPR、自分も事前に依頼があったので

酒の勢いでしゃべってしまったがPRになったかどうか怪しい

ただチャンスをいただいてラッキーだった!

 

終わると1級合格の話をしたTさんに呼びとめられて名刺交換

これは素敵な出会いのプレゼント・・・うれしかった!

うちの楽歩倶楽部に入れてくれと言われて弱った、年齢制限

でも、きっと何かでつながる人だと直感した。

 

総合司会をしたがおなじみの梅田淳アナウンサー

この人はほんまにうまい!

盛り上がって行く!

 

「大阪検定合格者グランプリ2011」

さて、いよいよ12のテーブルに分かれチーム対抗による

クイズ勝ち抜き戦の 「グランプリ2011・予選」

待ってました!

まず予選を行い決勝に出る5チームを決めるのだが

10問を個々に解答してチーム全員の正解合計点から

わがIテーブルの「Iラブ大阪」チームは4位で決勝進出

思わずみんなでやった!

うん、チームワークがいいぞ!

そして、いよいよ 「グランプリ2011・決勝」

壇上にメンバーが上がり一人ずつ早押しクイズで正答すると

交代、舞台からグループ7人がゼロ人になったチームの勝ち。

自分はチームの3番、出された問題に一発で正解ができて

4人目にタッチ、結局チームはお見事2位!

これにはチームも盛り上がった!

限られた時間で他のテーブルの人たちと交流することが

できなかったのは残念だったが何人かの人には手作りの

名刺を渡してあるのでもしかしたら何かが生まれるかも。

 

「閉会の大阪締め」

終了して難波の駅へ寒い道を急ぎながら参加してよかった

としみじみ思った

最近は人の中に自分を置く機会が少なくて物足らなかったが

やっぱりいろいろな分野で頑張っている向上心の強い人達と

わずかな時間でも刺激を共有することができてよかった。

 

また、今日の会場は別の意味で思い出がある会場だった

4年前、元吉本興業の木村政雄さんのY会のイベントがあって

木村政雄さんの還暦をみんなで祝ったのも今日の会場だった。

 

同じ会場というのも偶然とはいえ何かの示しがあったのかも

せっかくの出会い、何かで繋いでいかないと交流会で終わって

しまってはあまりにもったいない

肩書きも経歴もなにもなし、ただ一人の人間として素顔のまま

の出会いは垣根がなくて新鮮でよかった

今日の出会いから何かが生まれるように・・・と強く思った。

 


災害時帰宅コースの確認ウォーク。

2011-01-22 20:22:58 | ウォーキング

久しぶりに暖かくて快晴の土曜日になったので
以前から思っていた災害時に自宅まで歩いて
帰ることを想定したウォークをすることにした

幸いに自宅と仕事場までは地下鉄でわずか3駅
一本道でわかりやすいが途中にある神崎川に
かかる橋が通行不能になると事情は一変する

16年前の阪神淡路大震災で地下鉄も新御堂筋も
閉鎖され豊中市の自宅から仕事場の新大阪駅前まで
2日後に歩いたことをこの間のことのように覚えている

その後、ウォーキングを始めてその道をどれだけ歩いたか
わからないが、ここ1年はまったく歩いていないので防災の
目で何か変化はないか、歩いておくことにした

自宅から仕事場へと帰宅コースとは逆に歩くことになるが
12時30分に豊中市の自宅から訓練ウォークをスタート
すぐ新御堂筋に沿って一路、新大阪駅をめざした

自宅を出ると下りが続きやがて吹田市に入る
高架になっている地下鉄と並行する新御堂筋の下を
次の江坂駅を目指して快晴の空の下を気持ちよく歩く

地下鉄江坂駅から新大阪までは1年ぶりに歩く
震災時、この江坂駅の南、北側の橋桁に傷が入り
補修で半年間も地下鉄は徐行運転線を続けた

吹田市と大阪市との境を流れる神崎川まで行く
もし、災害が発生しこの橋が渡れなくなると大変
橋はらせん階段で上がり下りするのでここも問題



念のために上、下流の橋は渡って確認をしているが
そこの橋も通れなくなるとお手上げになる
橋を渡り大阪市域に入った

地下鉄東三国駅周辺に近づくと町の雰囲気が以前より
随分と変わったのは単身者が多く済んでいるからか
若者は町を変えてしまう

たこ焼きのいいにおいがしてくる
おいしそう・・・食べたいなあと思うが
でも、だめだめ、今日は災害帰宅訓練中!

今度は大好きなミスタードーナツショップ
暖かいコーヒーが飲みたい!
だめだめ、今日は災害帰宅訓練中!

途中でのお小遣はゼロ!

それにしてもコンビニが多い、次々と現れる
あの震災頃にコンビニはほとんどなかったはず
単身者の町になった証拠だ

そのコンビニで確かめたいことがひとつあった
「災害時帰宅支援ステーション」の
ステッカーがどうなっているのか



関西のコンビニでは数年前からよく見かけられる
「災害時帰宅支援ステーション・ステッカー」のこと
「災害時の帰宅困難者を支援します」
「万一の時、歩いて帰宅する人々に必要なサービスを提供いたします」
等、文言は各店で違うがステッカーのロゴは統一されている

この「災害時帰宅支援ステーション・ステッカー」とは
阪神大震災を教訓に、平成17年4月に関西広域機構
から始まり、関西2府5県にあるコンビニや外食事業者と
災害時に帰宅路の途絶えた通勤・通学者など歩いて帰る
人に対する「水道水」「トイレ」「道路情報」の提供などの
帰宅支援サービスを行うためにスタートした


「災害時帰宅支援ステーション・ステッカー」は支援可能な
店舗に貼りだしてある
いまでは関東圏、東海圏まで広がっているらしい
そうはいいながら、新大阪まで10店以上のコンビニで
ステッカーの有無をチェックしたが無い店のほうが多かった

東三国駅から新大阪までは随分変わってきている
軽快に新大阪駅へ着いた
いま新しいホームの新設や駅全体の改修中の駅も
震災時は壊れた窓ガラスがコンコースに散乱していた
そのコンコースを通り抜けて仕事場のビルへ着いた

ここまで自宅を出てから68分
震災2日目に歩いた時の時間を記憶していて75分
当時は54歳、ウォーキングという言葉もなかったし
歩くと言えばお散歩程度だった
あれから16年も歳とったのに足はむしろ丈夫になっている

あの日、仕事場のビル前は水道管が破裂し道路は水浸し
ビルの玄関エントランスは床がめくれあがり水浸しだった
ところどころ壁の落ちた非常階段を上り事務所へ入ってみると
部屋にあった物はすべて北側へ移動、一人では動かせない
本や書類の入った固定書棚が部屋の真ん中まで移動して
これを戻すのに三人がかりでも動かせないほどだった

この一週間、関西限定版かもしれないが、テレビや新聞で
震災特集が組まれていたが、いまでは内容も防災特集へと
変わりつつあり関西は「防災」という言葉がすっかり定着した

しかし、最後は、ひとりひとりの意識と、災害が発生した時
自宅と仕事場との帰宅路を確認しておくことは必要だと思う
「震災時帰宅支援マップ」も万一の時のために備えたい。

 


就活、何か手伝えないものか?

2011-01-21 22:13:40 | ひとりごと

今春卒業予定の大学生の就職内定率が

12月1日現在で68・8%にとどまっている

1996年以降最低だと先日報道されていた

 

今朝も仕事場ビル前で地図と携帯電話を

見ながらうろうろとあたりに目をやる二人の

若者がいたので近づいて行って声をかけた

 

一人は行き先がわかったと言っていたが

I PHONEを覗いていた若者の方は

方向を逆に見ていたのできちんと教えてあげた

 

年頃から二人とも就活の学生だと思う

大寒に入り今日の大阪もかなり寒い

小走りでいそぐ若者の背中を見て

間に合えばいいのだがとつぶやいた

 

50社回っても一社も内定をもらっていない

そんなことが当たり前のように言われているが

気持ちも萎えてくることだろう

 

年末にNHKで就活をテーマに参加番組を見て

微力だが何か手伝うことはないものだろうか

ずっとそのことを思い続けている

 

思うだけでは・・・そのうち、そのうちで終わってしまう

なにか糸口が見つかれば役にたつかもしれないが

 

寛平ちゃんがヨットとマラソンの世界一周マラソンで

今夜、大阪城公園へ無事にゴールした

あきらめたらあかん

止まったらあかん

そう教えてくれている

 

今夜のNHKで8時から震災特集をやっていた

友人でNPO1.17希望の灯りの初代理事長の

Sさんが出演していたが大学生の息子さんを亡くした

 

夢も希望もあっただろうに・・・

元気であればなんとかなる

辛いだろうが若者にそう言ってあげたい。

 


PRタイム。

2011-01-20 23:24:54 | 交流

次の日曜日に大阪検定の合格者を対象にした

「合格者のつどい」が大阪ミナミ・千日前にある

老舗会場で開催されるので申し込んでいた

 

今日、事務局から連絡があってイベントの中で

1分間のPRタイムにウォーキング倶楽部のPR

をしてほしいということだった

 

申込書のPR項目に倶楽部のことを書いたので

取り上げられたらしいがまさか喋ることになろうとは

1分間・・・飲む前ならいいんだけど

 

検定受験者だから大阪が好きな人達に違いないし

勉強も好きな人達だと思うので

そんな人との出会いの方が楽しみだ

 

これも一歩踏み出したからこそ

何が生まれるか面白いね

 楽しみな「合格者のつどい」。

 


はるかのひまわりのお母さんが亡くなった。

2011-01-19 23:01:28 | ひとりごと

このブログでも過去、何度も書き込んできた

阪神大震災関連のはるかのひまわりの

はるかちゃんのお母さんが昨日亡くなった

 

61歳、心筋梗塞だったそうだ

まだ若いのにはるかちゃんのところへ

行きたかったのだろうか

 

残されたのがお姉さんのいつかさん

たった一人で生きて行く

がんばってほしい

 

その死を各新聞が報じていたほど

はるかのひまわりは

全国に広まっていた

 

皇后様も皇居に植えられ

咲いたひまわりの写真が

報道されたこともあった

 

NPO1.17希望の灯りを通して

はるかのひまわりに支援してきた者として

とても残念なことだ。

 

きのう広島のお寺の僧侶の方から

いただいた寒中見舞いのはがきに

はるかのひまわりのことが書いてあったばかり。

 


ヒゲそりカミソリ。

2011-01-18 23:08:55 | ひとりごと
なんでやねん!ほんまに困る!

ヒゲそり用のカミソリを買いに行った


いま使っているホルダーに合う替刃を

探したが見つからない


店の人に聞いたらもうその商品はないという

廃番になったということだ


またか!


家にいろいろな形のホルダーが何個もある

たびたび、新しい商品が売り出されて

古いホルダーは廃番にされていく


当然、セットになる替刃も同じ運命だ

なぜ、ここまで変える必要があるのか


ホルダーと替刃8個入りで

なんと2,478円



うかつに余分に買いだめしておくと

廃番になったら捨てられる


何度も同じことを繰り返してきた

それでも懲りないで買う


電気カミソリを使えば!?

と言われるかもしれないが

やっぱりきれいに剃れるカミソリがいい


一日のうち鏡で自分の顔を見るのは


ヒゲ剃りの時の一度だけ


だから、せめて、その時くらい

すっきりとした(していにいが)顔をみたい

だからカミソリを使う

今日は別のメーカーにした。




震災記念日前日に神戸を歩いて。

2011-01-17 20:33:48 | ウォーキング

阪神淡路大震災16周年記念日の前日16日、お世話をしているウォーキング倶楽部の1月例会で神戸を訪ねた。例会テーマは「震災モニュメント(慰霊碑)と神戸の歴史を訪ねて」、コースは須磨から三宮・震災記念の集いが開催される東遊園地までの20キロを歩こうというもの。

神戸にゆかりの平清盛一族と盛衰の跡がいまなお強く残る史跡を訪ねること、とくに来年の大河ドラマ「平清盛」を先取りして現地を訪ねておこう②大震災後の神戸の復興状況を足で見て歩き亡くなった人の慰霊碑を訪ねてお慰めをすることにした。

JR須磨駅に集合、今回は初めて参加(お試し)の男性が二人。9名で駅前から広がる須磨の海岸を歩いて須磨浦公園まで行った。



公園の西側のすみっこにある平敦盛塚へ、敦盛は平清盛の弟・経盛の末っ子で一の谷の合戦で源氏の熊谷直美と一騎打ち、その悲劇は「平家物語」でも有名。ここへは何度きたことやら、この後で須磨寺に行くとその一騎打ちの場面が見られる。



須磨浦公園一帯は源平の合戦のうち一の谷合戦の戦場となったことから「戦の浜」と呼ばれ、「源平史跡 戦の浜」と書かれた石碑が建っている。



公園を出て一路神戸方面へ2号線に沿って歩き続ける。源平にゆかりの深い須磨寺へ寄ったが、時間の関係で今日は中へは入らなかった。このお寺はゆっくりと見るにはかなりの時間が必要なお寺。

須磨寺正覚院のお地蔵さんたち、震災で行き場がなくなった地区のお地蔵さん達をここに引き取ったという。さまざまなお地蔵さんたちが丁寧に安置され静かに時を送っているように見えた。

ここに一の谷合戦の敦盛と熊谷直美との一騎打ちの場面を再現した源平の庭がある。当時16歳だった敦盛が源氏に追われ平家劣勢で海に逃れようとしていた時源氏の熊谷直美に挑まれ、勝った直美が首を斬ろうとすると敦盛であることがわかり、自分の子供と同じような年齢の敦盛の首を味方の武士に斬らせることはできないと涙を飲んで自分で斬る、この場面が歌舞伎などで演じられている。

山陽電鉄須磨寺駅横には平重衝とらわれの松の碑がある。うっかりすると見逃しそうな駅と往来の激しい道路わきにある。

源平合戦で敗走した平清盛の五男重衛がこの地で生け捕りにあい松の木に縛られたとある。

琵琶の名人の藤原師長がこの地で村上天皇の霊に琵琶の奥義を伝授したという村上帝社により、さらに関守稲荷神社へ向かった。

ここから鷹取駅方面を目指してどんどんすすむ、初参加の二人も問題なく歩いて行くのでひと安心、12時ちょうど、鷹取駅前へ来た。



JR鷹取駅前から16年前のあの時、火災で町中が火の海と化し、多くの犠牲者を出した鷹取商店街の今を訪ねた。商店街はしばらく古い建物が残り震災の傷跡があまり感じられない通りをすすんでいると公園についた。

実はこの公園にあるクスノキがこれから向かう全焼した商店街や住宅との防火壁の役目を果たし、いま歩いてきた通りへの類焼を防いだそうだ。今日の担当、ちゅうさんがここを皆に見せたかったらしい。確かに歩いてきた通りとこれから行く通りはまるで雰囲気が違う、どこにでもあるような公園が実は大きな役割を果たしたこと、そのクスノキは何もなかったかのように空に向かっているが、なにもかも知っているのだろう。

 

 (↑正面に公園が見える-このあたりは古い建物が多い)

大国公園にあね倒壊した鳥居で作ったお地蔵さん。

公園を出ると焼けつくされた町はすっかり区画化され、きれいに立ち並ぶ新しい建物、そして商店街は異様な感じさえした。

そんな鷹取の通りを歩いていたら年配の男性に声をかけられた、それがすばらしい出会いになった。



その人は、Aさんというプロゴルファー、赤井英和さん主演の震災をテーマにして数年前に上映された映画「ありがとう」のモデルになった人だった。震災前からこの街に住み、あの震災を体験、がれきの下から11人助け出しながら、生きている人を火の海から救い出せなかった、助けて!という声がいまも消えないという。
地震と火災の怖さを伝えていきたいと400回を超える講演を行っているそうだ。寒い商店街の一角で震災体験者のAさんから真に迫る話を聞くことができてすばらしい出会いになった。

Aさん70才、同じ年齢なのに若さが違う、メンバーが二人で肩を組んでいる写真を撮ってくれた。握手して別れたが、家に戻ってきて実はAさんとつながりがあることがわかってびっくり。何気なく組んだ肩のぬくもり、つながっていた。一度、Aさんを訪ねたいと思っている。



若松鷹取公園、Aさんに教えられた合掌の地蔵さん、震災当日、ここにあった家から出火しこのあたりを火の海にしたらしい。



鷹取から同じく火災で町が焼けつくされた長田へ移動、ここも火災に包まれた町がテレビで映され続けた町、5年前に訪れた時とはかなり変わっていた。駅前は復興事業で大規模集合住宅や店舗が目立ち、表向きはここも新興の駅前、商店街。

昨年、突然現れた鉄人28号の像は復興の象徴のように力強く見えた。

行くぞ、おっ!


いつの間にか12時半を過ぎていたので新長田駅前の商店街で長田名物の「ぼっかけうどん」で身体を温めた。うわさ通りおいしかった。



長田でよく紹介されていた菅原商店街を訪ねた、商店街は集合店舗になり震災前とは町が一変していた。

よく紹介された菅原商店街だったと思われるところが「すがはらすいせん公園」になっているが、その公園に、天皇陛下、皇后陛下がお見舞いに来られたとき水仙の花束をお供えになったことで名づけられ、今日も可憐に水仙の花が咲き、花束を模したモニュメントもあった。



14時8分にJR兵庫駅前を通過。

駅前すぐ、西国街道の柳原えびす神社がある、ここが西国街道、これから行く兵庫城(跡)への西の入り口・柳原総門があったところ。

しばらく行くと兵庫大仏のある能福寺へ、日本三大大仏の三位。高さ18メートル。ここは来年の大河ドラマの平清盛に清盛役で出演するタレントが訪れたという新聞記事が張り出してあった。平清盛の供養塔があるからだろう。

「江」が始まったばかりなのに、もう、来年のことが始まっている、驚いた。

 

時宗の一遍上人の五輪塔、廟のある一遍上人がなくなった真光寺へも寄ってみた。



すぐ向かいの清盛の像と高い十三塔もあり、いかにも清盛が切り開いた兵庫津らしく清盛の史跡がいたるところにあった。
左・清盛像と右・清盛の甥の経正を祀る琵琶塚。

清盛塚、鎌倉時代の執権の北条貞時が平清盛の冥福を祈って建立した石塔。



兵庫運河にかかる大和田橋を渡ってみた、このあたりは数年前に方向は逆だが歩いたことがあるので記憶に新しい。橋の大きな飾り柱が倒壊しているのを見るといかに震災のエネルギーが大きかったか、想像もつかない。

新川運河のほとりが遊歩道・キャナルプロムナードという、ここはかって兵庫の港であった大和田泊、後に兵庫津(港)といわれたところ。それをすすめたのが平清盛、福原に遷都、そしてこの地、和田に和田京を思い、外国との交易を広げるために港の整備を行った。

そばに兵庫城跡の碑があった、兵庫城は、池田信輝、輝政父子が1581年(天正9年)にこの兵庫津(港)に築いた城で、海陸の要所として栄えた兵庫津をおさめた。初代兵庫県庁があったところ。ということは、初代知事の伊藤博文さんはここにいたのだろうか。

七宮神社まで来た、七宮神社は平清盛が築造した人工島(経が島)ゆかりの神社。人工島の工事が難航するのを不審に思った清盛が調べたところ土砂をとっていた塩槌山の神の怒りとわかり、山にあつた七宮神社を現在地に移したら工事は無事に終わったという。

七宮神社を過ぎると高田屋嘉兵衛本店跡の碑が建っていた。嘉兵衛は江戸時代後期、西回り航路から北をめざし北海道、やがてロシアと交易を発展させた人物として知られている。



コースはいよいよ終盤、寒さの中を歩き続け、さすがにメンバーの足が重くなったころ、神戸ハーバーランドについた。ここからが現在の神戸港一帯、あれなに?水陸両用車に遭遇した。しかし、この水陸両用バスさん、なんや、頼りなかったなあ・・・。



崩れた岸壁をモニュメントにしているメリケン波止場へ、ここに去年の1月17日、福島県から震災の日を訪ねてきた親子ウォーカーさん(親子)を案内したことを思い出した。そして、勝海舟と龍馬の神戸海軍操連所跡の碑前を通り最終目的地の東遊園地へ急いだ。



ゴールの神戸市役所南側、東遊園地は、明日「震災から16年 阪神淡路大震災1.17の集い」が開かれるメイン会場になる。地下室に亡くなった人の名前が刻まれている復興のモニュメントへ行ってみた、関係者なのだろう、刻まれた名前の前でじっと佇む人、名前にそっと手をやる人、そこは鎮魂の静けさが漂っていた。




●365日、消えることなく灯り続けている希望の灯かりへも行った。ここでもうれしい出会いがあった。17日のイベントを中心的にサポートしているNPOの初代理事長で、いまなお中心的な存在でいる友人のSさんに会った。あの震災で大学生だった息子さんを亡くしたSさんは、定年退職後、被災者の心の復活のためNPOを立ち上げ、神戸に限らず、国内外の震災にかけつけ心のケアに生涯を捧げている。

久しぶりの再会。




6年前のあの日、ウォーキング倶楽部で半年間折り続けた千羽鶴6433羽を希望の灯かり前でSさんに届けたことを懐かしく思い出した。はるかのひまわり活動もSさんのNPOが中心でやっている。

最後に震災記念日のメイン会場をのぞいてみたら、すでに多くのボランティアたちが明日のため竹筒で1.17の文字にして、水を入れる作業をしていた。多くの男子中、高校生が寒さの中を一生懸命に動いているのを見ながら手伝いもせず会場をあとにした。

公園北側、MARINA像の時計は、あの日から16年間も5時46分を指したまま。



公園を出るころ日も隠れ、寒風に冷えた体を温めたくてJR三ノ宮駅前のホテルでコーヒーを飲みながら楽しいひとときを過ごして解散した。ほんとうに寒い中をよく歩いた。

2002年に立ち上げたW倶楽部もついに10年目になり開催してきた例会は100回を越えた。みんなの手作りで例会を運営してきたからこそ、ここまで続けることができたので一人ではとてもできないこと、最近、とくに入会希望が多くなったので抑えてきた会員を増やすことにした。