昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

別れの日が近づいているのだろうか(2)

2007-06-30 22:34:15 | 家族
なんのために生きているのか、もう、苦しむだけなのか・・・
そんなことを、思っているのだろうか・・・

母の容体が悪化、痛みをさかんに訴えていると、兄から電話があった。

気丈で、ここまで辛いことも何一つ訴えてこなかったのに
可哀そうでならないと兄の声が沈んでいた。

十分に生きてきて、十分に苦労してきたのだから

もう、長くなくていい

静かに父のもとに送ってやりたい

それが、いつわざる気持ちだ。

ウォーキングのある生活は楽しい!

2007-06-29 19:32:14 | ウォーキング
梅雨と夏場の寝苦しい夜の対策に、ここ数年は「ナイトウォーキング」で
乗り切ってきた。今年もいよいよ時期がきた。

歩いて思い切り汗を出し、風呂で流して、そのまま床につけば
軽い疲れが、すぐ、眠りに誘ってくれ、朝まで熟睡ができる。
睡眠中にクーラーなど、一切使わない。
もう、何年もこのパターンで、寝苦しさ対策としている。

ウォーキングは、還暦の年に始めて七年になるが
普段はもっぱら深夜11時半から0時頃にスタートする。

2.5キロの距離を往復する5キロが定番コース。
ウォーキングは、このナイトウォークから始めた。

コースの6割が公園、 危険だからとよく言われるが
人のいない時間、場所が集中できて歩きやすいので好きだ。

中間地点では、血圧を下げるというサントリーの胡麻麦茶と
井村屋の練り羊羹でおやつ休憩をするのも楽しみの一つ。

公園のベンチに寝そべって星空を眺めるのも楽しい。
一日の反省の時間にも、明日の予定を立てるにも貴重な時間だ。

時には、ウォーキング仲間に携帯メールをして叱られたり
巡回中のおまわりさんに声をかけられたことも何回かある。

ウォーキングは楽しい。面白い。

もし、この楽しみを見つけなかったら、きっと、足腰の老化は
進んでいたに違いないと思う。

おかげで、3年後、お江戸日本橋まで歩くという夢までつくれた。

日本ウォーキング協会の「ウォーキング指導者」の認定までも受けた。

なにごとも、一歩踏み出さない限り成就しない。
たった一歩、それを積み重ねることで、目標に近づくことができる。

・・・したい!・・・なりたい!  といくら思っても
いい目標をつくってみても、一歩を踏み出さない限り
空念仏に終わってしまう。

小さなことも繰り返し「継続」することで「自分の生活スタイル」になり
まさに「継続は力なり」とは、このことだ。

ウォーキングは、多くのことを教えてくれた。


たった一人で完歩したウォーキングを記録したHPにリンクしてみた。

①琵琶湖一周完歩記録(瀬田唐橋→瀬田唐橋 64歳)
②しまなみ海道完歩記録(尾道→今治 65歳)
③熊野古道完歩記録(大阪天満橋→熊野本宮大社 66歳)

★フォント(文字サイズ)を「小」にしてご覧いただきたい。
  左サイドの下のほうにリンクしてあります。

生涯現役、厳しい闘い!

2007-06-28 21:45:37 | 輝いて生きる
清原選手が膝の検査で渡米、そのアメリカでKKコンビの桑田選手が
はつらつとしたプレーで感動を与えている。

高校時代から多くのファンをとりこにした二人も、時代が過ぎ「現役」生活の
瀬戸際にたたされながら、その寿命を延ばす闘いをしていることに感動を覚える。

二人が、どこでプレーしょうと、成績がどうであろうと
もう、ファンには関係ない。二人もきっとそうだろう。

常にファンの期待に応えることを宿命づけられ、また、それに応えて
築いてきたKKというブランド、本人たちも、ファンも、双方が
納得する形で終えていくことが、使命だろうと思う。


勝負の世界に生きる者の宿命、結果が数字で明確にされるから寿命が短い。
どれだけ厳しいトレーニングをしょうと、どれだけ貢献してこようとも
現役として寿命がきたと判断をされたら、人生の半ば前に放りだされる。

その点、会社組織にいる者は、恵まれている。
日々、自分の寿命を延ばすために訓練をしている者がどれだけいるだろうか。

私が「生涯現役」にこだわるのは、自分の賞味期限をいかにクリアし
商品としての価値寿命を延ばすことができるかどうか、それに挑戦し
解決しなければ明日がないからだ。

ほんとうのプロとは、組織のブランドや名前で仕事をするのではなく
自分の名前で仕事ができる人間のことを言う。
自分の顔と名前を堂々と名乗れる人のことを言う。

自分なりに、その思いで、道一筋に生きてきたが
65歳で、さすがに、ここまでかと観念しかかったり
まだまだ、できる、ここであきらめては悔いが残る
そんな揺れる気持ちをかかえ、求めて飛び込んだ木村政雄さんに
多くのヒントをいただき、野村監督ではないが、「生涯一講師」に
賭けてやろう思い直した。

そして今年、70歳まで賞味期限を延ばしてやろうと、3ケ年計画も作った。
このブログは、その挑戦ぶりを記録していくために開設してみた。

生半可なつもりで、お呼びがかかってくる年齢ではないが
清原選手に比べたら、自分なんか、春のキャンプもしていないし
まだまだ、甘えた、生ぬるい生き方しかしていない。

「生涯現役」格好いい言葉だか、現実は厳しい。

一日一日が勝負だ! 

育ててくれた思い出の場所とお別れ!

2007-06-26 19:50:33 | 輝いて生きる
(毎日、顔写真ばかりで興ざめかもしれませんが、私を知っている方への約束、自分への約束を公言して、なまけ心が出ないように、そんな意図で書きこんでおります)

長年お付き合いのある某社の研修所へ行ってきた。

仕事の打ち合わせもあったが、実はその施設がまもなく移転することになったので、
お別れも兼ねて・・・どちらかというと気持はそちらにあった。

企業マンから独立をして間もない駆け出しのころ
実績も、信用もなく、仕事がなくて路頭に迷っていた若造に
誘いの声をかけ、多くの経験を積ませてくれたのがあの場所だった。

まぎれもなく自分が育ててもらったところ
プロとしての礎を築いた思い出の場所。

曲がりなりにも、この歳まで現役を続けられているのも
あの場所に原点があると思っている。

玄関を入り、ロビーから所内を一回り、よく使った研修室、ホワイトボード
休憩時間に好きなコーヒーをよくいただいたティールーム・・・なつかしい。
みんな自分の命がかかわったところだけに名残り惜しい。

何枚も写真を撮らせてもらい、入口のところで記念写真を撮ってもらった。


「生涯現役・3カ年実践計画」の中の一つに

 ”3年後の70歳の時、新人研修の講師をする”

 という目標がある。

 そのためにも

  おじいさん臭くないように

  みすぼらしく見えないように

  弱弱しく見えないように
  
  
  歳はとっていても

  あかるくて

  さわやかで

  かっこいい(歳相応に)

  人間でいること


  顔も現役

  声も現役

  足腰も現役

  気持も現役


  心身ともに現役として

  通用するように

  日々、鍛練だ。

 あと3年、まだ3年・・・ 必ず実現!
 その姿を思い浮かべると楽しくなってくる。
 この緊張感を持ち続ける限り大丈夫だと信じている。

男の花束!

2007-06-25 19:00:04 | 輝いて生きる
きのう、雨の中、ランドセルで通った塾の同期生宅へ呼ばれて行った。

会の幹事を一年間、務めたことに対する同期が計画してくれた慰労会だった。
(5月26日の自分にご苦労さんと言ってやりたい!に関連)
女性メンバーの手作りのご馳走に、大好きなお酒がズラリ、日本酒に焼酎
ワインにウイスキーにブランデー・・・テーブルにいっぱいのメニューにびっくり!!


午後の一時から延々、七時過ぎまで・・・食べたり飲んだり・・

幸いにも、メンバーに現役バリバリの医者がいるので、そこは安心。

一年間、組織の幹事に期を代表して送り出されたが、任期期間中は何かと
バックアップをしてくれ、終われば、慰労してくれるところがうれしい。

遠く埼玉県の女性同期生からは、血圧によいお茶とメッセージが届けられていた。
うれしい、携帯でお礼を。

二十代から六十代まで、様々な世界で生きている人が
「人間力」を磨くという目的で集まり、楽しいトレーニングを
思う存分に共有した仲間たちだけに、それは賑やかなこと。

同期の新年発表会で宣言した年間目標の推進状況を報告したり
個々が学んでいる勉強の資料の公開やら・・・時間はあっという間に過ぎた。

花束を貰って記念撮影、そこまではよかったが
さて、この花束を持って、地下鉄に乗り込むには
・・・いささか恥ずかしい!

時々みかけるおじさんの花束姿・・・

ああ、定年退職か?

栄転か・・・

もらって喜ぶのは、奥さんかなあ・・・

いずれにしても、おじさんの花束は、絵にならないが
恥ずかしそうな姿が、妙にかわゆいのである。

しかし、自分のこととなると、さて、困った!
大きな紙袋に入れてもらって、何食わぬ顔で地下鉄38分の旅。
無事通過して家内の手へ。

今朝は、食卓でいっぱいに香りをごちそうしてくれていた。

それにしても花束を貰ったのは、いつのことやら・・・
記憶も定かではないほど昔のこと。


僕の宝物・ランドセルと3カ年計画書

2007-06-23 21:49:25 | 輝いて生きる
きのう、私の宝物のことを書いた。

その宝物のことについて、少しずつ、紹介をしてみたい。

写真の宝物のランドセルは、知り合いの、また、知り合いの
小学四年生の使い古したものを譲ってもらった。

「ハイ!よろこんで」と書いた赤いシールを貼っている。

これは、昭和の時代から、常に大事にしてきた言葉で
目に見えるところに、貼り出している。

ことばの宝物だ。

この言葉に、どれだれ救われてきたことか・・・。

ランドセルの左にあるのが「3年日記」、正月から書き始めた。
春先に田舎へ帰ったとき、置き忘れたままになっていたものを
先日、送りかえしてもらった。
ちょっとブランクがあるが、3年間の推移を記録するものだ。

肝心の「生涯現役・私の3カ年実践計画書」は、写真右側のA4サイズの用紙に
パソコンで清書してあり、人目にふれる仕事場にも貼りだしてある。
もちろん、常に携帯もしている。


なぜ、このようなことを考え付いたのか、そしてやっているのか?
よく聞かれるのでそのわけを・・・。


それは

残された限りある日々を、前向きに、明るく楽しく元気よく生きたい!

まだまだ、自分にも”可能性”が、残されているに違いない!

やりたくて、やってこなかったことに、少しでも挑戦してみよう!

夢や希望がある限り、それに近づく努力をすること・・・

どこまでやれるか、やってみようじゃないか!


その姿こそ、求めている"輝いて生きる"生き方なんだろうと思う。

また

離れて住む息子に、親父も頑張っている・・と励みになれる親でいたい。


計画書の内容については、あちこちの仕事の場で、よく話しているので
やらないわけには、いかないし、逃げることもできない。

いくら学んでも、いくら考えても、一歩踏み出さなければ
夢に近づくことはできないし、実現もしない。

答えは、本や人の話にあるのではなく、自分の思いを、具体的に
どう行動に結び付けるか、そこから得られることを長い経験で知っている。

弱い、なまけ心の多い自分には、この方法が一番いいと思っている。


ブログを始めて50日目のきのう、これまで最高のアクセスをいただいた。

堅い、面白くない話題かと思ったが、読んでくださる方がいたことが
うれしくて、ブログを続けていく力をいただいた。

お越しくださった方には、お礼を申し上げます。



ぼくのランドセルの中に入っているものは?

2007-06-22 15:17:57 | 夢・三カ年計画
前日の続き。

そのランドセルは、私の宝物。
いつも、仕事場の目につくところに置かれている。

先日も訪ねてきた人から聞かれた。

”そのランドセル、なんですか?”

”はい、私の宝物で!”

”宝物?、失礼ですが、そのぼろぼろのランドセルが、なんで宝物なんですか?”

”実は、ランドセルも宝物ですが、その中に入っているものが、宝物なんです!”

”へえ? 金塊でも入っているんですか?”

”いえいえ、中に入っているのは、「生涯現役 私の3カ年実践計画書」です。”

”今年の67歳の誕生日に、3年後の70歳の自分がなっていたい姿を描いた計画書と
日々の記録を書き込む「3年日記帳」が入っているんです!”

つまり、67歳の旅立ち宣言書ですわ。

”へえ??・・・・・”


なにもしないで日々を過ごすより
せっかく、いただいている命、まだ、生かしてもらえるのなら
いきいきと輝いて生きたい

なにかで、どこかでお役に立てるように、活かして生きたい

そして、明るく、楽しく、元気よく、さわやかに生きたい

そのためにも、バカと言われようと、アホといわれようと
子供の心に戻って、大きな夢を背負って生きたい!

そう思うと、楽しくなる、明るくなる、元気になる・・・

”それで、その計画の中身はなんですか?”と聞かれる。


”はい、ランドセルの中にある「生涯現役・私の3ヵ年実践計画」について
続きは、また、こ・ん・ど! ということで、今日はここまでに。

写真は、67歳の誕生日の2日後、自分の事務所で撮ったもの。
坊主頭に息子の高校時代の学生服を着て・・・。


ランドセル少年になったわけ。

2007-06-21 18:34:50 | 輝いて生きる
5月3日にブログデビューをして、明日で50日目になります。
少しずつ、アクセスをしていただけるようになり、大変励みにしております。

「ランドセル少年」という名称について、不思議に思われる方がいらっしゃるかもしれませんので、デビュー2日目の書き込みをこちらにコピーして、改めて自己紹介に代えさせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。


私がランドセル少年になったわけ!  2007-05-04 19:53:20 | チャレンジ

私が「ランドセル少年」になった日

それは2005年10月14日のことです。

名付け親は、元吉本興業常務で現在フリープロデューサーとして広く活躍をされている木村政雄さん。

同氏が主宰をされている「大人の小学校・有名塾」にランドセル姿で通ったのがきっかけで
「ランドセル少年」と呼んでいただくようになりました。

なぜ、ランドセルを背負って大人の小学校へ?

ちょうど、その年の春に65歳になりました。

役所から介護保険証が届けられ(正式には介護保険被保険者証)
介護保険料を納めることになりました。

ショックでした。
・・・するほうから、されるほうの組に入れられたからです。

おいおい、ちょっと待て! 
というても、きちんと介護保険料は徴収されるのです。

このまま、老いの道をまっしぐらなんて、とんでもない!

オレは、まだまだ、ゲンエキで行くんだ!

それを証明するためにも、もっと自分の存在価値を高めるんだ!
自分自身を再構築しないとダメだと決意したのです。

肉体的に衰えていくのは致し方ないとしても
自分の存在が、棚上げされたり、賞味期限切れで終わってはたまらん!

まだまだ、社会から必要な存在して
第一線で
現役として
生きてきた値打ちが発揮できるように
年齢にふさわしい魅力のある人間力づくりにチャレンジしたい!

そのヒントやキッカケを求めて
珍しい名前の「大人の小学校」へ入りました。

これまでの延長戦上の考え方や、評論家や専門家と称する人たちの
セカンドライフだの
第二の人生だの・・
定年退職後の年金生活者を想定した発想は
自分には意味がない。

自分のような年金生活の望めない自営の、人生ワンステージ人間には
そんなものは役にはたたない!

ということで、もう一度、小学生に視点を戻して
その体験があるという「大人の小学校」へ飛び込んで行きました。

小学校というのなら、まず、形から小学生になって
小学生のような柔らかい心で
なにごとにもチャレンジをしていこうと
使い古した小さなランドセルを現役の小学生から借りました。
(気に入ったので小四の子供が譲ってくれました)

それからは、すっかり「ランドセル少年」というニックネームが気に入り
いまでは、若い人から「ランドセル父さん」と呼ばれたりしています。

まあ、その大人の小学校も卒業生が、約560名もおりますが
ランドセルで通ったのは、たった一人です。

おかげで?いま、卒業生で構成するOB会の幹事長(会長)を仰せつかっています。

まさにランドセルパワーです。

以上が、5月3日のコピーです。

明るく、楽しく、元気よく、さわやかに!をあいことばにして、生きてきました。
まだまだ、やりたいことがあります。その気持ちを忘れずに、これからも生きていきます。
こんな人間にでも興味を持っていただけたら、声をかけてください。


”みすぼらしい話” の続編。

2007-06-20 19:39:36 | ひとりごと
昨日の「みすぼらしい」話の続編。


いろいろな反応があった。

「みすぼらしい」というきつい必殺パンチを喰らってダウン寸前のランドセルが、
その話をあちこちで、おしゃべりしたところ援軍が現れた。

その①

「み素晴らしい」と言ったのを聞き違えたのではあるまいか・・というコメント。

その②

「御身、すばらしい」ではなかったのか、寄る年波、お耳は大丈夫かと心配までしてくれたマイミクさん。

うーん、なるほど、もしかしたら、聞き間違いしたのかもしれない!
ほんとうは、ほめてくれていたのだ!

と思うと、受け取り方で気持も違ってくる。

なるほど、なるほど! と考えることにしょう。

その③

こちらは、女性。・・・それは愛情の裏返しではないか・・・
なんだ、そうか!

確かに、お耳は一方が、少し、遠いのは事実。

でも、心のお耳で、ちゃんと聴かないと・・・
心の耳まで老化していたら、こりゃ、引退じゃ!

必殺パンチも、助っ人パンチで逆転KO!

ということで、ほめていただいたととることにした。

これを言うと、その人は ”長生きするわ”と間違いなく返してくる。

だから、言うの、やめておこう!


みすぼらしい!と言われたら?

2007-06-19 20:57:46 | ひとりごと

父の日のことに戻って・・・

ウォーキング仲間と、父の日、大阪駅に集合した。
集合時間ぎりぎりにかけつけた自分に、仲良しの女性が、開口一番

”あれ、やせたの・・・みすぼらしい”と言った。

この日、買ったばかりのお気に入りの長そでシャツを着て
自分がずっと大事にしてきた「さわやかおじさん」を
運んだつもりだったが、まったく、意に反する言葉をもらい
返す言葉がなかった。

春以来の雑務続きの疲れか、顔が少し、ほっそりしてきたとは、感じていたが
それでも、 ”みすぼらしい”とは、思いもよらない先制パンチだった。

三月例会以来、久しぶりに会ったその人には、何かを感じたんだろう。

”みすぼらしい” (辞書を引くと・外観が貧弱で貧しそうとあった)

この年齢になると、徐々にでも、衰えていくことは仕方がないとして
「生涯現役」をうたっているなら、少しでも、こざっぱりと、こぎれいに
いい感じで年齢を感じられるように、歳を重ねていきたいと思っているので
かなり強烈なパンチだった。相当に悔しかった。

別に言った女性に、腹がたったわけでも、怒ったわけでもない。

補足するなら、その言葉を投げかけた女性はというと
私の体調を、いつも気遣ってくれ、例会のたびに、特製のたまご焼きを
作ってきて、弁当の時間には、横に座って勧めてくれる優しいご婦人なのだ。

彼女のためにも、”みすぼらしくならないように”という課題を
もらったと思って励みにしたい。

ところで、そんな、みすぼらしい親父の写真を
父の日のプレゼントにされたら、せがれは、どう思うだろうかと
メールに添付して送る前に、写真を見直してみたが、
そんなに、みすぼらしいとは思わなかったので予定?通り贈った。
(ここは昨実のブログの内容に続く)

自分のことは、わかっていないのかなあ・・・・。


これが父の日のプレゼント!

2007-06-18 15:37:30 | 東海道五十三次
父の日の昨日は、滋賀県の土山から三重県の関へ
旧東海道の鈴鹿越え、約23キロを完歩してきた。

3年後の70歳の誕生日に、東京日本橋にゴール!

そういう目標をたてて67歳の誕生日の翌日、京都三条大橋を
スタートして今回が3回目。
5月に石部宿まで歩いているので、次は石部からなのだが
主宰しているウォーキングクラブの例会で今回のコースを
鈴鹿越えにしたために、石部から水口は、次回にすることにした。

43日振りの長い距離のウォーキングだったので、気になったが
そこは、歩き始めると、それなりに足が動いてくれるもの。
きっと、久しぶりなので喜んでいたんだろう。

東海道の西の難所と言われた鈴鹿峠(東は箱根)を
あっけないほど楽に越えることができた。
去年の熊野古道の難所とは比較にならないほど、やや期待はずれ?

しかし、鈴鹿の山々の深い緑につつまれてすすむコースは、気持ちよくて
堪能しながらゴールの何度も訪れたことのある関の宿へ。

江戸時代か、もっと前か、タイムスリップするような関宿の
西の追分から東の追分までをのんびりと散策。
さすがに久しぶりの歩きで、足は疲れたが、四-五十代の年下のかりの中で
先頭を歩くことができたのは自信になった。

写真は、坂下宿から関宿の中間地点、鈴鹿川にそった道路脇で撮った1枚。
持っているのは「東海道53次ひとり歩き」とメモ書きした通行証明書?

この写真が、父の日のプレゼントだ。
???なんのことかと思われるかもしらないが。

世間では、父の日は、子供から、何かプレゼントをもらう日と
定着しているようだが、私のばやいは違う。

父が、子供に、元気で生きている姿を見せる日、
プレゼントをすることが、父の日のつとめと心得ている。

親父は元気だ、心配せずに、しっかりやれ!

本日、この写真をメールに添付にして、東京にいるセガレに贈る。
もちろん、セガレから、父の日にプレゼントをしてもらったことはない。

お互いに現役同士、同じ土俵にいるのだから・・・。


あのお父さんも明日は父の日。

2007-06-16 19:09:57 | ひとりごと
午前中に、いつもの診療所へ定期受診に行った。
春先より続いた不調と持病?の高血圧の具合だ。
頭痛はほとんどなくなり、血圧も、それなりのところで安定してきた。

支払いを待っていると、診察を終えたらしい70代半ばの男性が
看護師に覗きこまれるようにして出てきた。
一人で帰れるか、迎えにきてもらうか、聞かれていた。

しばらく椅子に座っていたが、靴箱から靴を取り出そうとして
ふらつき、後ろにたおれそうになった。

危ない! 3メートルほどのところの椅子にかけていたので
とっさに走り寄って後ろからかかえ、間一髪セーフ。

後ろから抱き起こして椅子に坐らせたのだが
なんと重いことか、恰幅はあるし背も高い。
待合室にいた男性は自分だけ。

しばらく静かにしていたが、また、立ち上がり、今度は
椅子の横でよろめいて、倒れかかった・・
読んでいた本を放りだして、かけより、また、セーフ。

看護師、受け付けの女性に強く言われたのにも懲りず
また立とうとするので、三度目、思わず 
"お父さん、危ないから、座っておきなさい!と口に出た。

頭が遅れ始めているのか、気が弱いのか、定かでなかったが
あの人だって、かっては、家族の大黒柱として、頼もしく
生きてきたに違いない。

生涯現役と言っている自分だって、いつ、同じような姿を
みせることになるかもしれない。

明日は父の日。
あのお父さん、どんな父の日を迎えるのやら。

別れの日が近づいているのだろうか・・・

2007-06-15 22:42:20 | 家族
田舎の兄から電話がかかってきた。
兄の電話は、きまって母のことだ。
なにごとか?!

もう、むずかしかもしれない、せめて、夏を越せたらいいのだが・・・

91歳、1年前から、入退院の繰り返しが続いていて
衰弱が目立った来たという。

5年前の脳梗塞をなんとか乗り越えたものの、それ以後は
ほとんどの寝たきり生活で、母の顔からは笑顔が消えて
無表情になってしまった。

それでも、たまに見舞いに帰ると、頭は、しっかりしていて
あれやこれと、すでに70-60代になっている自分の子供たちの
ことばかりを心配して口を開く。

その時は、親と子。
いくつになっても、どんなに弱っても、母親になっている。

肺に水がたまり、その水を抜くことが、ずっと続いているようだ。

18歳で母と離れてから、ただの1度も、生活を共にしたこともなく
また、お世話をしたこともない。
別れるとしたら、こんな申し訳ないことはない。

もう、母へのはがき通信は、書けなくなるのだろうか。

生涯現役は、まず、足腰が原点!

2007-06-14 21:14:17 | ウォーキング
関西も、いよいよ梅雨入り。
しばらくは、毎日、お天道さんのご機嫌をうかがいながらの生活が続く。
自然と、外に出かけるのが、億劫になり、運動不足になりがちだ。

還暦を過ぎて始めたウォーキング、今年で七年になる。
個人で歩くウォークに協会に所属して歩くウォーキング
小グループでのウォーキングと、いろいろな歩き方を一通りやってきた。

去年までは、ちゃんと年間計画をたて、HPに載せて、それを励みに
休日は、ウォーキングを優先にし、終われば、コースの道中で撮影した
デジカメ写真で記録していくのが楽しみだった。

今年は、67歳の誕生日の翌日、京都三条大橋から、東京日本橋をめざして
東海道五十三次ひとり歩きを始めた。
ゴールは。三年後の70歳の誕生日。
これも三カ年計画の一つだ。

今度の日曜日は、主宰しているウォーキングクラブの月例会で
旧東海道の鈴鹿越えを歩く。


朝刊を見ていたら、女優の山本陽子さんが、いま、梅田芸術劇場の特別公演で
大阪に滞在しており、毎朝、宿泊先から淀川まで7キロを歩いているらしい。

年中、雨の日以外は歩いているそうだ。彼女の車好きは有名だが
自前の運転もきちんとやって、体力の維持、管理を徹底しているところは
さすがにプロだ。65歳にはとても見えない。

タレントや俳優にウォーキング派が多いのは、健康管理と体力の維持が
自分の商品である演技に必要な足腰の鍛練になっているからだろうと思う。

それなりの年齢になると、後ろ姿=歩き姿に年齢が出てくる。
前から見られて5歳、後ろ姿で10歳、若くみられるように!というのが
自分に言い聞かせている目標だが、人には、どんなに映っているのやら・・・。

歩くことは、単純な行為だが、歩いてみると、実に楽しい。

自分の弱さ、でも、これも自分。

2007-06-13 16:42:52 | ひとりごと
夕べ、所属しているあるOB会の新旧引き継ぎ幹事会を開催した。
主催は、幹事長(世間でいうOB会長、会員560名)をしている自分の役。

事前に会計監査を受け、1年間の活動のすべてを
各担当幹事より報告と説明をし、年間の活動記録、資料、データ等を
1冊のファイルにし、繰越金とともに、新幹事長に引き継ぎ
滞りなく、1年間の役を閉じた。

ただ、最後まで、すっきりしない、ストレスを受け続けてきた1件があり
それは、とうとう、晴れないままに終わってしまった。

まだ、スタートして間もない時期に、たった一つのお願いをした言葉が
気に障ったらしく「逆切れ」(他のメンバーが言うには)したという一人が
とうとう、口もきいてもらえず、あいさつも反してもらえず
メールは受け取り拒否設定を続けられた。

見かねた仲間が、代行して滞っていた役割をとりまとめ
無事に、次期に引き継げたのだが。

こちらから、席に足を運び、ビールつぎ、話しかけたのだが
なにのことばもなく、ビールの返礼もなく
ただ苦笑いをもらうだけで、終わってしまった。

還暦を過ぎてからは、「いい人」と言ってもらえるように
嫌われないようにしようと思ってきたので、さびしかった。

人間関係づくりは、できると自負してきた自分も、さすがに
ストレスをもらい続けた。あかんかった。

自分の弱さを暴露したみたいで・・・みっともない!
まあ、これも自分、人間だ。

それでも、二次会、三次会と、一緒に苦労しながら
楽しい思い出をつくってきたメンバーと、最後まではじけてきた。

もっと、もっと、自分が大きくならないと!