昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

うれしいプレゼント!

2008-03-30 18:47:42 | 交流
本来なら今日は
東海道五十三次ウォークに出かける予定だったが
朝からの雨で中止

町内のマイコースをかささして軽いウォーキング
せっかく咲いた桜もこれじゃかわいそう。

(写真左側に有料の都市緑化植物園、オープンの時、当時の皇太子、美智子妃殿下が
来園されている)

昨日の土曜日と一昨日の金曜日の二日間
若い経営者の卵さんたちと朝から夜遅くまで
一緒に過ごす時間をもった。
・・・夜は二日とも課外活動?ナイトウォーッチング?

これまで定期的に会ってきて皆さんと今回が最後で
夕べ、お別れ食事会の一席がもうけられた。

そこで突然思わぬプレゼントをいただいてびっくり

フェールラーバンのキャップ
しかも首筋を夏の日差しから守るクールビットつきだ。


以前からほしかったキャップなのでほんとうに驚いた
まるで神様からのプレセントみたいだった。

キャップのひさしの裏側に
プレゼントしてくれたメンバーの名前と

 めざせ日本橋!

とマジックでかかれていた。

ここでも東海道五十三次の応援団が増えた!
こりゃ、ますます、力が入る。

その東海道五十三次ウォークも
このところ予定の日が雨雨で延期続き
足止めされたまま
四月も半ばまでは大事な仕事が続くので
日程どりがむずかしい。

うらめしい雨をながめながら
もし回復の兆しがあれば明日にでも・・・・
と思っているが・・・・。

サクラ開花、落語からウォーキングに!

2008-03-25 17:52:31 | ひとりごと
週末があわただしいので今日はゆっくりしたくて
久しぶりに大阪天満の落語寄席「天満天神繁昌亭」
へ行くことにして家を出た。

しかし9時45分に着いた時はすでに満席
あー、せっかく来たのに残念!

大勢の人たちが入場できないのに入口で
立ち去ろうとしない・・・・遠くから来た人かもしれない
いま、「天満天神繁昌亭」は大変な人気で
文字通りの繁昌ぶりだ。


気持ちを切り替えて
それなら天気もいいので落語に変えてウォーキングしょう!


隣の大阪天満宮を通りぬけて近くにある
作家川端康成の生誕地へ
料亭相生楼の玄関前に碑がたっている。


そこから生家前を通って大川へ

ここは桜の名所、開花を期待して行ったら
早い桜はもう咲き始めていた。




天神橋から天満橋まで大川に沿って歩いて
天満橋駅前のスタバでコーヒータイム
店外の椅子にかけて外の空気にあたりながらの
コーヒーもおいしい。

そこから谷町筋へ向かい
お気に入りのそば屋で昼食にした。

ここはすぐ隣の○務局へ仕事でくるたびによる
ごひいきの店だ。

はし入れに

うまかったら ほめてやって下さい
不出来でしたら 叱って下さい 店主苦労性のため

と印刷されている
これが気に入っている。

ここからしばらくあたりをウオーキングして
仕事場に戻ってきた。

こんなウォーキングもまた楽しい
この陽気で、大阪の桜は一気に開花するだろう。

京都、春のサークル・ウォーク。

2008-03-24 20:12:18 | ウォーキング
サークルの三月例会で京都を歩いてきた。

9時50分、京都駅に8名が集結。
スタートは地下鉄烏丸御池駅から。まず、スタート前のストレッチをしっかりと道の端で。表通りをまっすぐに行くより京都独特の小さな通りを味わっていこうと探検隊よろしくすすむ。
室町通、両替町通、新町通・・・タテとヨコの通りを組み合わせて地名の呼び方も変わるここは、京都のメンバーが詳しく説明してくれて納得なっとく!
実は、年賀状で京都の知人に宛名書きするのは大変なんだ・・・長いから。

最初の目的地は二条城。
すでに観光バスがたくさん到着し外人観光客も目立つ。
京都に多くある世界遺産は神社仏閣だが、唯一この二条城だけが違う。
用意した二条城に関する簡単な資料の読みあわせ事前学習をして入場する。

徳川家康が上洛のおり居城するためにつくった二条城だが、城内部の絢爛豪華な装飾はいつ見ても驚くばかり。ここは、唐門をはじめ多くの門があり、それぞれに建築の趣があり見ごたえがある。


天守閣跡から市内を遠望し本丸庭園を散策。個人的には、お濠から眺める東南隅櫓の眺めが好きだ。
1867年(慶応三年)ここで徳川慶喜が大政奉還を決めたことはあまりに有名なところ。


二条城を出て次の目的地、京都御所へ向かう。
ここのコースも表通りから少し中へ入った古いたたずまいのある通りをすすむ。
いかにも京都らしい間口のせまい、奥行きの長い、そして二階屋根の低い家々を観察?しながらすすむ。古いごく普通の民家らしい建物が、実は、料理屋であったり、ちょっとしたお食事処であったり京都はじっくり観察をすると発見がたくさんある。予定通り12時少し前に御所に到着。

ここにはこだわりがあって、あえて近い御門からは入らず烏丸通りにそって「蛤御門」までウォーク。冬の高校男女や新春の全国女子駅伝のコースになっているところだ。

「蛤御門」では、自分が知っている範囲のガイドをして当時の歴史の動きを全員で確認。


1864年、「蛤御門」で倒幕派の長州藩と御所の警護に当たっていた会津藩・薩摩藩・桑名藩との間で激戦が行われた。長州藩は、この蛤御門から侵攻しょうとしたが敗退、京都に火を放って市内の大半が焼失。
「禁門の変(蛤御門の変)」の舞台になった門として知られている。いまも鉄砲の跡が数多く残っている。

蛤御門を入るとすぐ右に桃林があり、どれだけの種類があるのか色とりどりの桃の花が満開。
ここも案内したくて桃の花の開花が心配だったが、ちょうど見ごろでほっとした。
その下で弁当にした。ここはおすすめスポットだ。



食事のあと、「京都御所」について資料をもとに学習。以前からのサークルの伝統、歩くだけではなく出会う場所を通して、学習をするようにしている。今回は、歴史ウォークだ。

京都御所は、1331年(元弘元年)、光厳天皇が北朝のの天皇に即位して以来皇居として明治に至るまでの500年にわたって天皇が住んでいたところだ。794年(延暦13年)平安遷都以来、京都には天皇が住む御所があったが、場所は現在地とは2キロ西にあったそうだ。(千本丸太町付近)


御所を西から建礼門前を通り東へ横切って次のコースへスタート。
写真左の建礼門は、天皇と外国の元首だけが通れるそうな。
ここから大文字山が見える風景が好きで無理やりにみんなにポーズをとらせてひとり楽しんだ。
(写真 建礼門前 右後方が大文字山)手前がランドセル、おいおい、手が違うぞ、間違っているのはだれ?

メンバーの一人が御所に隣接する小学校の卒業生ということでその母校や遊んでいた町内を案内してもらう。その小学校は湯川秀樹博士の出身校でもあるそうだ!

比叡山や大文字山がよく見える加茂川にかかる加茂大橋へ。
加茂川は、ここから左右二つの川にわかれる。上流へ向かって左が「加茂川」、右が「高野川」だ。
ちなみに、加茂大橋から市内方面の川、三条大橋や五条大橋のかかるのは「鴨川」と書く。

加茂川にかかる最初の出町橋の西詰めに「鯖街道口」の道標が立っているので案内。
京都のメンバーも知らない!
二つの川にはさまれた下の地域を下鴨、上を上加茂といい、これから世界遺産の下鴨神社、上加茂神社へ向かう。
ここでは「鴨」と「加茂」と書く、なんでや? あー、こんがらがる!

下鴨神社、ここは京都三大祭りの「葵祭り」でおなじみの神社だ。神社の入り口から本殿までの参道が糺の森、うっそうとした古い樹木にかこまれた長い道が大好きでここも案内したかったところ。


結婚式を挙げたばかりの二組のカップルに遭遇、写真撮影に、しばし、いいなあ・・・とみとれていた。
このあと訪ねた上賀茂神社でも一組に出会った。今日はいい日?

ふたたび西へ、出雲路橋をわたって加茂川の西沿いを上がっていく。
川原では大勢の人が散歩したりスポーツをしたり・・・・子どもたちは加茂川に入ってる!

北大路橋を渡ってふたたび加茂川の東側の道を行くと、すぐ左に京都府立植物園へ
加茂川と植物園の間の土手の道は「半木道」ここは、紅枝垂れ桜並木で有名な道だが、残念ながら赤いつぼみが見える段階。

やがて上賀茂神社へ。
京都で有数の古い神社で国宝と重要文化財だらけの大きな神社だ。平安京より古く天武天皇の時代に基が築かれたらしい。都の守護神として伊勢神宮に準ずる格式を与えられていたそうな。


ここで15時を少し過ぎた。初心者の歩きを見て、疲れもあるとみたので、大丈夫という声は聞かないことにして最終目的地の京都国際会館行きはカット、修学院に通ずる北山通りに戻ってしゃれたコーヒーショップでしばし休憩。16時過ぎ、地下鉄で京都駅へ。ここで解散。

なんとか雨にも遭わずに、一日を楽しく歩くことができてほっとした。

今回から初参加が一人増え、来月には内科医の初参加者が待っている。
わずか三か月で11名になった。うれしい。次回は、ミナト神戸だ!

歳はとったが足は若くなった!

2008-03-20 21:32:40 | ウォーキング
2月に逆戻りしたような曇天の寒い春分の日

自宅から仕事場へ久しぶりの三駅ウォーキング
以前はよく歩いていたが今年になって初めてだ

途中の公園で朝食兼昼食に食べようと
おにぎりを用意したが雨空の下ではつまらない。

道端のサクラの木になにげなく目をやると
目線の幹にしっかりとピンクのちいさなつぼみが
膨らんでいる・・・



大阪気象台の今日の開花予報は26日
早くなった、あと一週間だ。

一時間足らずで仕事場についた
ほんのちよっとした足ならし。

阪神淡路大震災の時、通勤経路の電車が止まった
仕事場がどうなっているのか心配で
次の日、自宅から歩いたのだが
とても疲れてたことを思い出す
何日か辛い往復をしたものだ。

50代半ばだったあれから13年
いまは、ほんのお散歩だ!

13歳も歳を重ねているのに
足はうんと若返っている

どうだ!

もし
ウォーキングを始めていなかったら
いま頃は
足もきちんと歳をとり衰えていたに違いない。

顔よりも

頭よりも

一番若くありたい足。

仕事場にきて
友人にお願いして今日は「撮影会」

毎年行っている「さよなら○○歳」の
記念写真撮りだ

自分の少しでも若かりし頃を振り返るときのためにも
いつなんどき、なにがあっても
子供に親父の元気な時の写真を残しておいてやるためにも

それぞれの年齢で
一番若い姿を残しておきたい

自分の元気な姿を思い出して
頑張れることもあるだろう

ということで、いま、自分の最も若い写真
残しておくことにしている

日曜日は
サークルの京都鴨川ウォークだ
待ち遠しい。

おじいちゃんと歳が同じ!

2008-03-18 22:00:52 | 仕事
あー、春がきた!
と仕事で感ずること

新人研修だ!

今年、最初の新人さんと
一日、みっちりと楽しんできた!

最近では珍しい高校からのメンバー
先代の社長から30年以上も付き合いが
続いている某社では
販売職や現場の技術職の多くは高校組だ。

自分の自己紹介で歳を言ったら
”うちのおじいちゃんと同じ”と言われた

ギクッ!

ということは、こっちもおじいちゃんということ。

別に否定はしないが
なにしろ”おじいちゃん”と言われたことがないから
面食らう。

そんなおじいちゃんに一日も
付き合ってもらって
ありがとう!

と言ってきた。

元気に育っておくれ!

ご褒美は551。

2008-03-17 18:59:37 | ひとりごと
さあ、月曜日、また、一週間のはじまりだ

朝のうちは、自宅で用事をすませて
おきまりの月曜日「一駅ウォーク」

快晴の空の下をしっかり歩きの22分

背筋を伸ばして!

ひざも伸ばして!

しっかり前をみて!

かっこよく!

コーチがささやいてくれる

目的の駅前のコーヒーショップに立ち寄って

電車で新大阪駅へ。

今度は300メートルのコンコース歩き

そうだ!

昨日は予定していた熊野古道行きを
仕事に振り替えて頑張ったのでご褒美だ!

「551」

大好きな蓬莱の豚饅

二個入り280円

右にカバン
左に551

ビルの七階まで一気に階段上り

さっそくご褒美の551で昼食がわりに

おっと、その前に写真をとって・・・・と、しばしおあずけ!

写真の背景に東京から新幹線300系が入ってきた。

551

おいしいなあ・・・

これ新大阪駅のお土産NO・1

私のおやつのNO・1

実は、昨日は熊野古道に行くつもりで
一昨夜、リュックにすべてを用意して
青春18キップで紀州熊野古道に行く予定にしていたが
昨日、6時に起きて家を出る寸前に

今週のもろもろの打ち合わせ資料のことが気になって
万全を期すために緊急に中止・・・延期。

一日、快晴の空を恨めしく眺めながら資料の整理をした
その辛抱へのご褒美に551で慰めてやりたかった。

歳をとれば、子供と一緒
ご褒美がなによりもうれしい。

あー、今日もいいてんき!

さようなら、ブルートレイン「銀河」

2008-03-15 20:37:51 | 電車・鉄道
今朝の日経新聞には

「銀河」の夜 最終列車
東京-大阪 59年の歴史に幕
ホーム 惜別2000人

読売新聞には

さらば「銀河」涙の汽笛


ブルートレイン「銀河」のラストランは
大阪駅フォームに2000人のファンが殺到し
危険になっために発車時間が3分遅れの
22時25分発


待っていた新大阪駅には22時30分に
姿を現した



「乗客専務」?こんな乗客もいた
このときばかりはホームも車内も一体の盛り上げ
そして惜別




わずか一分の停車時間


テールランプもさびしそう・・・


あざやかなブルーに包まれた銀河は去っていった


お疲れ様、無事に東京まで最後の銀河鉄道を!

ありがとう!


さようなら寝台特急「あかつき・なは」!

2008-03-15 20:31:21 | 電車・鉄道
京都発鳥栖行き「あかつき」と
熊本行き「なは」号のさよなら列車を
懲りもせず新大阪駅に見送りに行ってきた。

まあ、長いホームの端から端まで、近くの高架橋までカメラマンで
いっぱい。
親子ずれもあり、どこかのチームの凱旋列車みたい。


なはの車両をみて驚いた!
ぼろぼろ、まあ、普段、大阪にいてあんなおんぼろ列車をみることはない。
よう働いたんやろな!ほんまにご苦労さん!




あかつきの車内から夫婦らしい二人ずれがこちらを見ていたので
カメラを構えるとにっこりとこたえてくれた。ええなあ・・・・。
「あかつき」の終着駅は「長崎」だが、明日はJR西日本のダイヤ
快晴日で最終便は「鳥栖」駅になったらしい。



幸せ父さん、母さん、こんやは夢列車ですネ!

さようなら、「あかつき・なは」号!


ブルートレイン銀河号!

2008-03-13 21:52:31 | 電車・鉄道
17日が確定申告の提出締切日
やっとその気になって作成にとりかかったら
わからないところがあったので

天気はいいし、暖かいし
思い切って税務署まで歩くことにしてさっそうと
税務署ウォーキングをしてきた。

時間にすれば1時間
たいした距離でもないが
しっかり歩きで汗をかいた。

途中
東海道線新大阪駅手前にかかる歩道橋を通ると
カメラを用意した人がすでに数人
駅のホームをみるとかなりの数のカメラマンが
場所取りをしているのがみえた。

東京-大阪間を走っている最後のブルートレイン「銀河」号が
15日で廃止になる
その列車を撮ろうと待ち構えている鉄道写真ファンだ。

実は、夕べ、自分もデジカメもって行ったが
なにしろ先頭車停車位置はすごい人でとてもカメラを
持つ人の前に行けなかったのが今夜はどうだろう・・・

あっ、入ってきた!



止まった!




先頭車へ行こう!と小走りしていると発車
おいおい、なんやねん、これ!
ちょっと待ってーな!


あー、行った・・・・・・・・

今夜はしょんぼり引きあげだ。

でも

このままでは終わらんぞ!

新大阪駅上りは22時28分

最終日の夜は大混雑に違いない。

きっと東京駅もそうだろう。

以上 ランドセルのぶつぶつ日記でした。

新幹線が春を運んできた!

2008-03-11 20:26:41 | 電車・鉄道
東大寺二月堂のお水とりが終わると
関西には春が来ると言われているが
ほんとうに春が来た!

今日の大阪はぽかぽか陽気。

それにつられて昼過ぎ
部屋にいるのはもったいないので
仕事場の周辺をぐるり歩いてみた。

昼間はコートも不用
とても気持ちがよくて
ついついアイスクリームまで買って
ベンチで食べてしまった!


仕事場から眺める見慣れた六甲の山並みの
たたずまいもなんだか春模様だ。


ここはビルの七階
昭和51年4月1日にここを仕事場にして
もう32年目がくる。

自分にとっては男の隠れ家
ここを選び、動かないのは
「新幹線」がいつも見えるから
たったそれだけのこだわりだ。

その新幹線がいつも季節を運んでくれる
今年も東から、西から

(仕事場の廊下から見る新幹線N700系)


(新大阪-博多間を走る山陽新幹線のレールスター)

ひっきりなしに往来する新幹線を
32年も見続けてあきないのは
なんでかな・・・

子供みたいなことを言うけれど
・・ランドセルは子供の象徴、部屋には
  ちゃんとランドセルが置いてあるぞ!
きっと夢を乗せてくれているからだろう。


あの新幹線に乗って全国を西に東に
仕事で飛び回りたいというのが夢だった
いまもそのつもり。

きっと新幹線を眺めながら
気持はいつも西に東に
新幹線ウォークをしているのかもしれない。

いつも勇気と元気を運んでくれる新幹線
いま極めて体調が悪くて気分が滅入る日々だが
新幹線を見ていると心が休まるから不思議。

ありがとうといいたい。


(仕事場の西の窓からみる新大阪駅に入る500系東京発博多行き)

万博公園梅まつりに行ってきた。

2008-03-08 22:24:57 | ウォーキング
朝からの上天気につられて
千里万博公園で開かれている万博梅まつりに
行ってきた。

12時に千里中央駅をスタート。

モノレールを利用すれば簡単に行けるが
かって千里ニュータウンに住んでいたので
久しぶりに歩いてみることにした。

自分が住んでいたころの千里と違って
いまはニュータウンからロータウン
それでも落ち着いて清潔なたたずまいは
昔と一緒でうれしくなる。

豊中市側から吹田市側へ
最寄駅だった阪急北千里駅を経由して
しばらくすすむと住んでいた団地の前を通る

4階のあの部屋にはどんな人が住んでいるのやら
ベランダに洗濯物が干してある
なつかしい。

万博当時、会場西口まで500メートルの距離
あの大騒動を半年間もそばで過ごした
子どもと遊んだ公園を通って
しばらくすすむと大阪万博のシンボル
「太陽の塔」が見えてくる。



モノレール万博中央口駅から


万博跡地は広大な公園は生まれ変わり
四季折々の花でいつ訪ねても飽きないところだが
いまは梅が主役で明日まで梅まつりが開かれている。


公園の入り口を入ると大きなあの太陽の塔が
正面から出迎えてくれる。


昭和45年、万博開催中に訪れた6800万人の誰もが見た
岡本太郎画伯の傑作だ。
大きな塔も春のやわらかな日差しを受けてとても穏やかに見えた。


まわりは写真撮影で大勢の人がいるが
芝生には入れないのでこのようなきれいに写真が撮れる。


梅まつりの会場の梅林は大変な人、人、人!
どれだけの種類があるのかわからないくらい
さまざまな種類の梅が咲き乱れていた。



一人ではつまらないが
梅の木の下で弁当を食べて
昔連れてきたことのあるいま東京にいる息子に
携帯で写真を送ってやった。



公園内を歩くのは今度にして梅林だけを散策したあと
モノレールで千里中央駅へ
ウォーキングにしては物足らなかったが
思い出がいっぱいつまったコースを歩いて
とてもさわやかな気分だった。

男のおしゃれ館。

2008-03-07 20:21:07 | 輝いて生きる
2月1日に梅田の阪急が
日本最大級というメンズファッション館を
オープンして1ヶ月あまりになるが

その間に来館客が102万人で
売上高は前年比120%増の
約24億円にもなったという。

最近のデパートは
女性のためのもので男が買い物に行く
場所ではないと思っていたので
男だけを対象にしたメンズ館には
関心を持っていたが
阪急の英断が成功したようで大拍手だ。
もちろん今後はわからないが。

まったくの私見だが
女性はおしゃれでいくらでもごまかせるが
男はなかなかそうはいかない。

しかし年輪が出る年齢になると
女のごてごてしたおしゃれは
なんだか気の毒な気がするが
おじさん達のおしゃれは
歩いてきた人生の重みが加わって
とても魅力的なものを感じさせてくれる。

幾多のことを乗り越えて磨かれた
人間としての魅力が
自然と外に出てきているのだろうか。

それなりの立場にある人たちに会って
いつも感ずるのはその「存在感」だ

その場にしっくりとおさまっている姿に
大抵の場合は、こちらの方が年上なのに
圧倒されることがしばしばある。

いいなあ・・・という思いと
反面、自分のあまりの軽さに
悔しさみたいなものを感じてしまう
今更どうしょうもないこと。

一度、阪急をのぞいてみようか・・・
まあ、手遅れかなあ
でも、かっこよくいたいというのは
こんなじじいでも持っている!

ある会社の常務が言っていた
表は金をかけているが
見えないところはユニクロだって

もちろん冗談だが
身だしなみにはお金がかると言っていた。


ウォーキングシューズで仕事してたら
そらアカンわ! ランドセルクン!

うーん・・・・。
こっそり阪急へ行ってみよ!
これ、ここだけの話や!


春がきた、模様替え!

2008-03-06 22:59:23 | ひとりごと
すっかり陽気めいてきた

朝の一駅ウォーキング
緑地から江坂までの
新御堂沿いを
北大阪急行の電車をみながら


しっかり歩きの20分に
汗をかいた。

部屋から外を覗いていて
びっくりした!


向かいの黄桜酒造の看板が変わっている

あの江川卓&小林繁の看板から
美しい女性に代わっているではないか


いつからやろ?
きっとこの数日に違いないが

それにしてもあの和解25年のツーショットさん達
たった半年の運命だったのか


であれば、前任の?高島礼子が10年だったので
あまりに短命
あー気の毒。

さて、新しい看板さん
あんた、だれ?


春の訪れとともに
社会のさまざまなところで
模様替えだ

自分も春模様にしないと
春眠暁を覚えず
脱皮を間違えると
とって代わられてしまう。


ここだけは交代もなく
せっせ、せっせと働いている


でも
まもなくNEW700型が主力になるそうな
新幹線。


ご苦労さま。

うれしいひとこと。

2008-03-03 22:11:47 | 輝いて生きる
先週、某省のお国から任命された
ある委員さん達の勉強会へ
行ってきたことを書いた。

翌々日に参加者のお一人から
お褒めのメールをいただいて
宙に舞い上がる思いがしたが

今日、また、他の人から
毛筆による丁重なハガキをいただいた。

自分よりも年上で
社会的にも認められた人生の大先輩から
直々のはがきはうれしいが

ハガキの冒頭に
・・大きな声でわかりやすく・・
と書かれていることが
なによりもうれしかった。

いつも声が小さくなってきたことを
気にしていたので勇気がわいた。

声は自分にとって元気のバロメーター
もちろん足も表情もそうだが
やっぱり声が現役の証明だ。

とてもうれしくて
やる気になったぞ!


三月最初の日曜日。

2008-03-02 18:55:57 | ひとりごと
3月最初の日曜日
先週の雪の日曜日が考えられないほどの
暖かくて上天気


楽しみにしていた
医師と歩くウオーキング参加を
取りやめて

朝10時から
住んでいるマンション管理組合の
定時総会へ出席した。

顔を利かせているらしい理事長が
情報を十分に開示しないで
金額のかさむ工事を推し進めているので
どっこいそうはいかんぞ!と
ここは釘をさしておかないと・・・

家内では相手にされないだろうからと
ピンチヒッター?だ。

マンションの組合は
ひとつ物事をすすめるにしろ
共有の財産である管理費を使い
多くを占める共有部分の管理を
理解と納得を得ながら
すすめていかなければならない。

そのためには「情報の公開と共有」が
一番の決め手になる。

それらが欠落しているので
そのまま押し切られないように
出席して強めに発言してきた。

かって自分が理事長をしていたとき
そのことを、実現していくために
なにごとも、ありのままを知らせようと
理事会ニュースと新聞の二種類を
苦心して年間発行し続けたが
それも自分たちのときだけで終わってしまった。


老朽化しているマンションは
年々、建物や設備の補修が必要となり
いずれ建て替えの問題もさけて通ることは
できない。

そういう意味では
一つの建物が一戸の家と考えて
つねに方向性を統一しておくような
人間関係をしっかりと築いておかないと
いざというとき一つになれない。

現理事長にはご苦労を謝し
言葉の過ぎたことはわびておいたが
気にしているかなあ・・・

理事長なんて苦労ばかり多くて
引き受ける人などいない

頼まれ、推されて仕方なしに
やっているのだから
ほんまにご苦労なことだ。